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学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか ちくまプリマー新書401
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
| 発売年月日 | 2022/05/11 |
| JAN | 9784480684288 |
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学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか
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学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか
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商品レビュー
4.1
31件のお客様レビュー
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馬を水飲み場に連れて行く事は出来るが、 水を飲ませる事は出来ない。 好きなことわざ。 学校が好きじゃない次男の事だけ考えると、 個別最適化でいいじゃない、 通学する必要ってあるの?と思ってしまうけど、 学校がなければ学習機会が得られない子供、 というのも確かにいるだろうなあ。 ...
馬を水飲み場に連れて行く事は出来るが、 水を飲ませる事は出来ない。 好きなことわざ。 学校が好きじゃない次男の事だけ考えると、 個別最適化でいいじゃない、 通学する必要ってあるの?と思ってしまうけど、 学校がなければ学習機会が得られない子供、 というのも確かにいるだろうなあ。 集団でいる事が苦痛、という子供もいるだろうけど。 オプションがいろいろあるといいのかなぁ。 登校すべき子が来なくなったりしちゃうだろうか。 道徳は教えるのが難しいけど、 頑張ってる授業はあるな、と思う。 劇にしてロールプレイやらせるとか、 現場は工夫してて感心しています。 むしろ大人の道徳教育が必要かも、と時々思う。 個人的に犯罪者の再犯防止のための教育は、 本当に研究進めてほしい。 フランスでは3歳から義務教育。 ってどこかで読んだ。移民については2歳半からで、フランス語と文化を早い内に身につけさせるって。 ドイツのサッカークラブは 二学年毎のまとまりでチーム作って練習させるって。上下関係で下の学年の子が不利にならない様な配慮。実戦経験が積めるらしい。 みんなあれこれ工夫してる。 知見を集めてより良い方向に行けるといい。 その準備をするために必要なのが学校ってこと? 長い廊下はつまらないけどね、確かに。 読みたい関連本が増えました。 憲法前文も全文きちんと読みたいです。
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★教育の本質的な不確実性や限界について 教育にできることは限られている上に、しばしば容易に失敗してしまう。 教育は本質的に、他者の学習を組織化「しようとする」ことにあります。 「治療する」と「治癒する」とは違うように、望ましい結果が得られるとは限らないわけです。 教育の失敗は、「効果なし」だけでなく、「かえって悪影響」ということもありえます。 教育には、何を学ばせるべきか、どう学ばせるべきかについて、果てしない論争や対立が生まれてきました。 どう学ばせるかという「意図」の中身を議論しはじめると、私たちは非常に複雑な対立の中でものを考えなければいけなくなるのです。 「意図」には、なにかをやろうとする本人の側に焦点を当てて、教育で何をどう教えるかを考えていく個人中心主義の考え方や、社会の側で今の子どもにこういうことを学んでほしいからこれを学ばせようという社会中心主義の考え方があります。 通常、教育はなくとも、学習(=社会化 学び)は発生します。 社会化とは、人が外にある何かを自分の知識や感じ方として学ぶことです。なので個人が学習することの多くは、たいていの場合、社会化とほぼ同じ意味になります。 ひとはあらゆるものに社会化されることで成長していきます。つまり、学校教育はたくさんの社会化エージェントの中の一つにすぎません。そのため子どもの身の回りの環境を「教育的」なもので満たしてしまいたいという衝動を、しばしば大人は持っています。学校の外の、他の社会化エージェントを抑圧したり取り締まったりして、「見せない」とか「持たせない」とかいった動きがくり返されてきました。 これは、特殊な場、特殊なルール、特殊な雰囲気を作り出すことで、学校がさまざまな仕掛けで子どもたちに学習活動に没入させようとしてきたということです。 鈴木篤さんの論文のまとめ部分を引用します。 学校教育という制度が『機能を果たすためには、家族など他のシステムから生徒を切り離して学級という制度へ囲い込み、非対称的な教師-生徒関係の中へと導き入れ、学級という制度の助けを借りて彼らの定期的・継続的な相互行為を維持・存続させること、学習意欲を奮起すること、そして定期的に記録(選別)を行う一方で、記録されない彼らの過去を消去することなどが重要であった。さらに、そうした活動を担う教師を確保し、(その教師の能力にかかわらず)そうした活動を円滑に機能させていくためには、様々な補助的装置も不可欠なものであった。』 鈴木篤さんの論文では、このような特徴をもつこれまでの対面型の学校教育の機能を何らかの形で確保しない限り、インターネットを介した非対面式の遠隔型授業では代替しえない、と考察されています。 これまでの学級制度は具体的には、他から切り離された空間において、上下の役割構造によって振る舞い方を規定し、時間とメンバーを固定し継続的な相互行為が可能になるように作動します。また、テストにより長期的な参加を動機づけると同時に節目節目でリセットを加え、意欲の向上を仕向けます。 濱中淳子さんが「できる大卒」と「できる高卒」との違いについて分析された研究結果があります。「仕事のできる/できない」は、所得で表されます。 高卒では、「上司との対話時間の頻度」と、「ロールモデルの存在」が所得との間に有意な相関があるそうです。高卒の方はあまり昇進せず基本的に同じポストで一つの仕事にずっと携わることが多いので、職場の人間関係のなかで考えを深めて行ける人が「できる人」になるというふうに解釈できます。 大卒では、「自己学習時間」に有意な相関が見られるそうです。大卒の方は昇進していくことで仕事がどんどん高度で複雑なものに変化します。その中では、環境要因に依らない学習の必要があるというふうに解釈できます。
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