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失われた時を求めて(13) 見出された時 Ⅰ 岩波文庫
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失われた時を求めて(13) 見出された時 Ⅰ 岩波文庫

マルセル・プルースト(著者), 吉川一義(訳者)

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失われた時を求めて(13) 見出された時 Ⅰ 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2018/12/15
JAN 9784003751220

失われた時を求めて(13)

¥1,474

商品レビュー

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2024/11/01

第7篇『見出された時』 この巻は時の流れが行ったり来たりで、かなり未来にまで(年代で言うと、語り手の死後にまで?)及ぶし、途中までは同性愛の話が多いし、なかなか読みづらかったよ(T_T) 終盤の閃きのような文学論は、多分素晴らしい慧眼を披露していると思うんだけど、ちょっと疲れて...

第7篇『見出された時』 この巻は時の流れが行ったり来たりで、かなり未来にまで(年代で言うと、語り手の死後にまで?)及ぶし、途中までは同性愛の話が多いし、なかなか読みづらかったよ(T_T) 終盤の閃きのような文学論は、多分素晴らしい慧眼を披露していると思うんだけど、ちょっと疲れてきたのであまり読み取れず(-_-;) 第一次世界大戦。夫のサン=ルーが戦地に行ったので、ジルベルトは娘を連れてコンブレーの別荘を守るために移住した。語り手はジルベルトと語らう。(語り手は病気のため徴収されない) 語り手はパリに戻り、戦下の社会や人間の変化、背徳と荒廃を語る。 ❐登場人物と戦争 サン=ルーは勇ましく前線に出る。彼の愛国は当たり前過ぎて「国を愛している!」と宣言する必要もないもの。 シャルリュス男爵はドイツ贔屓を公言して白眼視される。捻くれ者だからなあ。 モレルやブロックは前線での闘いを避けようと画策する。 ヴェルデュラン夫人やボンタン夫人は戦時下のパリのサロンで「女王」となっている。 ❐ジルベルトとの語らい コンブレーの村や屋敷を守るために移ったジルベルト(と、娘)だが、そこにはドイツ軍が迫っている。 この物語では、語りては人間に対して酷薄なところがある。初恋のジルベルトに対しても、愛が冷めたんだとか、血筋を隠す(ほどではないが)よなことをしたり、結婚後にもあまり上流婦人としての評判も良くないみたいだし。 しかし彼女の言う通り「ドイツ軍最前線のこの土地を守りました!」が事実だとしたら、危険なばで自分自身の強さを発揮した女性だといえる。 そしてジルベルトは「私」に「昔はあなたを愛していたのよ」と告げる。お互いに愛し合っていたけれど、お互いにすれ違っていたわけだ。 ❐シャルリュス男爵の倒錯(^o^; プルーストの筆が、シャルリュス男爵の堕落っぷりやら倒錯行為描写となると進む進む(^o^; シャルリュス男爵のモデルは大貴族の詩人ロベール・ド・モンテスキウ。プルーストはモンテスキウに憧れたが、老年時代に取りのこされたモンテキウに見せつけるようにシャルリュス男爵の頽廃と倒錯と、世間の哀れみの目線を示してやったのだ。プルースト怖いというかしつこいぞ(-_-;) https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309400523#comment ❐サン=ルーもかい! サン=ルーも、派手に女性交流しながらも実は同性愛遊びをしていたんだよ☆ ということもしつこく書く(-_-;) ❐記憶を蘇らせる 語り手は敷石で躓く。その瞬間、以前同じ体験をしたことを思い出し、無意識の記憶が次々蘇る。 話はあっちこっち飛びすぎてもうわからなくなってしまったんだが、きっかけとなった「敷石に躓いた」描写は美しい。 ❐マドレーヌ 『失われた時を求めて』で有名エピソードである「紅茶にマドレーヌを浸した」思い出がまた出てきた! ❐「失われた時を求め」たぞ! 無意識の記憶が表面に浮かび上がり、語り手は文学について深く考える。 時間の概念にも、特定の観念にもとらわれずに「精神的等価物」に転換するには、芸術作品を作る以外にはない。人間の生きた軌道そのものを捉えることこそ文学だ。 …多分素晴らしい慧眼を披露していると思うんだけど、ちょっと疲れてきたのであまり読み取れず(-_-;)

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2024/08/10

この巻では、戦争が描かれる。アルベルチーヌを失った「私」は、熱病から覚めた人の目で、登場人物たちそれぞれの戦争を視つめる。 自分から戦争に飛び込んで、雄々しく戦うサン=ルー、なんとかして兵役から逃れようと必死で画策する者、周囲の目が戦争一辺倒になっているのを幸に、自らの悪癖に耽溺...

この巻では、戦争が描かれる。アルベルチーヌを失った「私」は、熱病から覚めた人の目で、登場人物たちそれぞれの戦争を視つめる。 自分から戦争に飛び込んで、雄々しく戦うサン=ルー、なんとかして兵役から逃れようと必死で画策する者、周囲の目が戦争一辺倒になっているのを幸に、自らの悪癖に耽溺するシャルリュス、戦争アイテムを巧みに取り込んで、相も変わらずサロンでの夜会に興じるヴェルデュラン夫人。 この辺りの描写は、カミュの「ペスト」を想起させる。 だが、何と言っても読みどころは、巻末で展開される「私」の文学論だろう。 この部分が無かったら、この巻には少々退屈してしまったかも知れない。 この箇所は、いずれ再読してみたい。 『真の人生、ついに発見され解明された人生、それゆえ本当に生きたといえる唯一の人生、それが文学である。 —中略— 作家にとって文体とは、画家にとっての色彩と同じで、テクニックの問題ではなく、ヴィジョンの問題だからである。文体とは、世界がわれわれにあらわれるそのあらわれかたの質的相違を明らかにするものであり、この相違は、意識的な直接の手立てでは明らかにできず、芸術が存在しなければ、各人の永遠の秘密にとどまるだろう。 われわれは芸術によってのみ自分自身の外に出ることができ、この世界を他人がどのように見ているかを知ることができる。 —中略— 芸術のおかげでわれわれは、自分の世界というただひとつの世界を見るのではなく、多数の世界を見ることができ、独創的な芸術家が数多く存在すればそれと同じ数だけの世界を自分のものにできる。』(第七編 「見出された時」)

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2020/04/21

戦時も平時も、本質は変わらない貴族の浅ましさ。 ゲイと戦争。そんな視点があったなんて新鮮。 SMシーンに続いての、シャルリュスの老いの描写はみごと。 この巻の最後の100頁余りの記述は、文学の存在する根拠を示す。 作品のクライマックスである。 主人公が文学を、生の意義を取り戻...

戦時も平時も、本質は変わらない貴族の浅ましさ。 ゲイと戦争。そんな視点があったなんて新鮮。 SMシーンに続いての、シャルリュスの老いの描写はみごと。 この巻の最後の100頁余りの記述は、文学の存在する根拠を示す。 作品のクライマックスである。 主人公が文学を、生の意義を取り戻す瞬間は、息をのむようだ。 「真の楽園は、失われた楽園だからである」。

Posted by ブクログ

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