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ダーリンはネトウヨ コミックエッセイ 韓国人留学生の私が日本人とつきあったら
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ダーリンはネトウヨ コミックエッセイ 韓国人留学生の私が日本人とつきあったら

クー・ジャイン(著者), 金みんじょん(訳者)

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ダーリンはネトウヨ コミックエッセイ 韓国人留学生の私が日本人とつきあったら

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 明石書店
発売年月日 2023/10/15
JAN 9784750356167

ダーリンはネトウヨ コミックエッセイ

¥1,430

商品レビュー

3.9

11件のお客様レビュー

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2024/10/03

誰かの言葉や態度によって、まるで酸に浸されるように、じわじわと傷ついていくことがある。 その言葉がはっきりとした「悪意」に基づくものではなく、むしろ何らかの「思いやり」だったり「正義感」に基づくものだった場合、そんな相手の思いに寄り添うことによって、自分が何に対して傷ついているの...

誰かの言葉や態度によって、まるで酸に浸されるように、じわじわと傷ついていくことがある。 その言葉がはっきりとした「悪意」に基づくものではなく、むしろ何らかの「思いやり」だったり「正義感」に基づくものだった場合、そんな相手の思いに寄り添うことによって、自分が何に対して傷ついているのかすらわからなくなり、さらには、「傷ついている」と思うのは自分に非があるのではないか、とすら思いはじめ、自らの声を奪われたまま、自分を浸しているはずの酸から目を背けていく…。 本書は、そんな、じっくり人を傷つけ壊していくような差別が、何気ない日常のなかに突然現れ、「見ないようにしよう」としているうちに、ひとを傷つけていくさまに焦点を当てている。 「差別」に焦点をあてる物語は、はっきりと明確した「悪」や「暴力」に焦点を当てることがほとんどだ。日常のなかにふと現れ、「なかったことにしよう」「見なかったことにしよう」といってやり過ごされてしまうような言葉や行動(「マイクロ・アグレッション」という概念はそのような現象を切り取ったものだろう)を、物語として描き出すことは難しい。 それは決してドラマティックではなく、エピソードとして描くにはあまりにも刹那的で、見えないものなのだ。 本章は「日常系エッセイコミック」のかたちをとることで、そんな日常のなかでとつぜん現れるような、見なかったことにされてしまうような差別や攻撃をそのまま描き出している。 あまりに「そのまま」に描き出すので、もしかしたら本書を選んだ人たちのなかには、いくつかの作品のなかに描き出された差別について気づかないのではないか、とすら思わされる。 読み手である自分自身が試されるエッセイコミックだ。 いかに自分自身のなかの「いっしー」を見出し、それと向き合えるか、が問われている。

Posted by ブクログ

2024/07/29

 韓国人留学生として日本に来た「うーちゃん」の物語。本書の言うところのネトウヨである「いっしー」の姿のなかに私たち自身の存在を見出したとき、読者たる日本人の私たちは、いかに自分が同質性の中に生き、ステレオタイプに物事を捉え、多様な価値観との接し方について無自覚であったかを突きつけ...

 韓国人留学生として日本に来た「うーちゃん」の物語。本書の言うところのネトウヨである「いっしー」の姿のなかに私たち自身の存在を見出したとき、読者たる日本人の私たちは、いかに自分が同質性の中に生き、ステレオタイプに物事を捉え、多様な価値観との接し方について無自覚であったかを突きつけられる。  最たる例は外国人に良かれと思って「日本語上手ですね」と言うのがそれで、この言葉には「外国人にしては」というニュアンスが潜んでいる。日本語は漢字・カタカナ・ひらがなの3種があり難しい言語であるということを心の何処かで誇りにしてしまっているとき、すでに私たちは「我々」と「彼ら」という差別への第一歩に足を踏み出してしまっている。  いかに「うーちゃん」を日本人に近づけるかと苦心した「いっしー」の姿勢は、その後の反省の無さも相まって正直気持ち悪すぎたのだけど、マイクロアグレッション(無意識の価値観や思い込みによる攻撃)とはそういう自省が欠落したところに生じるのだし、私たちも本書を読んで感じた”バツの悪さ”を忘れてはならないのだと思う。ゆるいイラストのマンガがシリアスを緩和してくれていて読みやすく、多様な価値観と接するうえでの教材としてもすごく良いと思う。

