- 新品
- 書籍
- 書籍
- 1216-03-00
天皇の国史
1,980円
獲得ポイント18P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | PHP研究所 |
| 発売年月日 | 2020/08/13 |
| JAN | 9784569843605 |
- 書籍
- 書籍
天皇の国史
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
天皇の国史
¥1,980
在庫なし
商品レビュー
4.4
17件のお客様レビュー
神宮に参詣する犬の話がいい 明和八年のお蔭参り流行の時、犬が初めて参拝した。一匹の犬が、外宮の北御門口から入り正宮の前の広前に平伏した。様子があまりに堂々としていたため、神主も通したという。この嘘のような本当の話が全国に広がり、犬に単独で伊勢参りさせる人が続出した。宿場町では犬...
神宮に参詣する犬の話がいい 明和八年のお蔭参り流行の時、犬が初めて参拝した。一匹の犬が、外宮の北御門口から入り正宮の前の広前に平伏した。様子があまりに堂々としていたため、神主も通したという。この嘘のような本当の話が全国に広がり、犬に単独で伊勢参りさせる人が続出した。宿場町では犬を泊めて水と食事を与える宿があり、犬が持参した銭から代金を受け取ることを原則とするが、逆に縁起が良いからと銭を括り付ける者もいた。いい話だ。本書の第四章に載っている。日本は何より安全な国であり、日本人は犬を人間と同等に扱う心意気があったことが分かる。江戸時代の話で、徳川政権の統治が優れていたことを示すかもしれないが、その下敷きには長い歴史に培われた日本人の社会意識があり、その中心に常に天皇がいた。本書を読むとよく分かる。日本人として、自分の世代でもこんな感心すべきエピソードを残せればいい。何ができるだろうか。
Posted by 
久しぶりに、読むほどに思索が深まる本に出会った。 竹田恒泰の『天皇の国史』は、日本という国を「天皇」という一本の軸から見つめ直した壮大な試みである。 それは政治や戦の記録をなぞる単なる通史ではなく、 この国がいかにして“時間の連続”を保ち続けてきたのか―― その精神的な基盤を描...
久しぶりに、読むほどに思索が深まる本に出会った。 竹田恒泰の『天皇の国史』は、日本という国を「天皇」という一本の軸から見つめ直した壮大な試みである。 それは政治や戦の記録をなぞる単なる通史ではなく、 この国がいかにして“時間の連続”を保ち続けてきたのか―― その精神的な基盤を描こうとする、思想的な歴史書だ。 著者の筆致は精密でありながら、どこか温度を帯びている。 神話を史実と切り離さず、むしろ日本人の心の原点として読み解く姿勢には、 知識と信念の両方が感じられる。 史料に基づいた分析の奥に、 「人がなぜ祈り、なぜ受け継ぐのか」という根源的な問いが潜んでいるのだ。 とりわけ印象に残るのは、 “なぜ日本だけが王朝交代を経験しなかったのか”という一貫した問題意識である。 その問いを通じて見えてくるのは、 天皇という存在が制度でも宗教でもなく、 「この国の時間を継ぐ象徴」そのものであるという洞察だ。 読み終えたあと、静かな余韻が残る。 歴史とは過去の記録ではなく、今も呼吸している“生きた連続体”なのだと気づかされる。 そして、その鼓動の中心に確かに息づくもの―― それが「天皇」という存在なのだろう。
Posted by 
何故か参考文献目録には祖父が書いた「雲の上、下思い出話」はあっても「私の肖像画」(旧題「菊と星と五輪」)がない。「私の肖像画」を読めば祖父の恒徳王は昭和18年に参謀本部から関東軍総司令部に転補された時に「内地」から荷物を持ち出していて昭和20年7月に第一総軍参謀に転補された時に...
何故か参考文献目録には祖父が書いた「雲の上、下思い出話」はあっても「私の肖像画」(旧題「菊と星と五輪」)がない。「私の肖像画」を読めば祖父の恒徳王は昭和18年に参謀本部から関東軍総司令部に転補された時に「内地」から荷物を持ち出していて昭和20年7月に第一総軍参謀に転補された時に「そうした東京の状態に比べると、満州は比較的平穏だったので、家族は満州に残して」単身「内地」に帰還していたがソ連参戦で慌てて家族を「内地」に(おそらく)陸軍機で疎開させている事や新京に戻っていた関東軍総司令部に聖旨伝達の際に「一か月前まで私が住んでいた家に行ってみたいとも思ったが、それは不可能であったばかりでなく、すでに略奪されて何も残っていないようであった」と新京に残しておいた荷物を持ち出したかったらしい事が窺える。ソ連参戦で家族を「内地」に疎開させた事もあるので内心、山田乙三関東軍総司令官以下関東軍総司令部にいた軍人達は呆れていたのではないのか?と思ってしまう。 他にも「卜部日記」に昭和天皇から「寬仁さんに関し竹田さんや山階さんの若年のころグレた話引用」と聞かされたとあるが「私の肖像画」には昭和19年にクェゼリンで戦死した従弟の音羽正彦侯爵と華中で再会した時に「二人で大酒盛りをしたことを懐かしく思い出す」と書いている。「雲の上、下思い出話」には「大酒盛りをしたこと」には言及していない。海兵75期の岩崎剛二著「指揮官最後の決断」という本に「音羽が戦死して間もなく、兵学校同期の者が四名ほど」朝香宮邸に呼ばれた時に朝香宮から「「どんなことでもよいから遠慮なく話してほしい」と言われたのをいいことにして、話はエスプレー(芸者遊び)にまでおよんだ」、「しかし、彼らが暇を告げる最後まで、夫人はついに一度も姿を見せずじまいだった」とあるので海軍で言うところの「エスプレー」のし過ぎで益子夫人との関係は冷え切っていて養子を迎えず小坂善太郎と再婚したのだろう。昭和天皇は従弟の正彦王(音羽侯爵)をどう認識していたのかは分からないが従兄弟に当たる山階宮武彦王と恒徳王の「グレた」所業を苦々しく思っていたのが分かる。なので「私の肖像画」という書名自体を取り上げたくないのだろう。「雲の上、下思い出話」から「都合のいい」ところだけ抜き書きして「都合の悪い」事が記されているので「私の肖像画」であっても存在自体を無視するのはどうだろうか?
Posted by 
