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火葬と土葬 日本人の死生観
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火葬と土葬 日本人の死生観

岩田重則(著者)

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火葬と土葬 日本人の死生観

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 青土社
発売年月日 2025/04/25
JAN 9784791777099

火葬と土葬

¥3,080

商品レビュー

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2025/11/22

岩田重則さんの論文は他の著作で何度か目にしていたけど、著作を手に取ったのは本書が初。写真がたくさん掲載されていて、しかも最近撮影したもの(そして何の名残かも説明されている)で、それがすごく良いと思った。今も目にできる、当時の跡。自分もどこか旅に出た際など見る機会があれば、、と思い...

岩田重則さんの論文は他の著作で何度か目にしていたけど、著作を手に取ったのは本書が初。写真がたくさん掲載されていて、しかも最近撮影したもの(そして何の名残かも説明されている)で、それがすごく良いと思った。今も目にできる、当時の跡。自分もどこか旅に出た際など見る機会があれば、、と思いを馳せつつ、こうやってまちを見ながら歩くのだとも思ったりした。 昔は土葬でいまは火葬のイメージがどうしてもあったが、特に浄土真宗(の一部)が火葬、そして「お墓」もなかった。納骨はまた別、というのは自分含め多くの人が知らないのではないか。 小栗判官の話などでは、土葬であれば身体はあるので復活することができるが、火葬されると復活(再生)できない。この話の文脈では体が残っていたおかげでまたこの世に戻れたけど部下たちは火葬したので戻れなった。=火葬しなければ復活できたのに残念といったニュアンスを感じた。一方、火葬して墓を持たず納骨のみすることは阿弥陀仏に帰依して西方極楽浄土にゆけると浄土真宗ではいっている。また、小栗判官の話では復活してすぐは「餓鬼」として生き返った。どちらが良いのか、とても深いというか考えさせられる。どちらの解釈もあると思うから。それぞれの生きること、死生観がとても深く感じた。特に小栗判官のほうは再生することがとても重要に描かれているように感じたが、生きることの重さ、辛さを示唆しているように感じた。また、浄土真宗の阿弥陀仏とひとつになるというものは、私はホラーマンガの「逃亡禁止」で出てくる話(みんな一つになって幸せになる)を思いだしていた。 そして土葬は仏教の宗派によっては、ある時代では貧しいために土葬になったものがあったり、神道として、神様としてうまれかわるために土葬を要件としたり、そこからの「意味」があるのだなと思った。自分は「土に還る」という意味で死んだら土葬にしてほしいと思っていたが、それだけではない土葬のメッセージ、意味があるのだなと思った。 秀吉や信長の、自らの火葬を禁止しようとしたことに対し、異宗教であるキリスト教の宣教師が敏感に反応し記録されていた(ほかの日本人の記録よりも貴重な記録として)ということも興味深い。文化・宗教が違うと理解することは難しいと思われてしまうが、「遺体の扱い方」という点から宗教的な意味、違いを感じ取り理解する感性は違いがあるからこそなのだと思った。(だから異文化や異民族を学ぶ意義があるとも思った) 恐山についての文章も自分にはとても学ぶものがあった。というのも、事前学習なしで昨年恐山へ旅に行ってきたが、そこにある手ぬぐいや服などが何を意味するかをわからないまま言ったからである。これは死者供養であった。私は全く違う想像、あろうことか成長のお祝いやお願いかと思っていた。恥ずかしい限りである。恐山に怖いイメージを抱く人が多いのもこのためだと思う。次に訪れたときは敬虔な気持ちで手を合わせたい。

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2025/10/10

●本書では、日本での火葬と土葬の歴史を分析することで、日本人の死生観を紐解くことを試みた本である。 ●著者によると、日本では古代から火葬が浸透しており、近世と明治期に土葬が回帰したが、一貫して火葬が主流であったそうだ。近現代になって火葬に切り替わり、それまではずっと土葬が主流だと...

