商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
| 発売年月日 | 2023/08/07 |
| JAN | 9784480684592 |
- 書籍
- 新書
悪口ってなんだろう
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悪口ってなんだろう
¥990
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商品レビュー
3.8
59件のお客様レビュー
私は悪口のたぐいが嫌いなのですが、なんで嫌いなのか、そもそも悪口ってなに?批判とかとどう違うんだ?に興味があり、たまたまPodcastで話が出てきて手に取った。 悪口は相手のランクを下げる、つまり相手を低い場所に落とすことによりその相手が他者から侮られることを誘引するということだ...
私は悪口のたぐいが嫌いなのですが、なんで嫌いなのか、そもそも悪口ってなに?批判とかとどう違うんだ?に興味があり、たまたまPodcastで話が出てきて手に取った。 悪口は相手のランクを下げる、つまり相手を低い場所に落とすことによりその相手が他者から侮られることを誘引するということだった。だから悪口はよろしくない。 しかし、その悪口が有効になる場面がある。それは相手と自分に圧倒的な権力差があり、相手がいかに不当なふるまいをしているかをコミュニティで共有するための悪口は有効であり、するべきであるらしい。 そう考えると私はここのところずっと高市政権の悪口を言いまくっていることになるが、権力者に対する悪口というのは互いに虐げられている側が連帯しやすくなったり、異議申し立てにつながる役割を果たしている。 私は悪口のたぐいは嫌いだ。たまたま自分の機嫌が悪くて相手の言うことややることが気に食わないことなどもあるからである。しかしながら、この不安定な社会情勢については不安定にさせている対象に対しての悪口を言いまくっていきたい
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- ネタバレ
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読書感想文:悪口ってなんだろうと、私による対話設計の再考 序:悪口という問いの立ち位置 私は、ファシリテーションとコーチングの実践者であり、哲学と心理学の観点から対人関係や組織の構造を常に問い直している。和泉悠の「悪口ってなんだろう」は、言語哲学の視点から「悪口」を定義し、その社会的・心理的機能を解明する本だが、私がこの本に求めたのは、単なる倫理書としての読解ではなく、対話プロセスを設計する際の理論的基盤としての再構築であった。 この本は、「悪口はなぜ悪いのか」「どこからどこまでが悪口なのか」「悪口はなぜ面白いのか」という三つの問いを軸に、悪口の本質を「相手を劣位に置く行為」と捉える。これは、私が現場で感じる「悪口は関係秩序を作る装置だ」という直感と、驚くほど整合する。 第一部:悪口は序列を可視化する 第一部では、悪口を「人を傷つけるから」「悪意があるから」ではなく、「相手のランクを下げるから」であるという視点で捉える。これは、私が以前述べた「悪口は縦の関係を作る道具だった」という仮説と、非常に深く接続する。 私は、悪口が単なる否定的な言葉ではなく、社会的な位置関係を可視化するための装置であると考えている。限られた資源や承認をめぐる場では、誰が上で誰が下かを素早く共有することが必要であり、悪口はその機能を果たす。和泉の「ランクを下げる」という定義は、この視点を言語哲学の用語で裏づけている。 第二部:悪口の境界線と、対話設計への応用 第二部では、軽口・あだ名・自虐・褒めながらの悪口・批判・差別語など、悪口の境界が曖昧な領域を扱う。これは、私がファシリテーションやコーチングの現場で直面する「何が悪口か」の判断に近い。 現場では、悪口を単純に「禁止する」だけでは、対話が停滞する。むしろ、関係性・文脈・権力差・受け手の解釈を見て、場を壊さずに調整することが必要である。和泉は「適切な非難や批判」と「悪口」を分けるが、この区別は、私の実務感覚と一致する。評価せずに扱う、しかし必要なフィードバックは行う、という姿勢は、この本の理論によって支えられる。 