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語れ、内なる沖縄よ わたしと家族の来た道
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語れ、内なる沖縄よ わたしと家族の来た道

エリザベス・ミキ・ブリナ(著者), 石垣賀子(訳者)

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語れ、内なる沖縄よ わたしと家族の来た道

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2024/02/20
JAN 9784622096689

語れ、内なる沖縄よ

¥3,960

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2024/12/01

 “やがてわたしは気づいた。母を理解することは、わたしの責務であり、みんなに理解してもらうことは母の責務ではないのだと。”  “父はわたしを教え、導く。父は愛と優しさを教えてくれた。父はあらゆることを学び、わたしに教えたのに、どうして日本語を学んでわたしに教えなかったのだろう?”...

 “やがてわたしは気づいた。母を理解することは、わたしの責務であり、みんなに理解してもらうことは母の責務ではないのだと。”  “父はわたしを教え、導く。父は愛と優しさを教えてくれた。父はあらゆることを学び、わたしに教えたのに、どうして日本語を学んでわたしに教えなかったのだろう?” 本書では、エリザベス・ミキ・ブリナが自身の半生を振り返るなかで、重層的に様々な事柄が描かれてゆく。 ルーツとアイデンティティ、沖縄の歴史と基地問題、そして家族を巡る物語。 その中で率直に心に響いたのは、彼女と両親との関係性だ。読んで僕は人ごとと思えない気持ちを抱いた。境遇や生い立ちは異なれど、家庭内の不均衡とその影響は、わかる感覚だ。 ベトナム帰還兵として沖縄基地へ駐留し、現地で英語を話せない日本人を、妻として本国へ連れて帰る。そしてアメリカで生まれ、白人ばかりの地域で育ったわたしが語る父母への想いはとても複雑だ。 教養あるアメリカ人(それは米国白人のことだ)として教育を与えることを望む父は、無意識下で白人優位性と家父長性で娘を縛ってしまう。 わたしは、白人として思考しつつ、白人として受け入れてもらえないトラウマに陥り、結果として自身に最も近い母を恥じ、蔑む ー見た目がアメリカ人じゃないから、娘の名前ですらまともに発音できないからー。  白人社会において、イジメだろうと、性的な要求だろうとも、ただかまってもらうことを望み、期待してしまう姿は読んでいてつらく痛々しい。  “わたしは愛されようと必死になり、相手の頼みを何でも聞き入れた。そうすれば彼らがそれに負けてお返しに愛情を注いでくれることを期待して。”  “自分にふさわしくない相手と結婚した父、救ってあげたいというだけで結婚相手を決めた父が、以前は腹立たしかった。「ふさわしい」という概念はまったく主観的で押し付けなのだろう。「救う」「救ってもらう」という概念と同じように。” 母のマイノリティとしての孤独が、自分が抱えてきたアメリカ人と同化したいという思いと表裏一体のものだと気づいたときに、そして父の揺るぎなく深い愛情と正義に潜むアメリカの傲慢さに気づいたときに、わたしは避けてきた自身のルーツを辿ることを選ぶ。そしてアメリカによる沖縄侵攻と占領の歴史を学ぶ。 彼女が思考し、至った境地には圧倒される。 「半分アジア人として差別される側であり、半分は搾取する側だということ」を自覚した彼女が行ったのは、自らの救いを求めることではなく、謝罪と和解を求めることなのだから。  “人はトラウマを受け継ぐのと同様に、罪も受け継ぐのだとわたしは思う。それでも、贖罪の機会はあるのではないか。 気づくこと、誠実であることによって償う。 権力を手放して償う。 世界を変えることで償う。 自分が変わることで償う。 償いと許しはどんな形をとるのだろう? 一人の人間において、家族において、国において。” アメリカと沖縄の関係性は、日本政府と沖縄に置き換えても成立するだろう。 明治時代に標準日本語を押し付け、うちなーぐちの使用を禁止したこと。沖縄戦では、全てではないにしろ、日本軍は沖縄の住民を利用して見捨てたこと。アメリカに沖縄を差し出して、顔を背けてきたこと。 日本を守るためでも沖縄を守るためでもない基地を強引に作ること。 果たして、東京に生きる僕は、知ることで、気づくことで許されるのだろうか。  “やがてわたしは気づいた。世界は確かに大きいのだと。母の英語にとって、あらゆる英語にとって。一つひとつに歴史が、道のりが。地図があり、それを辿ることによって人が自らを見いだす、あらゆる言語と方言にとって。” 最後に、わたしは母の強さを、異国で生き抜いてきた逞しさを思う。  “癒しは緩やかに積み重ねられてゆく。 母親を母親としてではなく、夫と娘を辛抱強く受容する女性として認識してみると起きる。” ラストの、母娘の笑顔の写真が見れてよかった。 読み終えて、心からそう思う。

Posted by ブクログ

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