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日本語に生まれること、フランス語を生きること 来たるべき市民の社会とその言語をめぐって
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日本語に生まれること、フランス語を生きること 来たるべき市民の社会とその言語をめぐって

水林章(著者)

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日本語に生まれること、フランス語を生きること 来たるべき市民の社会とその言語をめぐって

2,860

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 春秋社
発売年月日 2023/09/20
JAN 9784393333976

日本語に生まれること、フランス語を生きること

¥2,860

商品レビュー

4.5

3件のお客様レビュー

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2024/06/11

説明 編集レビュー 「天皇を戴く国家」か「市民による社会」か――今日の日本社会の危機的状況の根底に横たわる、日本語に固有の言語問題とその背後に控える天皇制の呪縛について、政治哲学、映画、芸術といった多岐にわたるジャンルを行き交いつつ光をあてる、渾身の批評。

Posted by ブクログ

2024/02/18

こわれた魂の著者、水林章氏による日本の政治の腐敗が日本語にあるとするエッセイ。社会が言葉を作り、言葉が社会を作るとすれば両者は相互補完的であるので、単に日本語が、悪いのではなく、日本社会というものに埋没している封建精神あるいは天皇制的なものが、法の下に皆平等という健全な市民社会を...

こわれた魂の著者、水林章氏による日本の政治の腐敗が日本語にあるとするエッセイ。社会が言葉を作り、言葉が社会を作るとすれば両者は相互補完的であるので、単に日本語が、悪いのではなく、日本社会というものに埋没している封建精神あるいは天皇制的なものが、法の下に皆平等という健全な市民社会を成立させる障害になっていると著者はいう。丸山眞男や加藤周一、田中克彦などの先人の文書も引用しつつ、社会的属性を離れて同等の視点で議論できる風土がないと著者は言う。  ここで気になるのは著者は安倍晋三を頂点とする(した)自民党を批判しているが、その対抗馬である民主党や、共産党などについての言及が全くない点である。火事の消し方が悪いと言って懐手で見物している様である。著者はフランス語を50年以上にわたり勉強し、教鞭を取って来たのだから、フランスの言葉や習慣と比較して日本の政治土壌が貧困であると嘆くのはよくわかる。  しかし、私たちはとにかくフランス人ではないのだから一朝一夕にはフランス人の様にはなれないし、ならなくても良いと思う。そう考えると、社会的属性を超えて議論する風土を醸成することが重要なのではないだろうか? 100編以上の引用文献があり、読書案内の効用もあった。 ただし、いろいろ気になる点がある。ルソーの社会契約論はそもそももキリスト教という文化的土壌があることを無視していないかという点、また日本語の特性に天皇制が埋め込まれているというが、現在の日本で接客中の日本語に敬語が利用されるのはサービスをスムーズに行うためではないだろうか?話相手との上下関係を意識することが自由闊達な議論の障害になっているのは認めるが、議論しないでスムーズに事を進めることができるという利点も敬語にあるのではないのかという点である。 そういう意味でこの本は問題があると言って石を投げて終わっている様な印象を受けた。 しかしこの本は色々と今後の日本をよくするために重要な、本であることは間違いない。よく書いてくれたと快哉を叫びたい。

Posted by ブクログ

2024/01/28

フランス語での著作が多く、アカデミー・フランセーズ仏語・仏文学大賞を受賞するなど、さまざまな賞をフランスで受賞している著者が、日本とフランスを比較しつつ、思考が言語に多くを負っているということを、天皇制を維持しながら民主政を標榜する戦後の日本、市民としての意識が根付かない日本に苛...

フランス語での著作が多く、アカデミー・フランセーズ仏語・仏文学大賞を受賞するなど、さまざまな賞をフランスで受賞している著者が、日本とフランスを比較しつつ、思考が言語に多くを負っているということを、天皇制を維持しながら民主政を標榜する戦後の日本、市民としての意識が根付かない日本に苛立ちつつ分析している。 戦後も根底に天皇制がある日本社会の前近代性は変わっておらず、むしろ次第にその傾向が強まり、改憲派が大手を振るようになってきていることへの批判。そして、日本語という言語の中に、自由や平等、民主主義という輸入概念を実行しようにもなかなかうまくいかない足かせがあると分析する。人間関係を上下関係や地位による序列で作るムラ社会がそのまま言語化されているのだと。 ある傲慢な人間がいるのではなく、同じ人間が下に対しては傲慢になり、上に対すると卑屈になる、抑圧の移譲。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲していくという指摘は面白い。 社会と言語は相互規定的。日本語話者を「前近代」に閉じ込めている、言語は一種の牢獄だ。もちろんどんな言語でも同じように、その話者にとっては”牢獄”なわけだが、これを意識するには、他の言語を学ぶのが早道。与えられた文化的伝統をどれだけ対象化し、そこからどれだけ離陸できるか。これが本来は外国語教育の基礎に置かれるべきではないのか?と読みながらふと思った。 もう一つ、フランスで著者が経験しているサロンや文学の夕べ、読書会のような催しについて、社会的ヒエラルキーを無効にする、対等性の作法が生き続ける世界だと書く。これは私を含め、このブクログにいる本好きたちも実感できることだとちょっとうれしい気持ちで読んだ。社会的な肩書や人間関係を消去した上に成り立つ、ただ本を媒介とする場は自由で楽しい。

Posted by ブクログ

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