商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 産業能率大学出版部 |
発売年月日 | 2023/03/24 |
JAN | 9784382158351 |
- 書籍
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心理的安全性がつくりだす組織の未来
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心理的安全性がつくりだす組織の未来
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タイトルである、「心理的安全性」という言葉すら知らない状態から読み始めました。 歴史・著者のコンサルティングでの体験談・インタビューなど多くの角度から心理的安全性について書かれており、今後社会人としてどう働いていくか、いずれリーダーになったときどういう組織づくりをしていく事が必...
タイトルである、「心理的安全性」という言葉すら知らない状態から読み始めました。 歴史・著者のコンサルティングでの体験談・インタビューなど多くの角度から心理的安全性について書かれており、今後社会人としてどう働いていくか、いずれリーダーになったときどういう組織づくりをしていく事が必要なのか考えるきっかけになりました。 まだ社会人としての経験が浅い段階でこの本に出会えて嬉しく思います。 これから歳を重ねまた立場が変わったときに読み返し自分を見つめなおし、今感じた気持ちを思い出せるといいなと感じます。
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話題の心理的安全性について取り上げたビジネス書である。副題は「アメリカ発の心理的安全性を日本流に転換せよ」とある。ここには昭和の日本型経営からの脱却を述べつつも、日本型の良さは維持しようという中途半端な弱さを感じる。 しかし、本書の内容は日本型の良さを残そうという主張ではない。...
話題の心理的安全性について取り上げたビジネス書である。副題は「アメリカ発の心理的安全性を日本流に転換せよ」とある。ここには昭和の日本型経営からの脱却を述べつつも、日本型の良さは維持しようという中途半端な弱さを感じる。 しかし、本書の内容は日本型の良さを残そうという主張ではない。むしろ日本の組織に心理的安全性を導入するためにはどうすればいいかに力点がある。心理的安全性という考え方自体を日本流に改変する主張ではない。日本には日本型を良いと思っている人もいるため、そのような副題を付した方が読者に受け入れられやすいと考えたのだろうか。 管見は日本型集団主義が個人を抑圧し、生き辛さの元凶と考える。心理的安全性が低い原因は日本型手段主義の同調圧力である。それ故に日本型からの徹底した脱却を志向する。和魂洋才ではなく、福沢諭吉の脱亜入欧の精神を求めたい。心理的安全性の議論で和魂洋才のスタンスに立つと、中途半端になるだろう。 日本型の破壊や脱却と言うと日本人として抵抗感を抱く向きもあるだろう。それは日本型と日本と同一視してしまうことによる問題である。日本型と言っても日本の歴史の中の昭和という一時期の特徴である。その時代の日本の特徴が同時代の外国と比べて特異であったために日本型と命名された。本書は第3章で「日本の精神文化」を取り上げるが、Ruth Benedict, The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Cultureなど20世紀の研究に依拠している。 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』などを観れば理解できるが、過去の時代の日本人は集団主義的な日本人でまとめられるものではない。日本人が特異というよりも昭和が異常であった。昭和の悪習を否定することは日本の長い歴史を知っているならば自虐ではない。昭和の否定は21世紀の日本人として誇りを持って取り組めるものである。 本書は各章の最後に「まとめ」を掲載しており、何を主張したいかが理解しやすくなっている。心理的安全性の高い組織にすればどうすれば良いかというHOW TOは第4章が中心である。本書は組織の透明性を高めることを指摘する。 「企業情報を積極的に公開すればするほど安心感が増し、その情報の精度が高ければ高いほど、信頼感が醸成される」(74頁)。これは日本型組織に最も欠けているものである。本書は企業を念頭に置いているが、企業以上に公務員組織に顕著である。 本書は透明性を高める能力を「透明力」と表現する(74頁)。これはナイスな表現である。日本型組織は「情報公開をしましょう」と言われても中々実践しない。点数稼ぎの無能公務員体質は組織全体や社会全体を良くするためには動かない。そこで透明力という指標が意味を持つ。昭和の組織は「透明力に欠けている」と全否定された方が良い。 著者は『「グチ活」会議 社員のホンネをお金に変える技術』という書籍も出している。本書でもグチ活を紹介する。会議をセレモニーと扱う昭和の組織では愚痴を言うこと自体を抑圧する体質がある。しかし、問題点を指摘することは大事なことである。 単なるセレモニーとして滞りなく進行させることが目的ならば会議の開催自体に意味がない。資料を共有すればよいだけである。本書は会議ではアジェンダの事前共有を求めている。形式化した会議に意味はない。 後半は具体例を紹介する。食品加工会社の事例では「アンケート調査により分かったことは、流通側は地産地消にこだわっているものの、消費者はそれほどでもないという結果でした」とする(135頁)。これは目から鱗である。意識の高い消費者は地産地消にこだわるという先入観があったが、実は流通側がこだわっている。地産地消が素晴らしいという消費者像自体が流通側に作られたものである可能性がある。 これは賢い消費者を目指す上で考えさせられる。たとえばフードロスをなくすことはSDGs; Sustainable Development Goalsでも求められているものである。消費者が自分で食べきれないほどの食事を注文する飽食は軽蔑されることである。 一方で節分の時期の恵方巻や誤った大量発注に見られる企業の問題について、消費者側の努力でフードロスを回避させることは筋違いである。目の前の問題を解決するために消費者に負担を押し付けることは不合理である。そのようなことに対応できることが立派な消費者ではない。
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