商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 勁草書房 |
| 発売年月日 | 2025/02/15 |
| JAN | 9784326852048 |
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商品レビュー
4.3
7件のお客様レビュー
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「スターリン像を抱きしめた日、わたしは大人になった。」 印象的な言葉で帯がついていた。 社会主義下のアルバニアでの少々時代を記録している、家族史のようでもある本。読み始め、勝手に中央アジアのアルメニアと勘違いしてて、イタリアとか旧ユーゴスラヴィアとか出てくるから何でだろうと思い、地図を見返した笑 実際にはバルカン半島に位置していて、長くオスマン帝国による支配を受けた後に、パルチザンによるナチス抵抗運動を経て、過激なスターリン主義から1970年代に鎖国状態となった国。その後、革命が起きて世界銀行による構造改革を経て資本主義社会へと足を踏み入れるけれど、その激動をアルバニアで過ごした著者が少女目線で綴られる生活や率直な思い出が、全体的に印象的。 著者の言葉選びもすばらしいけど、訳者も言葉選びがうまくて文章が美しい。心に残るセンテンスが多い。 指導者エンヴェル・ホッジャを「エンヴェルおじさん」と子どもたちが親しみを込めて呼ぶ描写が印象的。 著書のカバーにもなっている、なんてことないコカ・コーラの缶。鎖国状態だったアルバニアでは、コカ・コーラの空き缶がステータスのように大事にリビングで飾られたらしい。 高い識字率、農業による自給自足、無神国家からのイスラム主義者が多い、プロレタリアート、階級闘争、「ヨーロッパのほかの国」、構造改革、1997年の内戦、アドリア海の海に沈んだ人々 「チェスのすばらしいところはね、経歴となんの関係もないことなの。ぜんぶ自分しだいなんだから。」 「B大学、S大学、M大学が正確にどこにあるかではなく、大学が何を意味しているのかを家族に尋ねようとは、思いつきもしなかった」 「社会主義は完璧ではなく、やがて実現する共産主義とはちがいます。社会主義は独裁です。プロレタリアートによる独裁。これは西側の帝国主義諸国を支配するブルジョワジーによる独裁とはちがうし、当然、それよりもいいものです。社会主義では国家は資本ではなく労働者に支配されていて、法律は利益を増やしたい人の関心ではなく労働者の関心に役立つようになっている。でも社会主義にも問題があります」 「共産主義は個人を抑圧するのではなく、人類史上初めて人間が完全に自由になれる体制なのです」 「泣くんじゃありません。泣いてもだれの役にも立たないでしょう。何かをするの。新しい本を読みなさい。新しいことばを学びなさい。やることを見つけるの」 アルバニア国旗は、赤の背景に黒鷲が両翼を広げていて、なんとなく近寄りがたい印象だけどいつか行ってみたい。
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アルバニアでオスマン・トルコでの貴族の末裔が、何度も革命がおこって生活がどんでん返しになり、思想も全く変わり、社会主義がどうなるのかということを考えさせられる本である。 アルバニアに行く前の必読書であろう。
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「人間はみずからの自由な意志で歴史をつくるわけではない。だが、それでもやはり歴史をつくる」 冒頭に挿入されたローザルクセンブルクの言葉。 過去を、現在を、未来を生きるすべての人々に向けられたその言葉を礎に、著者の最後の言葉が問いかけてくるのは、あなたはどうするのか、ということで...
「人間はみずからの自由な意志で歴史をつくるわけではない。だが、それでもやはり歴史をつくる」 冒頭に挿入されたローザルクセンブルクの言葉。 過去を、現在を、未来を生きるすべての人々に向けられたその言葉を礎に、著者の最後の言葉が問いかけてくるのは、あなたはどうするのか、ということではないか。 「わたしの家族と国の歴史から得られる教訓がひとつあるとしてら、それは次のことだろう。人間はみずから選んだ状況のもとで歴史をつくるわけではない。社会主義についても自由主義についても、観念と現実のいかなる複雑な混成物についても、『あなたが経験したものは本物ではない』と言うのはたやすい。そう言えば責任の重荷から解放される。偉大な思想の名のもとに生まれた道徳的悲劇への共謀者ではもはやなくなり、反省も謝罪も学習も必要なくなる」(P.322) 「ある意味わたしは、一周してもとに戻ってきたのだ。体制が変わるのを一度目にすると、また変えられると信じるのはさほどむずかしくない。シニシズムや政治的無関心との闘いは、道徳的義務とも呼ばれるものになる。わたしにとってその義務は、先人たちへの借りというほうがふさわしい。まさにその先人たちこそ、無関心ではなく、シニカルでなく、成り行きに任せていたらうまくいくとは思っていなかったがゆえにすべてを犠牲にしたのだ。わたしが何もしなかったら、その人たちの努力は無駄になり、命は無意味になる。わたしの世界は、父と母が逃れようとした世界と同じくらい自由からかけ離れている。どちらも理想には到達していない。だが、失敗はそれぞれの独自のかたちをとった。それらのかたちを理解できなければ、わたしたちは永遠に引き裂かれたままになる。わたしがわたしの話を書いたのは、説明し、和解し、格闘をつづけるためにほかならない」(P.325)
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