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鋼の王国 プロイセン(上) 興隆と衰亡 1600-1947
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鋼の王国 プロイセン(上) 興隆と衰亡 1600-1947

クリストファー・クラーク(著者), 小原淳(訳者)

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鋼の王国 プロイセン(上) 興隆と衰亡 1600-1947

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2024/12/02
JAN 9784622097464

鋼の王国 プロイセン(上)

¥5,940

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2025/01/02

プロイセンの興隆を政治、軍事、外交、経済、社会、文化等多面的に記述する。プロイセン王国への道は、有能な歴代君主の意思にもよったが、幸運の所産でもあり、王国が成立しない可能性も十分あったと思われる。 ・ホーエンツォレルン家が婚姻政策(クレーヴェ公国・マルク伯領等)、親族関係(プロイ...

プロイセンの興隆を政治、軍事、外交、経済、社会、文化等多面的に記述する。プロイセン王国への道は、有能な歴代君主の意思にもよったが、幸運の所産でもあり、王国が成立しない可能性も十分あったと思われる。 ・ホーエンツォレルン家が婚姻政策(クレーヴェ公国・マルク伯領等)、親族関係(プロイセン公国)、幸運(弟系の断絶)や限獅子エンツォレルン家が婚姻政策(クレーヴェ公国・マルク伯領等)、親族関係(プロイセン公国)、幸運(弟系の断絶)や限嗣相続の採用によって領土の拡大に成功するが、軍事力と外交能力なしでは、東西にまたがる分断した領土を保持できなかった。 ・分断された領土では、それぞれのフェーデが力を持ち、ホーエンツォレルン家は弱体であったが、30年戦争の徹底的な荒廃によって、軍事総監察庁の創設と臨時の軍税・徴兵・練兵の恒久化が中央集権化を進めた。軍による国家形成。 ・オランダで育ったフリードリッヒ・ヴィルヘルム大選帝侯(1640-88)の軍事・内政改革、戦争、同盟政策がラノベなみにすごかった。 ・イスパニア継承戦争でハプスブルク家と同盟したことで「プロイセンにおける王」の称号を手に入れたが、これを利用しブランデンブルク=プロイセン二重国は、ポーランドから独立しプロイセン王国へと昇華していった。 ・フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世(兵隊王)の時代には、1723年には総監理府が創設され、徴税・軍事・財政を一元的に司る組織ができ、トップは合議制的な機関も置いたが、部局間の重複やある部局が飛び地の領地管理と郵便を行うなど十分な整理はされておらず、まだ個人によるところもあった。(江戸幕府の官僚制もあえて北町・南町奉行を置くところもあったが、より整理されている。)また、土地調査を実施し、封建的な様々な権利を解消し所有権を確定、収穫量を決め、貴族・小自作農間の課税のある程度の平等、課税強化を進めた。 ・軍事改革については、徴兵制度の創設、貴族の子弟の士官学校への強制、軍装品の規格化、訓練の統一等により人口に比して強大な軍事力を作った。 ・ルター派の地域で君主がカルヴァン派だったため、寛容にならざるを得ず、ルター派経験主義者やユグノー、富裕なユダヤ人家族すら受け入れた。また貴族に対抗して中央集権を進めた官僚の多くはカルヴァン派だった。 ・グーツヘルシャフトにより、領主の裁判権や強制的賦役が強化された面も確かにあるが、農奴ではなく被雇用者が多く、賦役は労働地代であり、生産された穀物は商品であった。そもそも人口減少によりヨーロッパ各地からの移民にも頼ったので、賃金が安いはずがなかった。 ・フリードリッヒ大王のシュレージエン獲得を支えたのは、相続した歩兵、国家原理、大王の戦略・戦術と幸運。「君主は国家第一の下僕である。」また、帝国裁判権からの離脱を図り、一般ラント法の制定に着手。 ・イエナの敗戦からシュタイン・ハルデベルック改革:閣議、陸軍省・参謀本部、土地改革(賦役の廃止、貴族領地の売買、世襲農民の使用権の保持又は買取請求権)、公教育制度、都市条例(一定財産を有するユダヤ人を含む男性市民の選挙権等)

Posted by ブクログ