商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2025/09/11 |
| JAN | 9784065410844 |
- 書籍
- 文庫
ドゥルーズの哲学原理
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ドゥルーズの哲学原理
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商品レビュー
4.7
3件のお客様レビュー
本格的にドゥルーズの解説を試みた本で、 非常に難しい。 どの程度理解できたかは不明。 気になった点は2点。 ドゥルーズの単著では唯一、提唱されているものと言っていいと思われる“無人島”という概念について。 “他者こそが対象の対象性を保証しているとするならば、他者を欠くと自我を想...
本格的にドゥルーズの解説を試みた本で、 非常に難しい。 どの程度理解できたかは不明。 気になった点は2点。 ドゥルーズの単著では唯一、提唱されているものと言っていいと思われる“無人島”という概念について。 “他者こそが対象の対象性を保証しているとするならば、他者を欠くと自我を想定できない”。 そもそも主観と客観というものが一般のレベルで意識されるようになったのは近代以降になる。 その後、欧州から個人主義が広まって今日に至る。 他者と他者のニッチにしか自我が存在しないなら、 例えば、『自分探しにインドに行った人』は『インドに行ったことがある人』というニッチが得られるのかな、とか。 自分を探すには自分を見るよりも他者を観察するほうが大切、というのは分かっていたことのようでなかなか難しい。 2点目は5章の小題にもなっている「権力と欲望」。 “権力”と聞くとどうしても上の立場からの圧力のようなものを想起するけれど、ここでの“権力”は下の立場からも発生するとする。 まさに現在、〇〇ハラといった言葉が権力を持つような状態を指していると思う。 人は自由を指向していてもいつしか権力を握りしめてしまう。 結果として“自身”の広がりは“他者”への抑圧と表裏一体になってしまう。 なぜ人は自由を得るには至らないのか。 現在の“多様性の社会”はただの権力と権力のせめぎ合いになってはいないか。 ただ、認めること。 その単純で困難な一点を、いつか人類は突破できるのか。
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何回でも読み直したい作品 ここ最近で一番、日常における認識にざらつきを与えてくれる本だった p.131 人が積極的意志(「…をしよう」)によって真理に至ることはない。真理は常に、思考を余儀なくされたことの結果として獲得される。人は思考するのではない。思考させられる。思考は強制の...
何回でも読み直したい作品 ここ最近で一番、日常における認識にざらつきを与えてくれる本だった p.131 人が積極的意志(「…をしよう」)によって真理に至ることはない。真理は常に、思考を余儀なくされたことの結果として獲得される。人は思考するのではない。思考させられる。思考は強制の圧力によってのみ開始されるのであり、それを強制するシーニュは常に偶然の出会いの対象である。 p.298 欲望のアレンジメントは、権力装置を伴うだろう(…)だが、権力装置はアレンジメントの様々な構成要素の中に位置づけられねばならない。(…)権力装置とは、したがってアレンジメントの一構成要素ということになるだろう。
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哲学者・國分功一郎先生が記すジル・ドゥルーズの研究書です。ドゥルーズの方法と対象を、國分先生が精緻に分析し、その実像に鋭く迫ったものですが、お読みになる場合には「格闘する」と言う言葉が当てはまります。 正直なところを言ってしまえば、僕は國分功一郎先生の本に出会わなければ、...
哲学者・國分功一郎先生が記すジル・ドゥルーズの研究書です。ドゥルーズの方法と対象を、國分先生が精緻に分析し、その実像に鋭く迫ったものですが、お読みになる場合には「格闘する」と言う言葉が当てはまります。 正直なところを言ってしまえば、僕は國分功一郎先生の本に出会わなければ、ジル・ドゥルーズの哲学に関心を持つことはなかったのかもしれません。本書は哲学者、國分功一郎先生によるジル・ドゥルーズの哲学を読み解いた『研究書』であります。 元々、國分先生の専門はスピノザ研究との事で、全体の構成や「発生」はヒューム。「潜在性」についてはライプニッツからのアプローチが行われております。 ただ、本書を読むにいたってはドゥルーズ・國分の両哲学者と『がっぷり四つに組んだ』状態と言う言い方が相応しく、 「ちょっとかじってエッセンスでも。」 と言う安易な姿勢で読み始めると、手痛いしっぺ返しを受けることでありましょう。 僕は自分でも思ったほど多くの哲学についての関連書を読んできたわけではないんだな、と言うことに改めて気づかされたわけですが、國分先生による丁寧な語り口は本書の中でも健在であり、そのスタンスが一貫して存在していたことについては、敬意を表したいです。 國分先生は本書のテーマの一つとして、『政治的ドゥルーズ』と『非政治的ドゥルーズ』と言う「二つの像」があることを示し、前者を許容する側がいる一方で、後者を批判する側がいる。ドゥルーズはそれに応えるために、ガタリとの『共著』と言うスタイルをとったと論じているのです。 それを存分に展開させたのが第5章で、『監獄の誕生』などで有名なフーコーからアプローチをかけ、結論部で 『ドゥルーズが権力構造の分析を通じて現代社会に下した判断は、決して薔薇色ではない。しかし、そのドゥルーズの哲学が自由を志向するものであった、という事実は我々に勇気を与える。』(p225) と記しているのです。 と、ここまで書いておいてやはり、本書を読んでこうして文章にしたためるということはまさに『格闘』そのものでありました。 西洋哲学や、ドゥルーズについて余り予備知識がない、と言う方にはあまりお勧めできませんが、僕は國分先生の人生相談『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)を先日読んで、そのあまりの切れ味の鋭さに 「この人の奥には一体何が潜んでいるんだろう?」 と言うのがきっかけでありましたので、その一端を知ることができたのは、僕にとって幸いでありました。 ※追記 本書は2025年9月11日、講談社より『ドゥルーズの哲学原理 (講談社学術文庫 2880)』として加筆修正の上文庫化されました。
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