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結城宗広・親朝 南北朝争乱に生き残りをかけた雄族の選択 中世武士選書51

伊藤喜良(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 戎光祥出版
発売年月日 2024/06/03
JAN 9784864035293

結城宗広・親朝

¥2,750

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2025/03/13

鎌倉時代、将軍側近の御家人であった結城氏。 その子孫、宗広・親朝の時代に、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、 南北朝動乱と、激しい政治の動きと戦乱に巻き込まれてゆく。 南奥羽の雄・白河結城氏は、どう行動し、生き残っていったのか。 ・はじめに 第一章 歴史の舞台に登場した白河結城氏 第二...

鎌倉時代、将軍側近の御家人であった結城氏。 その子孫、宗広・親朝の時代に、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、 南北朝動乱と、激しい政治の動きと戦乱に巻き込まれてゆく。 南奥羽の雄・白河結城氏は、どう行動し、生き残っていったのか。 ・はじめに 第一章 歴史の舞台に登場した白河結城氏 第二章 白河結城氏と建武政権 第三章 結城親朝と北畠親房 終章 幕府への投降後の白河結城氏 ・おわりに 参考文献有り。 鎌倉時代末期から観応の擾乱終結の後までの20余年の動乱。 如何に領地を守るか。如何に一族を存続させるのか。 武士の本懐とは?そして武士の「去就の自由」。 鎌倉時代初期の有力な御家人・小山氏の子孫の結城氏。 その惣領家から分かれた白河結城氏も、動乱の中で 生き残りをかける。史料と多くのの書状から見える、その姿。 鎌倉時代末期、父・宗広は鎌倉攻めの討幕軍に。 既に後醍醐天皇の側に仕えた次男・親光は京に。 嫡男・親朝は奥州白河で残党狩。 白河に戻った宗広と親朝は、北畠顕家の奥羽国府を支え、 親光は京で「三本一草」の一人として頭角を現す。 だが足利尊氏が建武政権に反旗を翻し、親光は戦死。 奥羽軍2度の京への進軍な中、北畠顕家は戦死し、 宗広も船団の遭難でたどり着いた伊勢の地で病没する。 常陸に到着した北畠親房は、南朝の奥羽国府の再興のため、 親朝と連絡を交わし、支援と援軍の要請を求めた。 だが親朝自身も、周辺の足利幕府方の豪族や国人たちに 囲まれていた。そして常陸合戦の終盤、 足利尊氏の画策により結城親朝は足利方へ投降する。 観応の擾乱での混乱はあったが、一時は約束不履行になった 建武2年以来の知行地の安堵が成され、 白河結城氏は、室町・戦国時代の南奥羽の雄となる。 『太平記』での「十悪五逆」の結城宗広を知りたいと 思っての読書でしたが、それ以上に、領地を守り一族を 存続させ、生き残る奮闘ぶりが興味惹かれるものとなりました。 それにしても北畠親房、武士の事が分かってないじゃん~。 こっちも大変なんだよ~という親朝のグチが聞こえるようでした。

Posted by ブクログ

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