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世界終末戦争(下) 岩波文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2025/08/16 |
| JAN | 9784003279670 |
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世界終末戦争(下)
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世界終末戦争(下)
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商品レビュー
4.5
8件のお客様レビュー
生々しい戦争描写で息も絶え絶え。。 が、憑かれたように読まされるのがガルシアマルケスやバルガスリョサだよなあ。 地獄を味わった近眼の新聞記者の明日はどっちだ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
上巻でカヌードスの反乱へと向かう為に多数の人物、時間軸を溜め込み突き進んだリョサの「イメージ」全てを剥ぎ取る様な下巻。上巻までの凄まじいスピード感から一転して、下巻で描かれる「世界終末戦争」の纏わりつく執拗な描写が印象的だった。 イメージを剥ぎ取られる様はまさにメガネを無くし完全な無力として怯え縋りつき這いずる事しか出来なくなった近視の記者の様と重なり、リョサ自身もカヌードスの反乱という史実と向き合うにつれ近視の記者の様になっていったのだろうか、などと考えた。 カヌードスの内部にいながら、その行為に参加すら出来ない無力。「見る」という実際的な確証を得られず、又聞きや触覚という、記者という人物にとって曖昧な確認にしか至れない不感。記者はカヌードスの反乱についてジャーナリズムの観点からその真実を示そうとする事が示唆されるが、それもまた歴史と西欧知性によってカヌードスの反乱から隔たれたリョサ自身を象徴している様だった。 ガルシア・ガルが語り手となる前半部における「イメージ」の拡張と推進は、ガルの死後の語り手、近視の記者からなる後半部の「史実」に押し潰されてしまった印象にさえなる。リョサの作家性は、カヌードスの反乱という史実に敗北し、ただの傍観者として描く事を余儀なくされたのではないか、と。 作家としての結末のヘテロロマンス・セックスへの回帰・回復という手垢に比して、最後の最後に描かれた「作品」としての結末、マセード大佐のエピソードにおける「セルタン」のなんと屹立したものか。カヌードスという徹底した破滅の結末に、それでもそこに回帰される土地と流血を同郷として表されてしまう峻烈さは、同時に「起こった」という事実以外を拒絶するかの様だった。 紛れもない傑作としての一つの大きな不満としてヘテロロマンスという手癖に逃げず、近視の記者・ジュレーマ・小人という歪な生存関係に歪なまま殉じて欲しかった。カヌードスの敗北を描いたイメージの敗北は、リョサの価値も作品の価値も減ずるものでは決してなかったのだから。
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大変興味深かった。 ブラジルで実際に起こったカヌードス戦争(1896-97)の話。 救世主と呼ばれたアントニオ・コンセリェイロ。彼が説教をして歩いていると次々と人が集まり、彼と彼を崇める何万もの人がカヌードスに定住する。国家をアンチキリストと称し軍と戦い、軍に全滅させられる。 ...
大変興味深かった。 ブラジルで実際に起こったカヌードス戦争(1896-97)の話。 救世主と呼ばれたアントニオ・コンセリェイロ。彼が説教をして歩いていると次々と人が集まり、彼と彼を崇める何万もの人がカヌードスに定住する。国家をアンチキリストと称し軍と戦い、軍に全滅させられる。 読んでいると、そこから生じた様々な思いや考えが頭を占めてしまい、のろのろ読みになって読み終えるのにだいぶ時間がかかってしまった。 感想とかどんな本なのかとかまとめられるような作品ではなく、人間の、社会の、全てがある気がする。 上巻は矛盾について皮肉を込めて書いているという印象。 例えば、人殺しが信仰に目覚めてやっと人を殺す人生から抜け出せたと安堵するのに結局その信仰の為に多くの人殺しをしなくてはいけなくなるとか。思想や主張、宗教や戦争の矛盾を強く感じた。 下巻は人間の本能的な欲について書いている印象。 生きたい、愛し愛されたい、性への欲望、怒り。 登場人物が多様で、犯罪者(犯罪者から信者になる複数人)、革命を見たいと願う者、記者、農園主、権力者、軍人兵士、体に異常がある人々、商人など、それぞれが語り手となって個人の思いや人生を語ったり同じ時をそれぞれの立場から語ったりする。 そのような構成であるのに発端となるコンセリェイロだけは何を考え何を思っているのか全く書かれず、彼が語り手となることはない。彼の言葉は神の教えだけ。 私にはそのことがこの作品を名作にしているように感じた。 本当に色々なことを考えてしまう本だった。
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