商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2024/06/18 |
JAN | 9784003123416 |
- 書籍
- 文庫
遠藤周作短篇集
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
遠藤周作短篇集
¥1,001
在庫あり
商品レビュー
5
4件のお客様レビュー
私は今まで遠藤周作の作品を読んだことがなかった。しかし短編集の冒頭を飾る「船を見に行こう」を読み終えたとき、私の胸には「平凡な父子による、山場のないやり取りの描写だけで終わっている」という思いしか起こらなかった。The BeatlesのアルバムPlease Please Meの1...
私は今まで遠藤周作の作品を読んだことがなかった。しかし短編集の冒頭を飾る「船を見に行こう」を読み終えたとき、私の胸には「平凡な父子による、山場のないやり取りの描写だけで終わっている」という思いしか起こらなかった。The BeatlesのアルバムPlease Please Meの1曲目“I Saw Her Standing There”でPaul McCartneyが「ワン、トゥー、スリー、フォー!」と高らかにカウントするような、胸躍る幕開けの予感は生じなかった。このまま最後までこの調子かと暗い気持ちになった。 しかし各編を読み進めていくにつれて、私の読み方のほうが根本的に誤っているのでは?と気づいた。遠藤の小説の真髄は、いわば平凡な父子などの、他の作家の物語創作ではこぼれ落ちるような平凡な人々の姿や出来事を描いているところにあるのではないか、と。 いや、平凡というと誤解を受けやすくなるだろうか。遠藤の小説を一貫して流れているのは「人間の弱さ」だ。弱さは人間誰もが持ちうる。一方で強さは英雄伝に代表されるように小説になりやすい。それではなぜ遠藤はあえて「弱さ」を題材にした小説を書こうと考えたのだろうか。 それは「船を見に行こう」にもヒントがあると思う。なぜならその作品には、子の父と母との間には実は修復しがたい亀裂が入り、家の中では母に厳しく当たる父が、手のひらを返したかのように息子を海に船を見に行こうと誘うという背景があるからだ。すなわち遠藤の幼少時の体験と重なる。だから空想や他人からの伝聞ではなくて、真実の体験から沸き起こった遠藤独自の創作である。つまり平凡な姿をしているが、遠藤にとっては切れば血が出るような実体験の小説化だ。 ではもう一歩踏み込んで考えて、遠藤が“人間の弱さ”を描くモチベーションは何だろうか。それを考えると、遠藤には平均的な日本人があまり持たないものを持っていることに気づく。そう、遠藤自身の血肉と化したカトリックの教義だ。しかしカトリックの教義の小説化だけでは、聖書には劣る。そこに遠藤の小説家としての果敢な挑戦を見ることができる。遠藤が体験し、誰もが体験しうる「臆病」や「別離の悲しみ」や「病気の苦しみ」や「死へのおそれ」…。聖書に抽象化して描かれるそれらの人間の弱さを、遠藤はいわば現代語訳及び日本語訳をしようとしたのではないか。 キリシタン禁制時の日本でキリスト像の顔を踏まざるを得なかった者や、信仰を捨ててしまった者、逆に捨てずに踏みとどまれた者、そして裏切りに会ったイエス・キリストなど…これらの者が現在に生きる私たちにとってどう結びつくかを、遠藤の諸作品は平凡な作風を装いながら語りかけてくれているのではないか。それらは一見、平凡で弱々しくて情けないかもしれない。しかし遠藤が終生を絞るようにして残してくれたそれらのか細い声に潜む人間存在の真実を聞き取ること。それこそが読書好きを自称する者の本来あるべきスタンスなのかもしれない。
Posted by
本著は、遠藤周作の15の短編小説及びエッセイからなる。 『沈黙』しか読んだことがなかったが、最近『私とルオー』という40年前のテレビ番組の再放送があり、生前の彼がルオーの宗教画について語る深い洞察に感銘を受け、久しぶりに読んでみた。 作品に共通するのは、信仰心を持ちながら完全...
本著は、遠藤周作の15の短編小説及びエッセイからなる。 『沈黙』しか読んだことがなかったが、最近『私とルオー』という40年前のテレビ番組の再放送があり、生前の彼がルオーの宗教画について語る深い洞察に感銘を受け、久しぶりに読んでみた。 作品に共通するのは、信仰心を持ちながら完全に正しい行いを追求できない人間の弱さである。 物理的にも心理的にも描写がリアルで、すらすらと簡単には読めないことが特徴だと感じる。 遠藤周作と言えばキリスト教が代表的なモチーフだが、この私小説的な小品集でもう一つ主要な題材となっているのは、幼少期の両親の離婚である。 特に自身の実体験である、両親の離婚を機に少年期を過ごした中国・大連を離れ、母親と兄弟とともに帰国する、という題材が繰り返し用いられている。 信仰と同じく複数回登場するそのモチーフは、彼の人生に深く影響を与えていることが感じられた。 最も印象に残ったのは『五十歳の男』という作品だ。 大連の地で両親の不仲に心を痛める少年を、雑種の飼い犬が慰めてくれる。 時が経ち五十歳になった彼には、今また別の雑種犬が寄り添っており、老いて息絶えようとする愛犬との交流が描かれる。 犬と人という違いを超え、「同士」として語りかける言葉に愛情を感じる。 少年を慰める愛犬とその離別から、ユーゴスラビアの作家ダニロ・キシュの『若き日の哀しみ』を思い出した。 「人生を共に歩む神・イエス」というテーマは、本著の他の作品でも描かれており、先出のルオーの解説でも語られていた。 『五十歳の男』の主人公となった著者は、傷心の自分に寄り添う飼い犬に、神の姿を見たのかもしれない。 遠藤周作の描き出すリアルな信仰の実感は、キリスト教圏の小説家や研究者、神学者が書くような、壮大な宗教世界や神話学とはまた違ったものだ。 幼少期の洗礼は自らの意思では無かったが、「愛する者が私のためにくれた服」(『合わない洋服』p.279)として生きた、と言うところに、日本人でありキリスト教徒である彼の思いやりや心の深みを感じる。 作家としてだけでなくその実体験にも触れ、改めて偉大であると感じる。 -神は《中略》我々に栄枯盛衰は常に表と裏であり、人生は決して真底まで憎むべきものではないが、また我々の心をすべて惹きつけるものでもないことを教えられたのだ。(『学生』p.153) -拷問を恐れて棄教したものをころび者と言うが、この村はころび者の村だ。父も伯父もこの村で生れたのだし、二人の血は私の体にも流れている。(『帰郷』p.135) -おそらくこの男は《中略》生涯、同じ過ちを繰り返すだろう。私もまたそうだった。人間の弱い性格は何をしても決して変えられぬ。(『指』p.191)
Posted by
「船を見に行こう」 両親の不仲で離別する直前の、父と子(遠藤周作)の話し。 父の変えられぬ性格や思いと、それを受け止める子の心情が繊細に描かれています。 子である遠藤周作はどのような思いで父の心情を書いたのだろう。父と自分とが一体となったような目線で語られていて深い感受性を感じる...
