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誰も加害者を裁けない 京都亀岡集団登校事故遺族の10年
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誰も加害者を裁けない 京都亀岡集団登校事故遺族の10年

広瀬一隆(著者)

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誰も加害者を裁けない 京都亀岡集団登校事故遺族の10年

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 晃洋書房
発売年月日 2022/03/29
JAN 9784771036079

誰も加害者を裁けない

¥1,540

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2023/02/03

2012年の京都の亀岡の事故。未成年の少年たちが、無免許で車を運転し、丸2日ほどろくに睡眠もとらないまま遊びまわって、登校の児童の列に車で突っ込んだ事故。小学生二人と同行していた妊婦、その胎児も、合計4人が亡くなり、そのあまりの事態に全国的にかなり大きく報道されていた。もうあれか...

2012年の京都の亀岡の事故。未成年の少年たちが、無免許で車を運転し、丸2日ほどろくに睡眠もとらないまま遊びまわって、登校の児童の列に車で突っ込んだ事故。小学生二人と同行していた妊婦、その胎児も、合計4人が亡くなり、そのあまりの事態に全国的にかなり大きく報道されていた。もうあれから10年以上の月日が経っている。 亡くなった妊婦の父は、事故当初から取材をよく受けていたので記憶に残っていた。昨年、時々主催する講演などを聴きにいくことがあったNPO法人が、その父を呼んで話をしてもらうというので驚いた。そのNPOは、触法少年の更生を支援している団体なのだ。いや、確かあのお父さんは、事故を起こした少年たちに苛烈な処罰感情をもっていたのではなかったか。強い口調で少年らの行動を断罪していたのではなかったか。 実際、彼の話を聴きに行ってみてわかったことは、更生保護活動を行っている今でも、あの少年を許したわけではない、ということだった。ただ、こんな思いをする被害者、被害者遺族をもう出さないためには、触法少年たちを更生させるしかない、彼らに、もうこれ以上道を誤らせないことしかない、そうしないでいられないくらい、娘を亡くしたことが辛く、また加害者を許すことができない、という、アンビバレントにすら思える遺族の強い葛藤と苦しみからの行動だ、ということだ。 ご本人自身、何が正解なのかわからない、と苦しんでおられた。加害者を殺してやりたいくらい憎いが、それをやっては自分が加害者になってしまう、それだけは避けなければならない、なぜならば自分が、自分の娘が、加害者に苦しめられているから、と。 本書の前半は、父の苦しさがあまりにも強く前に押し出されていて、読み進めるのが困難なくらいだった。 だけれども、時がたって少しずつ父やほかの遺族の発言が変わってくるのを見て、ああやはり修復的司法という手法が果たす役割というのは大きいのかもしれない、と考えた。 本書の中では、修復的司法そのものについては一切触れられていない。だがある遺族は、まさしく修復的司法の手法を、自らの体験から考えていることとして言及しているのだ。 著者も書いているが、どれだけ丁寧に話を聴こうと、どれだけ信頼関係ができようと、本当の意味で被害者遺族の気持ちを理解することはできない。それは全くその通りだと思う。だから私も、わかったようなことを言いたくはない。でも、刑罰を受けたから、服役して出所したから、それで罪の償いが終わったわけではない、償いとは、一生その罪を背負ってまっとうに生きていく、その姿を示し続ける、それしかない、そんなことを遺族の一人が話していたのを読んで、修復的司法が、やはり遺族を、そして加害者も前に進むために必要な手段なのかもしれないと思った。

Posted by ブクログ

2022/07/04

著者は京都新聞記者。 2012年4月、京都府亀岡市で交通事故があった。 集団登校中の児童らの列に、無免許かつ睡眠不足の少年の運転する車が突っ込み、3人が死亡、7人が重軽傷を負った。 本書では、この事件を軸に、被害者の思いを追う。 亀岡の事故で亡くなったのは、付き添っていた妊娠...

