商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2022/12/13 |
JAN | 9784622095569 |
- 書籍
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絵画とタイトル
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絵画とタイトル
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かつて、画家が自作にタイトルをつけることは当たり前ではなかった。絵画にタイトルが必要とされ、画家自身がタイトルをつけるようになるまでには、鑑賞者側のリテラシーの変遷とメディアの影響力が大きく関わっていた。タイトルをつけるという行為に着目することで、西洋美術史上において絵と言葉の関...
かつて、画家が自作にタイトルをつけることは当たり前ではなかった。絵画にタイトルが必要とされ、画家自身がタイトルをつけるようになるまでには、鑑賞者側のリテラシーの変遷とメディアの影響力が大きく関わっていた。タイトルをつけるという行為に着目することで、西洋美術史上において絵と言葉の関係が変化する転換点を指し示した刺激的な美術評論。 今でこそタイトルは作品に付随する言葉群のなかでも一番象徴的で絶対的なものとみなされているけれど、それがあって当たり前と考えられるようになるまでには歴史的な転換があった。 本書の第一部は「仲介者」、つまり画商など目録を作る人たちがタイトルにあたるものを考えていた前史的な時代からまず語り起こしていく。パトロンによる依頼制作ではなく、「出来合いの絵」を売る市場経済が発展し始める過程で、絵の特徴を短い言葉で表す必要が生じてきた。そうしてリストに載ったタイトルは「流通の副産物」であり、創造的なものではなく説明書きのようなものだった。キャンバスの裏にタイトルを書き込む画家が現れるのはやっと18世紀末だという。 第二部の「見る人」では、鑑賞者側のリテラシーに視線を向ける。まず、「絶対に本人が名付けていないブリューゲルの『イカロスの墜落のある風景』は本当にイカロスを描いているのか」をめぐる議論が面白すぎる。確かにあれだけ情報量の多い絵なのに、タイトル一つで隅っこに描かれた溺れる脚ばかり注目されるようになってしまったんだからその力は絶大だ。 一般大衆に絵のタイトルが知られ、その影響力が増していく過程には印刷技術の発展と識字率の向上があった。限られた人しか見られない一点物の油彩に対して、複製版画のイメージ拡散力が大きな役割を果たすようになる。複製版画家はいわば編集者のように振る舞い、余白には勝手に独自のタイトルや詞書を添えた。しかも、版画という形式はキャンバスよりもずっと言葉の世界との結びつきが強い。ここでイメージにはタイトルがあると認識される土壌ができあがる。 フランス革命以後、美術は大衆に開かれたが、図像学的な文脈を共有していない人びとにとって絵はもはや文学よりも難解だった。リテラシーが上がり、誰もが〈読者〉になったことで絵と言葉の関係性が逆転したのだ。何が描かれているのかを知るために大衆はタイトルを求める。イーゼルによれば、美術の民主化こそが「絵画にはタイトルがある」という前提を作りだした転換点なのである。 第三部の「画家」では、タイトルが持つ力を理解してセルフプロデュースに活かした画家たちの系譜を辿っていく。私は今までターナーを「ちっちゃい人間たちがいなければもっといい絵なのになぁ」と思いながら見ていたが、それこそが歴史画を偏重して風景画を下に見るアカデミーの意向に合わせつつ、物語を視覚に従わせる新しいジャンル〈歴史的風景画〉を打ち立てるために描かれていたと知って、完全にノックアウトされてしまった。原典がないものを歴史画に見せるため、どっかから引用してきたふりをして自作の詩をタイトルに使ったり、この人やってることがゴシック作家である。 その後メディアが力を持ち始め、言葉によるイメージをコントロールすることは画家にとってますます重要になっていく。クールベやホイッスラーのように野心あふれる画家たちは、混乱を招くようなタイトルを捻りだして世論を賑わせる。 マグリットの章は本書のハイライトだ。ソシュール以後、言葉-モノ-イメージの繋がりが絶たれた世界で、マグリットは多くの作品に画面に描かれたものと何の関連性も見いだせないタイトルをつけた。彼の狙いは、絵が見る人にとって「安心できる文脈」にたやすく回収されるのを防ぐことだった。タイトルはあたかも解釈の鍵になるかのような顔をした「偽りの鍵」、という表現が気に入った。本物は存在しないのに偽物だけがあるという状況はシュルレアリスムそのものだ。 20世紀以降、タイトルの役割は画家と見る人とのあいだで地理的・文化的に途切れてしまった文脈を再構築するという機能から、独自のコンセプトを提示するためのツールへと変わっていく。だがそのことは、画家自身が絵画と言葉の共犯関係を是認する新しい物語の危うい始まりの一歩でもあった。今のコンセプチュアルアートがどんなふうに生まれてきたのか、というか「現代アートとは何なのか」の基礎のところにある絵画と言葉とメディアの相互補完的な関係は、タイトル付けという行為から始まったのではないかとすら思う。タイトルの概念を通じて、現代アートの概念が生まれる道筋を理解できたような気がした。
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