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永瀬清子詩集 谷川俊太郎選 岩波文庫231
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永瀬清子詩集 谷川俊太郎選 岩波文庫231

永瀬清子(著者), 谷川俊太郎(編者)

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永瀬清子詩集 谷川俊太郎選 岩波文庫231

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2023/10/16
JAN 9784003123119

永瀬清子詩集

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2024/02/17

永瀬清子(1906年~1995年) 岡山県出身の詩人。 命日の2月17日は紅梅忌と呼ばれるらしい。 驚いた、この方は誕生日に亡くなっていた。 89歳だった。 きっちり全うされたのだなぁ。 一番感じたのは"女だなぁ"ということ。 詩の中に、女性が人生で味わうで...

永瀬清子(1906年~1995年) 岡山県出身の詩人。 命日の2月17日は紅梅忌と呼ばれるらしい。 驚いた、この方は誕生日に亡くなっていた。 89歳だった。 きっちり全うされたのだなぁ。 一番感じたのは"女だなぁ"ということ。 詩の中に、女性が人生で味わうであろう全ての感情が溢れているように思えた。 その強さ、したたかさ、儚さ、美しさ。。。 怒り、愁い、孤独。。。 妻として母として、特に戦時中にご苦労を重ねられたことが、巻末の谷川俊太郎さんとの対談で分かる。 この詩は終戦時のものかしら。 『美しい国』(抜粋) はばかることなくよい思念(おもい)を 私らは語ってよいのですって。 美しいものを美しいと 私らはほめてよいのですって。 失ったものへの悲しみを 心のままに涙ながしてよいのですって。  敵とよぶものはなくなりました。  醜(しゅう)とよんだものも友でした。  私らは語りましょう語りましょう手をとりあって  そしてよい事で心をみたしましょう。 それから何と言っても、冒頭の谷川俊太郎さんによる「はしがき」。 こちらに谷川さんが寄せられた「永瀬清子さんのちゃぶだい」という詩が、彼女の全てを表しているように感じられて、素晴らしかった。 永瀬さんご本人の詩は、個人的には、女性としての感情を謳ったものより、言葉を紡ぐ者としての詩の方が好きだったかな。 『言葉』 私は言葉を垂直に考える。特に自分の言葉を。 あるものは水面に近くいて鴎たちについばまれる。 あるものは中くらいの深水に泳いで、漁夫の網に追われる。 そしてあるものは底にぴったりはりついている。深海にはトランシットの形の魚がいたり、雪のように降る生物もある。 どれが最も値打ちのあるものかわからない。 けれど私の求めるのはシーラカンス。深い深い所で青銅の鱗の中の孤者。 もし一尾でもみつかったらその意味は百万年の時間を物語るのだ。

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2024/02/04

未だかつて「古事記」をこんな風に読んだ人はいない。一周回って、永瀬清子は新しい。 永瀬清子はイザナミはジェンダー差別を受けて黄泉の国に去ったというのだ。そしてこううたう。 なぜ女だけが悩み焼けただれるのか なぜ悩む姿はきらわれるのか お互いうるわしかった元の姿を なぜそのまま...

