商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 京都大学学術出版会 |
発売年月日 | 2021/08/31 |
JAN | 9784814003648 |
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「型」の再考
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「型」の再考
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武道における「型」は、身体の部分と全体の統合と制御の法を授けるものである。 「型」の発想は、部分は特定しないし、特定の鍛える部分も存在しない。「型」の動作姿勢を通して、手足といった部分を全体の身体操作の中に位置づけることを学習し、手足といった特定の部分に着目するのでは獲得できな...
武道における「型」は、身体の部分と全体の統合と制御の法を授けるものである。 「型」の発想は、部分は特定しないし、特定の鍛える部分も存在しない。「型」の動作姿勢を通して、手足といった部分を全体の身体操作の中に位置づけることを学習し、手足といった特定の部分に着目するのでは獲得できないような働きを体得するのである。 師の身体と目が「型」の体系をきちんと把握していなければ、学習者へ適切な指導ができず「型」の叡智を伝達・再現できない。 西洋医学では、病名は、病因としての物理的実態と検証が根拠として与えられ、その結果、物理的実態をターゲットにした薬が病名に対して処方される。 アラブ・イスラムの伝統医学である。ユナに医学。 五行論において、大腸が肺・皮膚・鼻の機能とつながっていると言う理論がある。肺・皮膚・鼻は病原体が感染する入り口であり、腸内細菌を含む大腸の状態が免疫力向上とつながりを持つと言うのもうなずける。 科学には「理論や前提は実証されねばならず、その実証結果が、理論や前提を支持しない場合には、新たな理論や前提が唱えられる」というプロセス自身が、科学の価値として認められるている。 叡智は必ずしも一意的には把握されない。つまり叡智への一時的な合意が必ずしも起こらない場合があると言うこと。 「型」の学習においては、その「型」が含む叡智は、学習者にとって未知なものであって、それを把握するまでは、そもそも反証・反駁・テストは不可能なのである。 科学的叡智は、一意的に伝わるものであり、その内容は、要素と要素間関係性から構成されるものである。 誰かが演じる特定の「型」を外から眺めているだけでは、その叡智に触れることができず、自分自身でその「型」を繰り返し稽古することで、初めて「型」が持つ叡智を把握することができる。 「型」自体は、伝達手段として、自己と切り離せるが、その叡智の把握には、必ず被伝達者は、「型」を自身と同化して内在化する必要がある。 「何を現象として観察できるかは、前提となる理論が決定する」ノーウッド・ハンソンが主張した「観察の理論不可性」。
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本書は武道などの「型」を方法論の視点から「科学的手法」と対比しながら論じており、「科学的手法」を補完するものとして、総合学の創出への展望を述べている。「型」はややもすると硬直的な印象をもたれることがあるが、それを学び内在化する学習者によって多様な価値を創出し、様々な状況に対応出来...
本書は武道などの「型」を方法論の視点から「科学的手法」と対比しながら論じており、「科学的手法」を補完するものとして、総合学の創出への展望を述べている。「型」はややもすると硬直的な印象をもたれることがあるが、それを学び内在化する学習者によって多様な価値を創出し、様々な状況に対応出来る柔軟性を持つことに気付かされる。VUCAな世の中においてもと言うか、VUCAな世の中だからこそ、「型」の価値を再認識する必要があるのだろう。
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