- 書籍
- 新書
死が怖い人へ
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
死が怖い人へ
¥1,045
在庫あり
商品レビュー
4.3
5件のお客様レビュー
身内の死を身近に何度か見てきてはいるが、先日、真夜中にふと目が覚めた時のこと。 「死んだら無になる」ということが、無性に怖くなった。 「無」ということがすごく怖くなったのだ。 幼い頃、「死んだらお父さん、お母さんと一緒にいられなくなる」と恐れたことごあるが、かなり久しぶりに「死」...
身内の死を身近に何度か見てきてはいるが、先日、真夜中にふと目が覚めた時のこと。 「死んだら無になる」ということが、無性に怖くなった。 「無」ということがすごく怖くなったのだ。 幼い頃、「死んだらお父さん、お母さんと一緒にいられなくなる」と恐れたことごあるが、かなり久しぶりに「死」についての怖さを感じた。 翌日、たまたまこの本をネットで見かけて読みたいと思った。 読んでみて思うのは、「死」を考えることは「生」を考えることであって、決して「無」を考えることではないんだなと。 笑ってしまったのは、「リアルな死後の世界を空想すれば」(147頁から)のところ。 たしかに、先祖として子孫を見守ったとしても、玄孫やそれ以上になると、全く知らない人間を守ることに興味もないし、見守られている方も全く知らない霊魂に見つめられたら嫌だろ(笑)まあ、私は未婚子なしなので、子孫を見守ることもないけど。 ついでに、歴史上の人物に話しかけたとしても、あっちは自分を知らないんだから迷惑だろうし、教科書通りの人なら良いが、違ったら、話しかけたことを後悔すらするだろうなー。話も全く合わないし(笑) 驚いたのは、ウィーンが「死」を街中でイメージさせているということ。 そんな博物館があるのか!!と、驚いた。 日本じゃありえんな。 「メメント・モリ」=死を忘れるな。 この意味を改めて噛み締める。 『そういう意味で、「メメント・モリ」は、死をありのまま見つめるのに役立つ。家族も自分もいつか死ぬ。明日にもその引き金は引かれるかもしれない。だったら、今を大事にしよう。幸いなことに、今はその引き金に指はかかっていないのだから。』(160頁) 昨年、手術をしたのだが、その時、「死は怖くない」をいろいろなところで口にしていたが、これを読んで改めて思った。 ああ、私は「死が心底怖かった」のだと。 死が怖くならなくなった。とは言わないが、死への意味合いは少し変わった気がした本。
Posted by
生を諦められないのは、「まだやり残したことがある」との思いからである。したがって 充実した日々を送るとか欲望を小さくすれば、死を怖れることも少なくなるのではないか。本書を含むいわゆる「死の四部作」を通しての思いである。
Posted by
死がない世界の想像 死がないと仮定した場合、我々はどのような感情や行動を持つのだろうか。まず、生命の有限性がもたらす緊張感や焦燥感が消失する。人々は時間を気にせず、目の前の欲望を追求し続けることが可能になる。しかし、無限の時間が与えられた場合、逆に人々はその価値を見失ってしまう可...
死がない世界の想像 死がないと仮定した場合、我々はどのような感情や行動を持つのだろうか。まず、生命の有限性がもたらす緊張感や焦燥感が消失する。人々は時間を気にせず、目の前の欲望を追求し続けることが可能になる。しかし、無限の時間が与えられた場合、逆に人々はその価値を見失ってしまう可能性がある。何事にも終わりがないとしたら、目標設定や努力の意義は薄れてしまうだろう。 社会の変化 もし死が存在しない場合、社会構造も大きく変わる。例えば、仕事や競争の概念が変わり、成功や達成感の基準が曖昧になる。人々は生涯にわたって同じ職業に就くことができるため、キャリアの選択や転職の概念が変わる。また、親子関係や世代交代の重要性も薄れ、家族の構成や社会的な繋がりが崩れる可能性がある。 倫理的な視点 死が存在しないことは倫理的な問題も引き起こす。例えば、他者の生命を軽視する態度が広がる可能性がある。死がないことで、人々は他者の痛みや苦しみに対して無関心になりやすい。これにより、共感や思いやりの心が希薄化する恐れがある。 個人の心理への影響 個人の心理面でも大きな影響が出る。死の恐怖がない場合、人々は挑戦や冒険に対して消極的になるかもしれない。死が持つ恐怖感は、人生を豊かにする動機にもなっているため、これがなくなることで、刺激や感動を求める気持ちが減少する可能性がある。
Posted by