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鎌倉殿と13人の合議制 河出新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2022/01/26 |
JAN | 9784309631417 |
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鎌倉殿と13人の合議制
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鎌倉殿と13人の合議制
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鎌倉幕府とは: なぜ関東に武士の権力 京都からの独立か併存 武力を武力として行使しなかった頼朝 …… 源氏将軍の終焉と武士の覚醒 13人の合議制: 関東の秩序・地理 身分の上下感覚 武士の身分 地域格差問題 名門の血の利用価値 北関東の立ち位置 政治と教養・頼朝をめぐる女性…… ...
鎌倉幕府とは: なぜ関東に武士の権力 京都からの独立か併存 武力を武力として行使しなかった頼朝 …… 源氏将軍の終焉と武士の覚醒 13人の合議制: 関東の秩序・地理 身分の上下感覚 武士の身分 地域格差問題 名門の血の利用価値 北関東の立ち位置 政治と教養・頼朝をめぐる女性…… 頼朝以前: 前九年の役 源義朝の達成 義朝が築いたリーダーの原理 兄弟で争うことが源氏の伝統 …… 鎌倉幕府の成立: 関東の各地域の状況 文官を握る者が鎌倉を制す 13人の合議制の真実: 決定するという権力の本質 13人の横顔 そして内乱へ: 13人の合議制の行方 北条政権の本質
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鎌倉幕府の有力御家人たちの出自を辿っていくと平家になる、と作者はいう。だから「源平の戦い」などと迂闊に言って、源氏対平家という構造を想起してしまうと、このところの重要性が見えなくなるそうだ。事の始まりは僻地の関東地方にやって来て大土地所有を始めた人々がまず平家だった。平家が土地を...
鎌倉幕府の有力御家人たちの出自を辿っていくと平家になる、と作者はいう。だから「源平の戦い」などと迂闊に言って、源氏対平家という構造を想起してしまうと、このところの重要性が見えなくなるそうだ。事の始まりは僻地の関東地方にやって来て大土地所有を始めた人々がまず平家だった。平家が土地を開拓し、やがて平将門たちが出てきた。そして成果をあげると美味しいところを吸収して伊勢に移っていった。その、いわば残り物を漁りに来たのが源氏の、源頼義・義家の親子となる。その後、義親と為義という腕っぷしが強いだけで謀反人にさえされる無能力者が2代続けて出た事で源氏はすっかり落ちぶれる。つまり関東において「前九年の役・後三年の役」からずっと源氏と東国武士との関係が続いていると考えると見誤る。そこに連続性はない。断絶している。その落ちぶれた源氏を再び盛りかえしたのが頼朝の父・義朝で、それがために頼朝は義朝を深く尊敬していたのだろう。義朝の功績の中には1143年の「相馬御厨乱入事件」と1144年の「大場御厨乱入事件」がある。さて、鎌倉幕府の13人の合議制には北条時政をリーダーとする北条派と反北条派がいたという。反北条派は時政にとって都合の悪い比企能員、梶原景時、八田知家、足立遠元の4人。時政はこれらの人物を疎ましく思い、排除しにかかる。梶原景時、比企能員は謀殺され、残り2名も殺されはしないが歴史の表舞台に出てこなくなる。しかし後に北条時政自身が平賀朝雅を実朝に代わる将軍に据えようと画策し、息子の義時に反対されて失脚する。このあたりの事はNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていたので少し覚えている。後鳥羽上皇に官位をもらい鎌倉という田舎より京都での雅な生活にあこがれを抱いていた実朝は公暁に殺されるが鎌倉幕府の御家人たちにしてみると「もうあいつはいらない」という認識が総意になり、行われた事ではないかと作者は言う。その後の鎌倉幕府は朝廷との関係を軽視し「京都の事を気にする必要はない」という独自路線に進む。実朝が殺された後、北条政権は摂関家から貴公子を戴いて「摂家将軍」を置くが、それは飾りだけの王であった。詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou28109.html
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十三人の合議制の成立と崩壊、源実朝暗殺までを描く歴史書。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の復習になる。 鎌倉殿の十三人は以下になる。 北条時政(ほうじょうときまさ) 北条義時(ほうじょうよしとき) 安達盛長(あだちもりなが) 三浦義澄(みうらよしずみ) 和田義盛(わだよしもり...
十三人の合議制の成立と崩壊、源実朝暗殺までを描く歴史書。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の復習になる。 鎌倉殿の十三人は以下になる。 北条時政(ほうじょうときまさ) 北条義時(ほうじょうよしとき) 安達盛長(あだちもりなが) 三浦義澄(みうらよしずみ) 和田義盛(わだよしもり) 比企能員(ひきよしかず) 梶原景時(かじわらかげとき) 足立遠元(あだちとおもと) 八田知家(はったともいえ) 大江広元(おおえひろもと) 三善康信(みよしやすのぶ) 中原親能(なかはらちかよし) 二階堂行政(にかいどうゆきまさ) 十三人は武士と京下りの文士に分かれる。 武士は北条時政、義時、安達、三浦、和田、比企、梶原、足立、八田。 文士は大江、三善、中原、二階堂。 武士を親北条と反北条に分類する見解がある(本郷和人『鎌倉殿と13人の合議制』河出新書、2022年、163頁以下)。 親北条は北条時政、義時、安達、三浦、和田。 反北条は比企、梶原、足立、八田。 足立遠元を反北条に分類する理由は弱い。「北条氏の力が強くなると存在感がなくなっていく」とする(本郷和人『鎌倉殿と13人の合議制』河出新書、2022年、164頁)。武蔵国の有力御家人の畠山重忠が冤罪で滅ぼされたことが影響しているだろう。 足立氏は名前の通り武蔵国足立郡の御家人である。足立郡の中でも埼玉県さいたま市桜区は畠山重忠の領地であった。重忠は足立遠元の婿となり、その関係で足立郡に領地を持ったのだろう。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第36回「武士の鑑」では畠山重忠の乱と足立遠元の引退が同時並行で進む。 親北条に比べて反北条はまとまりが悪く、北条氏に各個撃破された。反北条という派閥があったというよりも、親北条という派閥とその他という関係だっただろう。親北条の和田、三浦、安達も北条氏に各個撃破されていく。 最初に梶原景時が滅ぼされた。六六人の御家人が景時の糾弾に同調した。比企能員も糾弾に同調した。景時も能員も頼家を盛り立てる立場であり、実朝を抱える時政とは対抗関係にある。景時と能員が結束するところであるが、そのようにはならなかった。これは能員が無能というよりも、「そこまで梶原景時が嫌われていた」と分析される(178頁)。
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