商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 1984/06/20 |
| JAN | 9784004202691 |
- 書籍
- 新書
インパール作戦従軍記
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インパール作戦従軍記
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商品レビュー
4.3
3件のお客様レビュー
再掲 戦争の惨禍は様々な書籍で語られているし、最近は映画やドラマ、Youtubeなどの動く画像として理解しやすく編集され、あたかもそれが戦争の真実全てである様に頭に入ってくる。事実ある証言や体験などが集まって出来たそれらも真実の一つであるかもしれないが、特に映像で見るものには何...
再掲 戦争の惨禍は様々な書籍で語られているし、最近は映画やドラマ、Youtubeなどの動く画像として理解しやすく編集され、あたかもそれが戦争の真実全てである様に頭に入ってくる。事実ある証言や体験などが集まって出来たそれらも真実の一つであるかもしれないが、特に映像で見るものには何か後から造られた感じが伝わってきて、どうも作者や編集者の隠された意図があるのではないかと直ぐに疑ってみたりしてしまう。戦争を体験した手記や特攻隊員の手紙の様なその場を体験してきたものも多くみてきた。中には涙なしに見れないものや、軍の上層部の人間が無理やり自分たちを正当化したり、売れる事を意識したかの様な「物語風」な内容から怒りを感じる事もある。こんな風に書き物にも映像にも作り手の何らかの意図を強く感じるものが多い昨今、本書から伝わってくる風景は凄く客観的なものに感じた。悪く言えばスリルや恐怖などの特別心臓の鼓動が速くなる様な内容はなく、見ようによってはつまらないと感じるかもしれない。だが反対に自分がまさにその場に居て、酷い有様に感情を失い、半ばその風景の一部にでもなったかの様な感覚で戦場を見ている様に、やけに冷静に静かに場面を見ている事に気付く。これがリアルなものかと、ただ惨すぎるシーンを感情を失くしたカメラのレンズの様に写している感じだ。 筆者は朝日新聞社の記者であった事、最前線に居ながら生還できたにも関わらず、長くそれを筆に残さなかった事、それによってより冷静に文字に起こせた事、数々の奇跡や偶然(必然?)が重なって出来たものが本書である。インパール作戦は日本の最大の敗戦かつ無謀な闘いだったとの評価を残すから、もっと悲惨な目を逸らしたくなる内容だと思っていると前半で拍子抜けする。だが本書の凄さはそれを通り越した中盤後半に全てあると言っても良い。まるでいつの間にか筆者を後ろから追いかける戦場カメラマンの様にそのシーンを二つのレンズを通して脳裏にあるフィルムに焼き付けていく感覚だ。そこには飢えて死んでいく兵士たちへの憐れみも、白骨化したままヘルメットを被り、横たわる兵士への悲しい感情は生まれない。ただ何故、何故こうして多くの犠牲者たちが、最後生まれ育った風景や家族を一瞬思い出して永遠の旅路に着く必要があったのか。一体何のために、国のために、解放のために、平和のために、一体何故という感覚だけが山びこの様に頭の中を巡っていくだけだ。 従軍記者だから見えた事実と、それをあるがままに描き出した本書は、後世の我々に永遠に問い続けると共に、平和をただ希求し続ける大切さや意味を改めて教えてくれようとしているのかもしれない。本書を読むのは、他のインパール作戦は全体を俯瞰的に記述する様な読み物を先に読み、登場人物に対する考え方が予めある方が更に良いかもしれない。自分がインパール作戦に感じていた想いも感情も一旦リセットして、歴史としての一面よりも考えなければならない事がある、これを強く感じさせる一冊だった。
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自分大好きな家元、小学校高学年時代に自分史を日本年表と対比して作った。本書の巻末にある太平洋戦争関係年表の最初は1931年9月18日満州事変、日支戦争は実質この時に始まった。 太平洋戦争末期、ビルマ(今のミャンマー)の山野に夥しい数の屍を晒し、完全な失敗に終わったインパール作戦を...
