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テロルの原点 安田善次郎暗殺事件 新潮文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2023/01/30 |
JAN | 9784101365732 |
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テロルの原点
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テロルの原点
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事件の社会的・歴史的な意義
1921(大正10)年神奈川県大磯において、無名の青年が安田財閥の創始者・安田善次郎を計画性と覚悟をもって刺殺し、その場で自死した。本書は、世にいうこの「安田善次郎刺殺事件」の犯人・朝日平吾の人物像に迫るとともに、事件の社会的・歴史的な意義を問い、現代社会に向けて発信した力作であ...
1921(大正10)年神奈川県大磯において、無名の青年が安田財閥の創始者・安田善次郎を計画性と覚悟をもって刺殺し、その場で自死した。本書は、世にいうこの「安田善次郎刺殺事件」の犯人・朝日平吾の人物像に迫るとともに、事件の社会的・歴史的な意義を問い、現代社会に向けて発信した力作である。著者は事件当時の時代背景を明らかにしながら、朝日の半生や思想、行動原理などその実像について、残存する関係資料から取材し、極力推論を排しつつ真摯に追究しようとしており、その労を多とすべきであろう。そのようなアプローチ・プロセスを経て、著者は現在の閉塞感に満ちた日本社会と日本人の中に、事件当時と共通の「時代の空気」を嗅ぎ取り、朝日の鬱屈や承認欲求と極めて似た感性の表出を見ている。国家権力による治安維持と国民統制の強化を招き、負の連鎖しか生まないテロやクーデターという暴力は、決して賞賛・容認されることがあってはならない。本書で著者が発している警告は正鵠を得ているというべきであり、銘記したい。
fugyogyo
寂しさというものがテロを起こさせるのか。どう見ても、本人が悪いと三者的には感じるが、本人はそんな気もないのだろう。 そんな中、文庫版あと書きで元首相銃撃に関して「社会を変えるには、こんな手があったか」という声が書かれていた。恐ろしいベクトルだ。自分として、周りの人が少しでも良い...
寂しさというものがテロを起こさせるのか。どう見ても、本人が悪いと三者的には感じるが、本人はそんな気もないのだろう。 そんな中、文庫版あと書きで元首相銃撃に関して「社会を変えるには、こんな手があったか」という声が書かれていた。恐ろしいベクトルだ。自分として、周りの人が少しでも良い状況でいられるようにつとめたい。
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テロルの原点 安田善次郎暗殺事件 中島岳志 凄い本を読んでしまった。少なくとも2023年では暫定1位である。 個人的に、今年の年始にタモリが番組内で「2023年はどのような年になるのでしょうか」と聴かれた際に、「新しい戦前になるのではないでしょうか」と発言したことが、ずっと印...
テロルの原点 安田善次郎暗殺事件 中島岳志 凄い本を読んでしまった。少なくとも2023年では暫定1位である。 個人的に、今年の年始にタモリが番組内で「2023年はどのような年になるのでしょうか」と聴かれた際に、「新しい戦前になるのではないでしょうか」と発言したことが、ずっと印象に残っている。 そうした中で、今年に入ってから同じく中島岳志氏の『血盟団事件』、小島俊樹氏の『五・一五事件』、そして本書を手に取った。なぜなら、新しい戦前の起点をどこにするかということの参照点は、やはり私自身も安倍首相の銃撃事件にあり、1930年代のテロリズムの脅威と、この事件に重なりを見出さざるを得ない。 私自身、これらの3冊を読んだ感想としては、現在27歳の私と同年代もしくはそれより若い人々が、貧富の差に喘ぎ、社会の在り方を希求するがゆえに暴走してしまった結果として1930年代のテロリズムがあるというものである。 本書の文庫本あとがきには、私も共有する中島氏の確かな危機感を表した以下の文章がある。 テロやクーデターは、必ずや国家の治安維持的暴力を肥大化させる。だから、賢い方法ではない。しかし、むき出しの資本主義が人間の生存を脅かし、その実存までも揺るがすとき、社会の片隅から漏れ出した鬱屈が、テロリズムという凶行となって表出する。「自己であることの欲望」がそのまま暴力へと繋がってしまう。そして、そのような暴力を、社会が「世直し」ととらえるとき、悲劇は時代とともに加速していく。 私たちが、朝日平吾以降の歴史の顛末から学ぶべきことは、実は多い。(P244) だから、そんなテロが起きないように、社会を立て直していかなければならない。多くの人の居場所を作っていかなければならない。承認格差が是正されるような社会の在り方を構想し、実現を目指していかなくてはならない。「社会的包摂」や「地域社会の相互扶助」を本気で考えなければならない。(P245) 不幸にもテロが起きてしまったとき、私たちはもう一度、朝日平吾以降の歴史のプロセスに遡行して、現代社会を見つめなおす必要がある。朝日以降の社会が、テロの連鎖を生んでいったプロセスを直視し、その結果がいかなる悲劇を招いたかを知らなければならない。(P245) 私は、無論テロを賛美しないし、暴力に断固として反対する。しかしながら、本書で描かれ、苦悩し続ける朝日平吾や、血盟団事件の井上日召や小沼正が苦しんだ社会像もまた、凄惨なるものであり、中島氏の言うようなむき出しの資本主義によって、実存的不安をも持てない状況を現代に再現してはならない。サルトルによれば、我々人間は何をなすべきかの目的を持たずに生まれてくる。実存が本質に先立つのである。自分の本質はわからないが、近代では完全なる自由の下、あらゆる行動が自己責任として自分の前に降りかかる。そんな自由の刑の下で、私たちは葛藤しながらコミュニティや活動に心血を注ぐことで、自分自身の自由の刑を縮小しつつ、自身の本質を見出していく。 朝日平吾は、その性格も理由ではあるが、徹底的に家族やコミュニティから拒絶され続けてきた。また、労働者のための、世直しのための事業に関しても渋沢栄一を除き、多くの富裕層から拒絶された。逆恨みでこそあれ、朝日の実存を承認し、自己の本質を見出すプロセスが悉く頓挫している。拒絶され続けた結果、彼の計画は誇大的となり、虚しい妄想と化していく。映画でホアキン・フェニックスが演じたJOKERそのものであろう。社会はますます混迷を深め、新たな戦前の岐路に立っている。 朝日とJOKERは自分の周囲から徹底的に見放され、凶行に走った。そのプロセスを再現させてしまうのでは、私たちが歴史を学ぶ意味がない。 これは三島が『文化防衛論』でもは話していることだが、人間は徹底的に怖いものである。自分自身への恐怖、他者に内在するどう猛さへの恐怖、これらが社会を成り立たせる。社会に総取りはない。社会は人間に内在する凶暴性にもっと関心を向けるべきであろう。そんなことを学んだ本である。
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