商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2022/05/26 |
| JAN | 9784065277423 |
- 書籍
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新しい声を聞くぼくたち
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新しい声を聞くぼくたち
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商品レビュー
3.7
11件のお客様レビュー
抽象的なところは、申し訳ないけれど難しかった。 作品解説の部分は面白かったかも。 ジブリ作品 確かに、ジブリ作品の男性は女性を助ける助力者としての役割。それが弱者男性としての生き残り戦略。 アナと雪の女王 否定的な感情を取り締まることを中心とした作品。 エルサのもっとも大きな...
抽象的なところは、申し訳ないけれど難しかった。 作品解説の部分は面白かったかも。 ジブリ作品 確かに、ジブリ作品の男性は女性を助ける助力者としての役割。それが弱者男性としての生き残り戦略。 アナと雪の女王 否定的な感情を取り締まることを中心とした作品。 エルサのもっとも大きな試練は感情をコントロールすること。 エルサの魔法の力は、アナが突然の結婚を伝えたことに対する驚きと怒りの感情を抑えられないことによって、暴走を始める。そしてその暴走を解決するのは、アナとの和解と愛の確認。 アナ(上機嫌、幸福感)、エルサ(不機嫌、怒り)のせめぎあい。 男性も女性も、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」がなくなって自由になった反面、理想像が見えなかったり高すぎたり、難しい時代だなぁと思ったり。 以下メモ ・今はポストフェミニズム フェミニズムは終わり、法的には男女の平等が達成された時代。ポストフェミニズムでは女性は「完璧である」ことを求められる」。同様に男性も完璧を求められる。 ・弱者男性論 フェミニズムが主流になり、男性の権利がはく奪されている。 ・ジェンダー 男女は自然に分かれていて、社会における様々な役割の差もそこから出てきている、に反論する立場。 性差は社会的に構築されている。 ・男は黙ってサッポロビール、から、仕事でも家庭でもコミュニケーションが求められる時代に。 ・障害の社会モデル 障害は人間ではなく社会の側に存在する。 車いすで登れない段差があった場合、「障害」は段差を登れない人間の側にあるのではなく、段差そのもの、もしくはその段差を除去できない社会の側にある。 ・学習社会 終わりなき成長。人間の能力は常に更新され続けるべきものであって、引退して隠遁生活を楽しむのはおろか、そもそも人間の能力が「完成」されることは不可能。
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『新しい声を聞くぼくたち』を読んだ。 強く心に残ったのは、男性性をめぐる物語がどうしても「個人の努力」に結びついてしまうという指摘。ケアできる男性や新しい男性性を獲得することが良いことのように語られても、それが結局は別の形のマッチョイズムになってしまうのではないか。そこに上手く馴...
『新しい声を聞くぼくたち』を読んだ。 強く心に残ったのは、男性性をめぐる物語がどうしても「個人の努力」に結びついてしまうという指摘。ケアできる男性や新しい男性性を獲得することが良いことのように語られても、それが結局は別の形のマッチョイズムになってしまうのではないか。そこに上手く馴染めず、ひとり袋小路で苦しむ人もいるかもしれない。そう思うと、胸が少しざわついた。 新自由主義のもとでは「ケア」や「連帯」でさえ個人の資質や努力として語られがちで、そこから外れる人を排除してしまう危うさもある。けれど、そうした視点を言葉にしてくれることで、自分が日々あたりまえに受け取っていた考え方を少し立ち止まって見直すことができた気がする。 男性から男性へのミソジニーや、「ケア=助力したいという男性的欲望」という指摘、「無口こそ男らしい」から「コミュ力が男らしい」へという移り変わりなど、ハッとさせられる発見もたくさんあった。読み終えて、知らなかったことに気づかせてもらえた。
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フェミニズム論の立場から映画、漫画などサブカルチャーを評論する。面白いのは、そこから推測されるような、サブカルチャーに現れるミソジニー的傾向を明らかにする、わけではないことだと思う。むしろ、本書の主眼は、現代的な価値観の中で望ましいとされるケアする男性、イクメン的男性が、アッパー...
フェミニズム論の立場から映画、漫画などサブカルチャーを評論する。面白いのは、そこから推測されるような、サブカルチャーに現れるミソジニー的傾向を明らかにする、わけではないことだと思う。むしろ、本書の主眼は、現代的な価値観の中で望ましいとされるケアする男性、イクメン的男性が、アッパーミドルの価値観=ネオリベラリズムと結びついているのではないかという問題提起にあるのだと思う。もちろんそういったフェミニズム的な価値観を否定するわけではなく、ポストフェミニズム的な状況からこぼれおちるものがミソジニーに結びついてしまう現状があることで議論を一歩進めている。障害者の負う障害が「個性」とみられることで障害者への支援が削減され、働ける障害者と働けない障害者の間での区別がなされるようになるという議論も背景にあるというのもはっとさせられる。ただ、当然ながらフェミニズム以前に戻ればよいという話ではなくその次を見据えてどうしたらという点については、自分の理解不足もあって見通せていないのではないか、とも思ってしまった。
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