自分大好きな家元、小学校高学年時代に自分史を日本年表と対比して作った。本書の巻末にある太平洋戦争関係年表の最初は1931年9月18日満州事変、日支戦争は実質この時に始まった。 太平洋戦争末期、ビルマ(今のミャンマー)の山野に夥しい数の屍を晒し、完全な失敗に終わったインパール作戦を朝日新聞社記者として最前線で取材した著者。1984年6月20日第1刷発行の本書は、戦後40年近くたって、初めて著すことができたのかもしれない。太平洋戦争はアジアと太平洋においてアメリカ・イギリス・オランダの活動拠点を潰し、アジアに非西欧的な新しい秩序(大東亜共栄圏)を作り、それによって日本を中心に新しいアジアを誕生させようとした戦争である。ハワイ真珠湾奇襲作戦、フィリピン作戦、マレー作戦の三つが作戦参謀本部によって立案され、陸海軍により実施された。マレー作戦を支援する目的で計画されたのが、タイ進駐作戦とビルマ作戦だ。ラングーン攻略、重慶軍、英印軍を敗退させ、援蒋ルートの遮断が一時的にも成功した。ところが、作戦の全過程で楽観的な計画と不十分な兵站で、前線での部隊行動、異民族工作班やインド国民軍の活動、悲惨な退却行、上層部はいち早く撤退、何時の時代も下っ端が馬鹿を見る、ニ・ッ・ポ・ン(大笑)
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- ネタバレ
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2018年1月読了。印象に残った箇所と所感を記す。 (47ページ)「将軍はめったに、この安全な「司令部」から外に出なかった。(中略)将軍は「司令部」から外に出ない理由を「将軍は危険をおかしてはならない」「将領は血を目にすべきではない。それによって憐憫の情をおこし、指揮統率にためらいが出るようなことがあってはならない」からだといった」→程度問題だと思う。現場を知らなければ正しい判断もできないわけで。 (172ページ)「軍司令部と聞くと、一時は泣く子も黙るほどに、その名には権威があった。しかし、いまや「軍司令部」といわれても引き下がるものはない。軍隊の統帥も失われた。われもわれもと先を争った。」→組織はトップの権威に寄って動く。 (179ページ)「のち、日本に帰って旅好きの人の旅行記を読むと、砂漠にはいると、孤独というものがわかる、そこにはほんとの孤独がある、孤独が好きだ―といった文章が目についた。旅の孤独とは、いってみれば遊びであろう。ほんとの孤独は、そんな生やさしいものではない。それは生きるか死ぬかの追いつめられた絶対の世界しかありえまい。ほんとの孤独にはエンジョイする余地はないはずである。」→「一人でいる今は気楽でいいけど、家に帰れば誰かがいる」と思えるからこそ、その一人の時間・空間を楽しむことができるわけであって、「天涯孤独な孤独」に人間は能く耐え得ないということか。 (191ページ)「サイゴンでは「明号作戦」が待っていた。(中略)「八月革命」を中心とするベトナム・ナショナリズムのすさまじい爆発をつぶさに見た。」→特にベトナムでナショナリズムが高揚したのは何故? (195ページ)「兵隊であったら、おそらくわたしも生きて帰れなかったであろう。ほんとに自由であったかどうかよりも、自由だと考えられるかどうかである。自分は自由だと考えることのできる、その自由のあることが大事なのである。」→「自由の総量」は規制されざるを得ないとすれば、規制のされた自由の範囲内でどれだけ自由を享受できるかということが自分の自由度を決めるということ。 (198ページ)「戦後、ビルマ軍もインド国民軍も日本軍の「傀儡」であったと批判されたことがあるが、事実は反対だったと思う。わたしは彼らの自己主張のしぶとさを傍で見てきた。」→「上から目線」仕事をさせても継続はしない、「独立心」に火をつけて独立させることが必要だったということではなかろうか。 (199ページ)「兵隊とは何であろうか。軍隊のなかでもっとも弱い存在である。弱いものは銃後では国民大衆である。最後に苦しむのは弱者である。」→弱者なりに抵抗する術は身に付けておきたい。 (200ページ)「大義名分を大事だとするのは、兵士、国民を十分に納得させられるような明確な戦争目的なしに突入する戦争は必ず敗れるということだった。」→大義名分の立たない事業も失敗する。
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