Posted by ブクログ

2024/06/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

――わたしはあなたの望む「外国人」になろうとした――(本書帯より引用) 韓国人留学生であるウ・ユンスルさん(通称:うーちゃん)が日本で過ごした11年間に体験した様々な出来事を、ゆるふわタッチの可愛いイラストで描くコミックエッセイです。 特に何と言ってもカワイイ! と思ったのは、124ページの髪の毛を持ち上げるうーちゃん。内容が重いので、並んでいるイラストに癒しを貰って相殺している感じがします。 「ダーリンはネトウヨ」という衝撃的なタイトルで、読む前のイメージは「ゴリゴリのヤバイ思想の彼氏がいて、その彼氏に嫌なことを沢山言われる」みたいなものでした。 しかし、実際に読んでみると少し違っていて、恐らく「いっしー」(主人公の彼氏)というキャラクター性を持った人物は日本の少数派などではなく(いっしーが特別ヤバイやつなのではなく)、ごく普通に日本で生活をしている日本人の多くが多かれ少なかれ、いっしーと似たような思想をしていたり、同じような発言をしているのだろうな、と感じました。 「まだ訛りがあるけど、歌うときは完全に日本人だね」 「うーちゃんはもう日本人だね」 「海苔を消化できるのは日本人だけなんだって」 「日本語は世界一難しい言語。それを話せるうーちゃんはすごい」 などなど……悪意があるとは断定できないものから、いっしーの潜在意識のなかにある日本人(である自分)の優越感がみえみえの発言まで、バリエーション豊富な展開()に目を白黒させながら読みました。 いっしーがつき合ったのが日本人女性だったら、いっしーの差別の片鱗は片時も露見することがなかったのだろうか? と考えたりもしました。 (発言した本人からすれば)他愛のない言葉が、言われた人を傷つける(=差別発言)わけですが、残念ながら我々は日常的に、常にそのことに対して万全の注意を払っているわけではありません。 だからふとした瞬間、そうした無意識の差別発言が外へ飛び出し、相手を傷つけてしまう。 まさに「差別をしない人なんていない」のです。 「差別」と聞いて我々が思う、過激で、誰にでもそれとわかるもの(=故意的な差別)とは違って、「悪意のない差別」(=無意識的な差別)というようなものが存在していて、それらがうーちゃんを苦しめる様子が、本書ではリアルに描き出されています。 それから、この本を読んでひとつ思ったのは、この主人公が「うーちゃん」ではなく、エリザベスやカロリーナや、アンナだった場合はどうだろう? ということです。 いっしー(日本人男性)たちは彼女らに「訛りがある(から直した方がいい)」「もう日本人みたいだね」と言うのでしょうか? そう考えた時に浮上してくるのは、うーちゃんが「日本人にとても似ている風貌の韓国人」だから受けている被害というものの存在です。 これが、個人的には日本では顕著な差別の正体ではないかと思っています。 こういう話をネット上に(特にSNS)書くと、「韓国が好きなのか?」と言われる現象も含めて、これらは「差別」ではないかと思います。 よく、韓国と絡めて政治的軋轢があるから……という人がいますが、両国間に政治的な問題があることと、その国籍の人を冷遇することは全くの別物でなければならないのです。冷静に考えれば、分からない人の方が少ないことです。 また、本書には「フェミ(ニスト)」について「いっしー」が拒否反応を示す場面も出てきます。 「韓国への拒否反応」「フェミへの拒否反応」両者に共通していることは「敵対意識(時にマウント行為)」と「無理解」です。 差別をすぐにゼロにすることは難しいですが、個々が意識することで、延々と繰り返される「〇〇人なんだね! 鼻が高い!(目が青い! 肌が黒い!)」といったような会話は終わらせることができます。 その為に必要なのは「知ること」「コミュニケーション」そして「互いの尊重」。 この本を読んだことで、私もひとつ、差別について認識を深めることができたと感じています。

Posted by ブクログ

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