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われわれが見ているもの、われわれを見つめるもの 叢書 言語の政治28
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われわれが見ているもの、われわれを見つめるもの 叢書 言語の政治28

ジョルジュ・ディディ・ユベルマン(著者), 松浦寿夫(訳者), 桑田光平(訳者), 鈴木亘(訳者), 陶山大一郎(訳者)

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われわれが見ているもの、われわれを見つめるもの 叢書 言語の政治28

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 水声社
発売年月日 2024/09/26
JAN 9784801007192

われわれが見ているもの、われわれを見つめるもの

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2025/09/17

す、すごすぎる。われわれが「見る」ものは、空虚や不在を喚起させる「かさばり」を持ってわれわれを「見つめる」。単純に見える立方体が、突如常軌を逸した強度をもって現れる。エロスの不可能性から最早逃れられず、差延の運命にあることばさこの時、どんな意味を持つのか。見ることと信じることとの...

す、すごすぎる。われわれが「見る」ものは、空虚や不在を喚起させる「かさばり」を持ってわれわれを「見つめる」。単純に見える立方体が、突如常軌を逸した強度をもって現れる。エロスの不可能性から最早逃れられず、差延の運命にあることばさこの時、どんな意味を持つのか。見ることと信じることとの閉鎖性を克服すべく、パサージュを切り開くのである。「見る」ことは現在だけではな主体をも分割してしまう。現前性は、不在の否定性を喚起する。耐えず更新される根源の本質を捉えるには、バタイユも言った星座的付置が鍵となる。現れや距離は神の占有物ではない。記憶と欲望の間には、反復が存している。法はまさに自らの乖離そのものに内在している。イメージの場は、アウラと不気味なものという弁証法の経験により、はじめて理解可能となる。エクリチュールが、「箱」を開く扉となって、自身の法を押し付ける。時間は、そして自分自身は失われて、わたし自身がイメージになる。恐らく、ここにおいて事物と私の境目は、もうない。

Posted by ブクログ