未だかつて「古事記」をこんな風に読んだ人はいない。一周回って、永瀬清子は新しい。 永瀬清子はイザナミはジェンダー差別を受けて黄泉の国に去ったというのだ。そしてこううたう。 なぜ女だけが悩み焼けただれるのか なぜ悩む姿はきらわれるのか お互いうるわしかった元の姿を なぜそのままいたわり合い苦しみも分ちあえないのか 今も女は子生みで悩み 子連れで悩み 朝働き夜も働き 内も外も戦って そして悩む姿は見せるなと云う (「古事記」より1987『あけがたに来る人よ』所収) 偶然、永瀬清子さんにお会いしたことがある。使い走りで、私はある女性の近影を撮りに行った。当時、名前は全く知らなかった。行けばそこは長屋と言っていい昔ながらの平屋の木造家屋で、1人の老女が出てきた。小さな記事につく写真なので軽い気持ちで玄関前で撮ろうとしたら、ちょっと待ってという。奥に入ってカツラをつけてきた。光の加減もかなり気にして、慎重に撮った記憶がある。「こんなおばあちゃんでも、こんなに見た目を気にするんだ」と、不遜にも社会人2年生の私は思った記憶がある。その後、老女が日本でも著名な詩人だと聞いた。 永瀬清子は、1924年18歳で詩人を志す早熟な「目覚めたる女性」だった。同時に社会は彼女に望まぬ結婚を強いり、直ぐに母になる。家庭との狭間で悩みながら、詩作を続け、30年24歳にして第一詩集を刊行、45年疎開中の岡山市で空襲を受け、終戦後郷里の岡山県熊山町へ。結果、ずっとここで百姓もしながら、旺盛な詩作も続けることになった。1995年89歳、岡山市で没。 最初の出会いのすぐあと、彼女の詩を読んだ。全然ピンと来なかった。けど、本書の自筆年譜を読むと、今更ながら私との様々な符号にびっくりしている。生前の宮沢賢治を認めた数少ない詩人の1人でもあり、民俗学に興味を持ち、なんと日本の市民参加型発掘の先駆けである柵原の月の輪古墳発掘に参加して「月の輪音頭」まで作詞しているのである。或いは、「有事を語る」ことのおそろしさを詩っている。 茨木のり子のような凛とした清潔感はなくて、むしろ泥臭い気持ちを(ホントは浮名を流してはない様だけど、結婚後にかなり多くの恋はしている)戦前戦後のあの時期に堂々と書き、一方では常に前を向いている。惚れ惚れするほど、男前な女性であった。生活に根ざした発見、男女のすれ違い(『だましてください言葉やさしく』)、四季の美しさ、等々。一周回って、現代、永瀬清子は新しい。 岩波文庫編集者の書いた本書の紹介文が、かなり的確に永瀬清子の詩を言い当てているので、そのまま紹介したい。 妻であり母であり農婦であり勤め人であり、それらすべてでありつづけることによって詩人であった永瀬清子(1906-95)。いわば「女の戦場」のただ中で書きつづけた詩人の、勁い生命感あふれる詩と短章。茨木のり子よりずっと早く、戦前から現代詩をリードしてきた〈現代詩の母〉のエッセンス。(対談=谷川俊太郎) 「勁い」とは「つよい」と読む。

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2024/01/06

久しぶりの詩集。 最近短歌ばかり読んでいたので新鮮でした。 詩の美しさ、自由さに心打たれました。 短歌を始めたのだって、元々は詩が好きだったことから寄り道して派生したこと。 私、今まで詩のレビューをどんな風に書いていたかさえ忘れてしまった。 ずいぶん遠い所へ一人で歩いてきたよう...

久しぶりの詩集。 最近短歌ばかり読んでいたので新鮮でした。 詩の美しさ、自由さに心打たれました。 短歌を始めたのだって、元々は詩が好きだったことから寄り道して派生したこと。 私、今まで詩のレビューをどんな風に書いていたかさえ忘れてしまった。 ずいぶん遠い所へ一人で歩いてきたような気がしてこの詩集を読んでいたら泣けました。 私は詩や短歌を読むとき、いいなと思ったものに付箋を貼ります。 永瀬清子さんの作品で、一番引用されたり、朗読されたという詩、この詩にももちろん付箋を貼っていました。 「だましてください言葉やさしく」 だましてください言葉やさしく よろこばせてくださいあたたかい声で。 世慣れぬわたしの心いれをも 受けてください、ほめてください。 あああなたは誰よりも私が要ると 感謝のほほえみでだましてください。 その時私は 思いあがって傲慢になるでしょうか いえいえ私は やわらかい蔓草のようにそれを捕えて それを力に立ち上がりましょう。 もっともっとやさしくなりましょう。 もっともっと美しく 心ききたる女子になりましょう。 ああ私はあまりにも荒地にそだちました。 飢えた心にせめて一つほしいものは 私があなたによろこばれると そう考えるよろこびです。 あけがたの露やそよかぜほどにも あなたにそれが判ってくだされば 私の瞳はいきいきと若くなりましょう。 うれしさに涙をいっぱいためながら だまされだまされゆたかになりましょう。 目かくしの鬼を導くように ああ私をやさしい拍手で導いてください。 「プラタナス」 「三月」 「悲しみだけは」 は若い日の自分を思って泣けました。 つい昨日のことのように感じます。 永瀬清子 1906年岡山県生まれ 1924年愛知県立第一高等女学校英語科入学(18歳) 1928年長女美緒生まれる(22歳) 1933年長男春来生まれる(27歳) 1937年次女奈緒生まれる(31歳) 1940年詩集『諸国の天女』出版(34歳) 1950年詩集『焔について』出版(44歳) 1979年『永瀬清子詩集』出版(73歳) 1987年『あけがたにくる人よ』出版(81歳) 1995年永眠(89歳)

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