著者は京都新聞記者。 2012年4月、京都府亀岡市で交通事故があった。 集団登校中の児童らの列に、無免許かつ睡眠不足の少年の運転する車が突っ込み、3人が死亡、7人が重軽傷を負った。 本書では、この事件を軸に、被害者の思いを追う。 亀岡の事故で亡くなったのは、付き添っていた妊娠中の母親と小学2年生女児と3年生女児の3人である。胎児も亡くなったため実質的には4人であったともいえる。 事故の直後から、妊婦の父親が中心となり、加害者への厳罰を求める署名活動などが続けられてきた。 記者である著者は、被害者遺族らに寄り添い、折に触れ、心情を聞き取ってきた。事件後の10年の経緯をまとめたのが本書である。 この事故では結果も重大だったが、原因の軽率さも世間を驚かせた。 非行少年らが長時間に渡り、ほぼ寝ていない状況で暴走を繰り返し、ついには居眠り状態で登校児童の列に後ろから突っ込んだのである。被害者は跳ね飛ばされ、車の底や花壇の縁石で体を圧迫され、あるいは石に頭頂部を強打するなどした。 事故の結果の重大さもあってか、運転していた少年だけでなく、車を貸したもの、同乗していたものを含め、逮捕者は6人に及んだ。 だが、被害者側の望む危険運転致死傷は適用されなかった。当時の法制度では、無免許運転や居眠り運転はこれに当てはまらないとされたためだった。 被害者らは法改正を求めて運動を続けていくことになる。 この事件では、当初から、妊婦の父がクローズアップされることが多く、本書でもこの中江さんに関わる部分が多い。 仲の良い親子で、娘の結婚後も頻繁に行き来があった。会見ではしばしば加害者に対する苛烈な処罰感情も示した。強面の印象が強いが、実際は気配りの人なのだという。 激しい憤りを示した裏には、救急搬送された娘の痛ましい状況、また警察や学校から加害者側に娘の携帯番号が漏れていたこと、ネットで誹謗中傷を受けていたことなどがあった。 落ち度のなかったものが、突然、日常を奪われる。その悲惨さは想像を絶する。 中江さんは、加害者に対する激しい処罰感情を抱きながら、講演活動などにも取り組む。その中で、やがて犯罪者の更生支援にも関わっていくようになる。このあたりの心の揺れも取材は丁寧に追っていく。 父を突き動かしたのは、自身が加害者にならないためには何かをしていないと収まらないという思いだったようにも感じられる。犯人は憎い。けれども私的に復讐に走れば犯人と同じ側に立ってしまう。娘のためにもそれはできない。その葛藤が原動力であったのではないか。 同じ被害者側でも、思いは一律ではない。 妊婦の夫は義父の運動についていくことはできず、やがて距離を取ることになる。 女児の一方の親は運動にはある程度関わってきたが、他の子供たちの子育てとのバランスに悩んだ。 もう一方の親は、家族と事件を切り離すことにつとめ、表に出るのは自分のみ、運動にも深くは関わらないと決めた。 「誰も加害者を裁けない」というタイトルは被害者の心情を汲んだものだろう。つまり、現行の法体制では罪に見合う罰則は加害者側には与えられていないという思いである。 タイトルに留まらず、全体に、第三者的に事件を見ることを求められる記者の立場からすると、若干被害者側に寄り過ぎではないかと思う部分はある。加害者側が未成年ということや、収監されていたこともあり、ほぼコンタクトが取れなかったことからすると、ある程度は仕方がないのかもしれないが。 著者らは少年への厳罰に否定的な研究者の意見も取り上げている。世論の感情論に惑わされ過ぎぬよう、異なる視点の意見を入れていくことは重要なことだろう。 時代の変化に伴い、法律が時代遅れになることもあるだろう。それで不利益を被った側が少しずつ改善を求めていくしかないのか。このあたりも難しいところである。 交通事故は、殺人事件などと異なり、運転者が殺そうと思っていなくても車が凶器と化す場合もある。結局のところ、軽々しくハンドルを握るなということに尽きるのかもしれないが、それを徹底するのもまた難しいことだろう。 クリアカットな答えは出ないが、さまざま考えさせられる。

Posted by ブクログ

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