商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 勁草書房 |
| 発売年月日 | 2020/02/18 |
| JAN | 9784326451210 |
- 書籍
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憲法解釈権力
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憲法解釈権力
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すべての法律は適用にあたって解釈を伴うが、最高法規たる憲法は解釈の指針となる上位規範を持たないために、その解釈行為は常に権力行使と背中合わせの両義性を免れない。ここで裁判官を含む公権力担当者をして憲法を遵守させるのは、外面的に課された他律的な義務か、それとも内面化された主体的な格...
すべての法律は適用にあたって解釈を伴うが、最高法規たる憲法は解釈の指針となる上位規範を持たないために、その解釈行為は常に権力行使と背中合わせの両義性を免れない。ここで裁判官を含む公権力担当者をして憲法を遵守させるのは、外面的に課された他律的な義務か、それとも内面化された主体的な格率なのか。著者が重視するのは後者である。憲法解釈の最終的な拠り所は個人である。それはある意味で法の消失点だが、それだけに己の人格をかけて憲法を守ること、この「自己拘束」が法を根底で支えるアンカーボルトでなければならない。この著者の思考は日本の憲法学の盲点を突いており、カントの人格主義に依拠して人権論を組み立ててきた著者ならではの説得力と重みがある。 九条訴訟を題材に、統治行為論を巡る法と政治の錯綜した絡み合いを浮き彫りにした分析も読みごたえがある。統治行為論とは一面において立憲主義の後退だが、政治の力から司法の独立を守るギリギリの知恵でもある。司法が司法であり続けるために、司法自身が政治的に振る舞わざるを得ない矛盾に満ちた場面である。著者の分析が際立つのは、最高裁をそのような修羅場に追い込まないために、下級審(長沼訴訟二審)で弁護団が選択した極めて政治的な訴訟戦略を読み取る点だ。著者も両手を挙げて賛同する訳ではないだろうが、この国において、立憲主義は実にきわどいバランスの上に立っている。 だが政治に対する著者のアプローチには違和感もある。裁判官とは別様にではあれ憲法解釈権を行使し得る内閣総理大臣に著者が求めるのはどこまでも自制である。確かに権力者には自制が必要だ。選挙で選ばれたからと言って何をしてもいいわけではない。だがそのことも含めてあらゆる判断要素を考慮の上、最終的にどう処すべきかを決するのは政治家の良心ではないかと言いたくもなる。著者は憲法体制の安定には政治家の主観的な良心は危険だと言う。だから専門家の学識を尊重して自制すべきであると。一つの見識であり、それが慣行として定着してもいる。だがおよそ例外を一切許容しない慣行などない。 憲法学者の学識には及ぶべくもないが、争点の集団的自衛権について私見を記す。憲法制定時の絶対的平和主義は、終戦直後の国連への楽観的な信頼が前提であった。その前提が崩れ、冷戦という現実を前にして、戦力の定義を引き直すことで自衛隊と九条の折り合いをつけてきた。憲法改正が正攻法ではあるが、解釈改憲が立憲主義を破壊したわけではない。再定義された九条のもと、曲がりなりにも立憲主義を守ってきたのが戦後の歴史だ。ここまでは著者とあまり違わない。 だが、そのきわどいバランスを支えた冷戦という現実が大きく変わった今、それでも自衛権を改めて再定義する余地は針の穴より小さいと著者は断言する。立法事実の変化が法解釈の変更を許容するという一般原則を著者も否定はしない。ではその解釈の限界、即ち自衛のための「必要最小限度」の武力行使とは何か?それを決するのは安全保障環境という「現実」であり、その「現実」を知悉するのは政策当局、ひいてはその長たる内閣総理大臣であろう。憲法学者でも法制官僚でもない。それは「論理」と「現実」の逆転であり詭弁だと著者は言うが、「必要最小限度」の中身を「論理」的に確定できると言う方が詭弁ではないか。「論理」とは「必要最小限度」という概念そのものである。いかに厳格に解しても、何が「必要最小限度」かは「必要最小限度」という「論理」の中にはない。 佐藤幸治が批判したように、解釈変更に至るプロセスは確かに拙速(石川健治に言わせれば「非立憲」的)であったかも知れないが、安保法制そのものは違憲とまでは断定できないだろう。それは本書出版後に仙台高裁が統治行為論に逃げずに示した判断でもある。高裁判決は佐藤が示唆した合憲限定解釈を意識したかに見えるが、安保法制が想定するのは元々極めて限定的な集団的自衛権の行使であり、判決は政府見解に概ね沿うものだ。もちろん憲法改正が望ましいことに違いはない。石川健治が砂川判決を引用して「一見極めて明白に違憲無効」と警告したにもかかわらず、著者が「針の穴」にも喩えた隘路をくぐった司法は政治に敗北し、立憲主義は崩壊したのか?
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