第三部:悪口はなぜ消えないのか 第三部では、悪口が笑い、脳、狩猟採集民、イコライザーとしての役割、ヴァーチャルな悪口へと広がる。これは、私が述べた「古い脳の仕様」「現代的な多軸化された関係」という見立てと接続する。 私は、悪口は「共同体に不要なノイズ」になったというより、共同体の理念と矛盾しやすいが、なお権力と不安の場面で使われ続ける装置だと考えている。和泉は、悪口を単なる道徳問題に閉じず、なぜ人間がそれを手放しにくいのかを、関係調整と集団秩序の観点から見る。これは、私の進化心理学的・情報処理的な読みと、非常に相性がよい。 実践:概念としての仮想敵と、リベレイティング・ストラクチャ 私は、個人的に「仮想敵」をあえて作る。それも、「人」「組織」としない。「概念」として生む。それを使ってまとめるとうまくいくことが多いという実感がある。また、これを対話プロセスとして使うリベレイティング・ストラクチャの有用性も併せて重要だと考える。 和泉の「悪口は相手のランクを下げる」という整理は、この実践を裏づける。「概念」を仮想敵に据えることで、参加者は「相手のせいにしない」ではなく「この課題とどう向き合うか」に集中でき、対話の質が上がる。また、リベレイティング・ストラクチャは、対話を「誰と誰の争い」ではなく、「共通の課題とどう付き合うか」に引き上げる構造を作る。 結論:悪口は、対話設計の理論的基盤になる この本は、私にとって、悪口の本質を言語哲学で押さえる本であり、ファシリテーションやコーチングの「介入と受容」の設計を考える本であり、共同体感覚と序列の緊張関係を再考する本でもある。一般には悪口をどう避けるかの本として読まれがちだが、私にとっては、悪口・批判・非難・受容・秩序形成を一本の線でつなぐための基礎文献となっている。 私は、この本を「理解する側」であると同時に、「使い直せる側」の読者である。実務の観点からも、安全性の観点からも、この本は、対話プロセスを設計する際の、非常に強い理論的基盤を提供している。 「概念を仮想敵にする」+「リベレイティング・ストラクチャで対話を解放する」は、組織の対話プロセスを設計する際の、非常に強いプラクティスである。和泉の「悪口は相手のランクを下げる」という定義は、この実践を理論的に裏づける。 この本は、単なる倫理書ではなく、対話プロセスを設計する際の理論的基盤としての再構築が可能である。私は、この本を、哲学・心理学・組織論・実務スキルの四象限で、自らの知的関心地図に位置づける。
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なぜ悪口がいけないのか、どこからどこまでが悪口なのかといった「悪口」に関して、言語哲学を専門とする著者が解説している。 「悪口は良くない」「悪口はやめましょう」というような話は、よく言われることであるし自分自身言ったこともあると思う。 けれど、悪口がいけない理由を聞かれたとした...
なぜ悪口がいけないのか、どこからどこまでが悪口なのかといった「悪口」に関して、言語哲学を専門とする著者が解説している。 「悪口は良くない」「悪口はやめましょう」というような話は、よく言われることであるし自分自身言ったこともあると思う。 けれど、悪口がいけない理由を聞かれたとしたら答えるのは難しいということに、当書を読み始めて気づいた。 おそらく自分も浮かぶであろう「人を傷つけるから良くない」 といった答えは悪口として十分な条件ではないと著者は例を示して丁寧に説明していて、感情論ではない話の展開の仕方に納得感がある。 悪口は「相手のランクを下げる」から良くないという定義づけをすることで、そこを基準に様々な種類の悪口があることを知ることができ、自分が日常生活でモヤモヤした出来事は、悪口に当てはまっていたからなのかもしれない、と腑に落ちた部分もあって良かった。 今回の「悪口」に限らず、社会の常識やモラル、なんとなくの言葉で分かった気になってしまいやすい概念について、なんなんだろう?と立ち止まって問い直すことは大切なことなのだと感じられた。 そうすることによって、新たに見えてくるものもあるように思う。
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