●本書では、日本での火葬と土葬の歴史を分析することで、日本人の死生観を紐解くことを試みた本である。 ●著者によると、日本では古代から火葬が浸透しており、近世と明治期に土葬が回帰したが、一貫して火葬が主流であったそうだ。近現代になって火葬に切り替わり、それまではずっと土葬が主流だと認識していたので驚いた。日本人の死生観について、死者の隔絶である西方極楽往生と、死者が「先祖」としてあの世とこの世を往復する、矛盾する二つの死生観を共存させた点を指摘する。そしてこれを、前者を火葬と後者を土葬に対応すると考え、日本人の死生観は前者が後者を、もしくは逆を、排除することなく共存させたことで成立したと結論づけたのは、良い発想だと感じた。

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2025/07/28

現在の日本で、人の死後、死体はどうなるかというと、火葬が大多数である。2020年代には99.9%が火葬されているという。火葬後は、少し前までは、「家の墓」に入る例が多かっただろうが、近年は合祀墓や納骨堂、樹木葬など、多様化しつつある。 昔から火葬で家の墓という形が普通だったかとい...

現在の日本で、人の死後、死体はどうなるかというと、火葬が大多数である。2020年代には99.9%が火葬されているという。火葬後は、少し前までは、「家の墓」に入る例が多かっただろうが、近年は合祀墓や納骨堂、樹木葬など、多様化しつつある。 昔から火葬で家の墓という形が普通だったかといえばそうではない。 では、古来、日本の葬送はどのようなものであったか、その変遷と日本人の死生観にはかかわりがあるかを考察するのが本書である。 著者は歴史学・民俗学の研究者。 葬式に限らず、庶民の歴史は記録に残りにくい側面がある。本書では、権力者の葬送とともに、庶民の葬送についても考察している。 大まかには、日本では中世後期までに火葬が浸透したが、近世はじめから、一部は火葬の継続があったものの土葬への回帰があり、現代は再び火葬に転じた、という流れである。一部、火葬が残ったのは、近畿から北陸にかけての浄土真宗門徒の間であり、こうした集落ではサンマイ(三昧)と呼ばれる共通の火葬場を持った。個人や家の墓がある地域とない地域があり、ない場合には、一部収骨し、残りは決められた場所に放棄するなどする。拾った骨は本山に納める。墓のある場合は、拾った骨(多くはやはり主なもの)を2つまたは3つに分け、1つは墓に納め、2つの場合はもう1つを本山に、3つの場合は本山と檀那寺に納める。 著者は火葬後の寺院納骨を仏や聖人との一体化、それによる西方極楽往生の願いを意味していると考察している。 (*この話、少々驚いた。私は新潟県出身で実家は浄土真宗だが、本山に骨を納めるという話は聞いたことがない。本書で出てくる事例は北陸でも石川かほくあたりまでで、新潟となると京都から遠すぎたのかもしれない。) 記録上、日本で最も古い火葬は700年、玄奘に師事した後、帰国した僧、道照のものだという。二番目が持統天皇。このあたりは仏教とのかかわりを連想させる。 持統天皇に続き、3代の天皇も火葬であったが、その後、8世紀半ばから土葬が優勢となり、10世紀以降、再び火葬が多くなる。火葬が徐々に浸透していくにつれ、時代が下ると寺院納骨の形が出てくる。浄土思想と組み合わされて、火葬され寺に納められるのが最も丁寧な死者供養の形となっていくわけである。 本書でそう述べられているわけではないが、火葬され、煙となって空へ登っていくというのは極楽浄土へ行くこととイメージ的にも結び付けやすいようには思う。 対して、土葬はといえば、現世への再生や輪廻転生への逆戻りを連想させる。著者は中世の口承文学『小栗判官』を例に挙げる。謀略で殺された小栗判官と家臣。閻魔は彼らを娑婆に戻そうとする。小栗は土葬、しかし家臣らは火葬されていた。このため、小栗のみ娑婆に戻ることができた、というものだ(とはいえ、完全な身体を持つものではなく、「餓鬼」としてなのだが)。 近世、天皇・大名・武家は火葬を停止する。徳川将軍家では遺体を地下の石室に納めた。家康は日光東照宮に「遷座」して神とされた。 天皇家も葬儀は仏教によって行うが、土葬へと回帰した。 庶民の変遷は地域性による部分もあり、さまざまで、上位階級と同様に土葬への転換が行われた例、そもそも火葬への転換がなく土葬が続いていた例、先に触れた火葬が続いていた例が混在していた。 現在、仏教系の葬儀で極楽浄土へと言いながらも、お盆にご先祖様の魂が帰ってくると言ったりするのは、あるいはこうした土葬と火葬を行き来した名残であるのかもしれない。そう思うとなかなか興味深い。 今後、弔いの形は時代に合わせて変化していくのだろうが、死者を悼む気持ちがあれば、結局のところ、「形」にさほどこだわることもないのかなという気もする。

Posted by ブクログ