商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2024/02/15 |
JAN | 9784334102227 |
- 書籍
- 新書
創作者の体感世界
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創作者の体感世界
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商品レビュー
4.4
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自閉症とADHDの当事者であり文学研究者でもある著者が共感する創作者たちを取り上げ、発達障害が見せる世界を語る。 ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』を読んだ際に自閉者が既読の古典を別解釈で解体していくさまに魅せられたのでこの本も同じようなものを...
自閉症とADHDの当事者であり文学研究者でもある著者が共感する創作者たちを取り上げ、発達障害が見せる世界を語る。 ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』を読んだ際に自閉者が既読の古典を別解釈で解体していくさまに魅せられたのでこの本も同じようなものを期待してしまったのだけど、本書は作家論が主でテクスト読解とはまた違うベクトル。最初は少しがっかりしたが、これは直前に読んだミア・カンキマキの『眠れない夜に思う、憧れの女たち』と同じく言葉のなかにロールモデルを探して彷徨う読者のものがたりではないか、と気がついて頭が切り替わった。ミアにとっての〈夜の女〉と、横道にとっての〈水中世界〉の人びと。 本書を読んでいると、一般に言う「天才っぽさ」や「クリエイターらしさ」はすべて発達障害が引き起こす世間とのズレからきているのかとすら思われる。西洋で胆汁質とか憂鬱質、〈土星の星の子ら〉にカテゴライズされてきた人びとは他者から見た自閉スペクトラムのイメージを背負ってたのかもなぁとか。 なんでもかんでも発達障害に結びつけすぎだと感じる人もいるだろうけど、それこそが創作物を「読む」行為の自己満足的な楽しさだと私は思う。作品が語ることをぜんぶ自分に引きつけて考え、作者は自分なんじゃないかと感じ、妄想のなかでイマジナリー・フレンドになる。それってオタクやってて一番楽しい瞬間じゃないか。 横道はオタクの生き方を肯定し、従来の批評家から「自己満足的」とマイナス評価されてきた表現にシンパシーを寄せる。その裏側には、既存社会で仰がれてきた「普遍性」なんて結局マジョリティのものでしかなかったというこの時代の気づきがあると思う。 と同時に、横道が反応する孤立感、疎外感、ナイーヴ感、「宇宙人」感といったものは古典的な文学の大テーマだし、それこそ普遍的だ。前掲書でサヴァリーズも「文学がそもそも自閉的なのだ」と言い切っていたことを思いだす。横道は「じぶんの自然な挙動を諦めて、観察したかぎりでの『ふつうっぽさ』を装いながら生きる。じぶんの魂に対する一種の殺害」をし、擬態して生きてきたと話す。本書に太宰がいないのは不思議だ。 各論で一番よかったのは庵野秀明論。私は庵野作品をまともに見たことがないので作品論の妥当性はわからないのだけど、監督自身の「僕らは結局コラージュしかできない」という発言を受けての、「コラージュしかできないという諦観と、じぶんのオリジナルな人生で全体を束ねるという意志は、まことに自閉スペクトラム症的だ。(中略) じぶんの内部に侵入してきた雑多なものをまとめあげたいという強い欲求が生まれる。じぶんの人生を創作物へと再構築しながら、じぶんを圧迫してきたものの壮大なコラージュへと成形していく」とまとめた段落は、現代ポップカルチャー全体の「コラージュ感」をも説明してしまっていると思う。オノ・ヨーコ論も目を開かれるようだった。
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想像以上に面白かった。 発達障害や精神疾患についての知識があればあるほど、筆者の言っていることがわかり、納得がいき、より一層本書の理解が深まる。 発達障害領域の人と、かれこれ30年近く接してきている私には、ここに書かれていることのひとつひとつがわかりすぎるほどわかる。 本書にも...