「船を見に行こう」 両親の不仲で離別する直前の、父と子(遠藤周作)の話し。 父の変えられぬ性格や思いと、それを受け止める子の心情が繊細に描かれています。 子である遠藤周作はどのような思いで父の心情を書いたのだろう。父と自分とが一体となったような目線で語られていて深い感受性を感じる。 「イヤなやつ」 戦時中の学生(遠藤周作)が癩病院へ慰問に行く話し。 自身はまだキリスト者では無い設定だが、まわりの信者である学生達の行ないや献身的な態度と自分を対比しながら、肉体的恐怖を抑えきれない自身の浅ましさや心の穢れを痛感する話し。 「その前日」 三回目の手術の前日の話し。 踏み絵を踏んだ藤五郎と、キリストを裏切ったユダを対比させて、人間の弱さとキリストの愛を観想する。 「私のもの」 主人公は小説家の勝呂。 不純な動機で洗礼を受けたり、妻を選んだり、どんよりと重い空気の中、自分の心の弱さを噛み締める話し。「海と毒薬」と同じような澱んだ重さを感じる。 「札の辻」 江戸時代にキリシタンの処刑が行われたという札の辻と言う場所(現在の田町あたり?)をとおして、処刑された信者の心の強靭さと自分の心の弱さを観想する話し。 普通の人の中にある可能性(強さ)を見出す。 「帰郷」 伯父の死をきっかけに、父の故郷である長崎を訪れ、小心者の自分や父につながる祖先を思い巡らす話し。拷問を恐れてすぐに改宗したであろう祖先の末裔である地元民が、今でも信仰を守り続けている隠れ切支丹の末裔を差別的に扱う構図が、社会の縮図を表しているようで考えさせられる。正しく生きるとはどういうことなのか。 「学生」 戦後まもない頃に4人の学生がフランスへ留学する話し。日本人に対する差別の逆境のなかフランスへたどり着くが、実際の生活は孤独で厳しく、精神が折れてしまったり体力がついていかなかったり挫折を味う。天正の少年使節の逸話が交互に挿入されていて比較するように話しが続きます。 理想や希望に対する現実の厳しさを感じる話し。 「指」 聖書の指にまつわる2つの話しと、ローマを訪れた際に見た、トマスの指と言われるそれを見た時の話し。ローマ法王の役割と民衆たちがいかにキリスト教と繋がっているかを見て、キリストの偉大さや人間浅はかさを再認識する話し。 「五十歳の男」 50歳の主人公が飼っている老犬や兄の急病に遭遇して死を想う話し。自身の老化や死期の近さを考えながら妻との不和や微妙な人間関係を描く。 「幼なじみたち」 友人の神父の25周年を祝うために地元に帰る話し。 その席に幼い頃によく叱られた外国人神父も参加し、当時彼が憲兵から受けた迫害を思い、赦しの難しさを感じる。 「箱」 骨董屋で手に入れた古い箱をきっかけに、戦時中の神父親娘の逸話を知る話し。 当時の憲兵から受けた仕打ちを赦すキリスト者の姿を想像する。 より私小説的というか、もはやエッセイのような内容で遠藤氏の旅行記のようで読みやすかった。 「白い風船」 朝日新聞の子供向けに書かれたらしく、息子が13歳の時の遠藤家をそのまま投影されたような作品。 不可解な物を見たり考えたりする心が、大人になるにつれてなくなり、合理的思考に切り替わってしまう事を危惧するような内容。 「母と私」 母親に対する思いを綴ったエッセイ。 小説家に導いた母に対する思いや文章が誠実でとても良かった。 「合わない洋服」 キリスト教を洋服に例え日本人の自分に合う和服に仕立て上げていくという行為が、自分の文学活動であるという話し。 決して確固たる自我を持って洗礼を受けたわけではないという事実を告白のように語る。 「義満先生のこと」 学生寮にいた頃にお世話になった義満義彦先生の事を感想する話し。哲学者である先生から受けた影響と感謝を語る。 後半の3つの話しはエッセイで、前半の短編小説を 事実として補うような構成になっているのがとても良かったです。 また基本的に私小説的なので、わたしのように遠藤氏の生い立ちや時代背景などをあまり理解していない人は、末巻の解説から先に読んでみたほうが良いと思います。
Posted by