商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 山川出版社 |
| 発売年月日 | 2025/04/23 |
| JAN | 9784634445246 |
- 書籍
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東アジア諸国と近代世界
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東アジア諸国と近代世界
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商品レビュー
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2件のお客様レビュー
ある程度(大学入門レベルか)東アジア近代史を勉強した人に少し異なった視点から歴史を読み解くことを薦めた本だと思う。 この時代に各国が結んだ不平等条約が「不平等である」と認識されたのはいつからで、どのようになのか?琉球の両属関係と現在の領土による国家関係が必ずしも繋がらないのはなぜ...
ある程度(大学入門レベルか)東アジア近代史を勉強した人に少し異なった視点から歴史を読み解くことを薦めた本だと思う。 この時代に各国が結んだ不平等条約が「不平等である」と認識されたのはいつからで、どのようになのか?琉球の両属関係と現在の領土による国家関係が必ずしも繋がらないのはなぜなのか?このように考えていくと非常に面白い。 何よりそれぞれの理由がなんというか、良い意味で人間臭いのである。歴史の息遣いとでもいうべきなのだろうか。
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「東アジア」と「近代」、「世界」の再定義: 本書では、歴史学の観点から「東アジア」「近代」「世界」といった単一の概念を切り離して捉え直すことの重要性が述べられている。 「東アジア」は現在に直結する場所であり、日本にも直結する場所であると同時に、歴史的に捉え直す必要があると指摘され...
「東アジア」と「近代」、「世界」の再定義: 本書では、歴史学の観点から「東アジア」「近代」「世界」といった単一の概念を切り離して捉え直すことの重要性が述べられている。 「東アジア」は現在に直結する場所であり、日本にも直結する場所であると同時に、歴史的に捉え直す必要があると指摘されている。 「近代」や「近代世界」をどのように捉えるかという問題意識が、本書のタイトルに反映されている。 西洋の国際秩序と近代文明への対応: 19世紀から20世紀前半にかけて、西洋の国際秩序と近代文明に直面した中国、日本、朝鮮、琉球が、それぞれ異なる対応をした過程が論じられている。 中国はアヘン戦争やアロー戦争を経て、西洋の外交制度や条約体制を受け入れ、洋務運動や変法運動、光緒新政を通じて近代化を試みた。総理衙門の設置や「万国公法」の翻訳といった取り組みが行われた。 日本は日米和親条約、日米修好通商条約といった「不平等条約」を締結したが、その後条約改正を目指し、領事裁判権や関税自主権の回復に努めた。特に明治政府は、琉球を日本の主権国家の論理のもとで統合した。 朝鮮は、大院君の斥邪攘夷政策から始まり、開国後も清や日本、ロシアといった列強の影響を受け、近代化の取り組みが困難を極めた。特に日朝修好条規は日本側にとって「不平等」とは認識されず、朝鮮側は冊封体制の枠組みで解釈しようとした。 琉球は、日明間の朝貢貿易や日薩間の両属関係という独自の国際関係の中にあり、日本の明治政府によって強制的に併合された。ペリー来航時には、琉球は清と日本の両方に配慮した対応を余儀なくされた。 「不平等条約」の認識とその変遷: 現在私たちが考える「不平等条約」の認識が、当時の日本や中国でどのように生まれ、変遷していったのかが論じられている。 日本では、特に条約改正の交渉が進む中で、領事裁判権や関税自主権における不利益が認識され、「不平等」であるという考えが生まれた。 しかし、当時の中国や日本では、現在の認識のような「不平等」という認識が当初からあったわけではないことが指摘されている。 「和製漢語」の役割: 西洋の知識や概念を東アジア諸国が受け入れる過程で、日本で生まれた「和製漢語」が重要な役割を果たしたことが強調されている。 多くの社会科学や自然科学分野の用語が、日本の知識人によって造られ、中国や朝鮮にも取り入れられた。 「和製漢語」は東アジアの共通財産となり、西洋近代に対応する過程で言語的な基盤を築いた。 中国の冊封体制と「中華世界秩序」: 近代以前の中国を中心とした「中華世界秩序」や「朝貢・冊封体制」が、西洋の国際秩序とどのように衝突し、変容していったのかが論じられている。 清は周辺諸国が朝貢・冊封のルールに従うことで「平和」な国際秩序を維持しようとしたが、西洋列強の進出によってその体制が揺らいだ。 琉球は日明間の朝貢貿易において、中国にとって重要な朝貢国であり、日薩間の両属関係を隠蔽しながら清と日本の間で独自の地位を保とうとした。 朝鮮の近代化と独立運動: 朝鮮の近代化は、大院君の攘夷政策、江華島事件後の開国、そして清、日本、ロシアといった列強の介入の中で複雑な様相を呈した。 日清戦争は朝鮮を巡る清と日本の対立が原因であり、その後の日露戦争は朝鮮を巡る日本とロシアの対立が背景にあった。 「甲午改革」や「光武改革」といった近代化の試みが行われたが、国内の政治対立や列強の干渉によって困難を極めた。 「独立協会」の活動は、国民の権利伸長や国家主権の確立を目指す運動であり、迎恩門の破壊や独立門の建設といった象徴的な行動も行われた。 「三・一独立運動」は、日本の植民地支配に対する朝鮮の人々の抵抗運動であり、知識人だけでなく民衆も参加した大規模なデモとなった。
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