想像以上に面白かった。 発達障害や精神疾患についての知識があればあるほど、筆者の言っていることがわかり、納得がいき、より一層本書の理解が深まる。 発達障害領域の人と、かれこれ30年近く接してきている私には、ここに書かれていることのひとつひとつがわかりすぎるほどわかる。 本書にもあるが、まあどんな人にも発達障害的傾向は多少なりともあって、その濃淡の中にみんないるのだから、誰しもわかり得る部分はあるだろう。かくいう私も、障害になるほどでは全くないが、ややその傾向があるなというのは自分でもわかる。 人類の発展は、発達障害者による突飛な発想やインスピレーション、衝動性や強烈なこだわりが生んだという説があるが、まことそうかもしれない。というか、きっとそうだと思う。 何もないところから何かを生み出すエネルギーは、いわゆる定型発達者の力だけでは到底賄いきれないくらいの膨大なものだ。 迸るエネルギーが(定型発達者から見れば極めて特異なものに映ることも多いけれども)人類に進歩をもたらし続けていることを思えば、発達障害の人々がいてくれてよかったとみんな思って然るべきじゃないの? 私が数々の発達障害当事者と接してきていつも強く印象づけられるのは、彼らの溢れる人間的魅力。本当に、素敵な人が多いのですよ。だからこの仕事をしているとも言える。 本書を読んで、いろいろ読みたい本がまた増えちゃったなー。 筆者の本も読んでみたかった作品があったけれども、筆者自身にもとても興味が湧いた。候補に入れてなかった他の本もいろいろ読んでみたいなー。 追記 著者によれば、高野秀行氏も角幡唯介氏もADHDを自認している、と。まあ、でしょうねと思うけれど、とすればお二方とも大好きな私はやはり、思いっきり、その気があるタイプの人に惹きつけられやすいってことですかね、自分もそれっぽいとこあるからね、、、。
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作家や芸術家を深く知ると「この人はもしかして発達障害だったのではないかな」と思うことがよくある。 発達「障害」、発達障害の「診断」という言葉には抵抗があることは言っておく。「障害」という言葉には定型発達者の傲慢が感じられる。あくまで脳のクセのようなもので、病気ではない。だから「...
作家や芸術家を深く知ると「この人はもしかして発達障害だったのではないかな」と思うことがよくある。 発達「障害」、発達障害の「診断」という言葉には抵抗があることは言っておく。「障害」という言葉には定型発達者の傲慢が感じられる。あくまで脳のクセのようなもので、病気ではない。だから「診断」するものでもない。ただ今のところ「発達障害」という言葉しかないので仕方なく使う。 だからこの本が出て、目次を見たとき、南方熊楠、宮沢賢治、石牟礼道子らには「やっぱりそうか」と思ったが、小津安二郎や与謝野晶子などは「えっ、そうなの?」と感じた。発達障害の当事者である著者なので、もちろん私なんかよりその視点は鋭いわけだから、私が気づかなかったのだろう、と思いながら読み始めた。 はじめは「ほうほう、そうかそうか」と読んでいたのだが、だんだん、自分も含め、大抵の人にはこういう傾向があるよな、と思うようになった。 もしかして私も発達障害かも、とチェックリストを確認すると、ASDにはわりと当てはまる。 読み終わって、発達障害的傾向は誰にでもあり、まさに「スペクトラム」で、切り分けられるものではないと感じるに至った。生きていくのが辛すぎるほどその傾向が顕著な場合「障害」認定するというだけ。(辛さを与えているのは私たちなのに、「障害」とするなんておかしいとは思う。)歴史に残る芸術家や作家は自分の作品に対するこだわりが尋常でないから名作になっているわけで、そういう人達に発達障害的なものがあるのは当然である。 著者は当事者だからその特性を敏感に感じるし、より心に響くのだろう。 そして、この本に取り上げられた人々は、当然著者の好きな作家やアーティストなのである。当時は分からなかったけど、この人は発達障害だったでしょう、なぜなら…、という本ではない。だったら最果タヒや米津玄師ら現代の人を入れなくても良いのだ。あくまで当事者としてこの人のこの表現にグッときた、ということ。そしてその理由を当事者と研究者の視点で解説してみた、という本。 私なら水木しげるやグレン・グールド、エミリ・ディキンソン、バルトーク、アンデルセンなんかを入れるなあと思ったが、それはそれらの人々が好きだから。 定型発達ってなんなんだ。全てが定型発達の人もいないじゃないか。全て定型発達だったら、この世は面白くもなんともない。極めてつまらない。そもそも発達障害の人達の生き辛さを緩和することは、発達障害の人だけが得することではない。 生き辛さが芸術や研究成果に昇華された、と美談にしないこと。
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