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生きづらい明治社会 不安と競争の時代 岩波ジュニア新書
968円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2018/09/21 |
JAN | 9784005008834 |
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生きづらい明治社会
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生きづらい明治社会
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商品レビュー
3.9
39件のお客様レビュー
新自由主義的な自己責任論の日本史的淵源を、明治社会における「通俗道徳」の成立に見る。その手捌きは、歴史学の成果を踏まえた誠実なものでありつつ、明治社会の都市や農村あるいは家制度や貧民窟、さらには政府の財政状況などなど、興味深い話が次々と語られ、明治社会のイメージが今までより豊かで...
新自由主義的な自己責任論の日本史的淵源を、明治社会における「通俗道徳」の成立に見る。その手捌きは、歴史学の成果を踏まえた誠実なものでありつつ、明治社会の都市や農村あるいは家制度や貧民窟、さらには政府の財政状況などなど、興味深い話が次々と語られ、明治社会のイメージが今までより豊かでクリアな気にさせてくれる。
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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読了した人におすすめの一冊。 立身出世を煽り田舎の若者が東京にやってくるが、日々の糧を得るために仕事に押し潰れされて貧民に堕ちる所などぞわりとする。 競争社会の能力主義とコインの裏表としての結果を出せない人間を切り捨てる社会の恐ろしさがひ...
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読了した人におすすめの一冊。 立身出世を煽り田舎の若者が東京にやってくるが、日々の糧を得るために仕事に押し潰れされて貧民に堕ちる所などぞわりとする。 競争社会の能力主義とコインの裏表としての結果を出せない人間を切り捨てる社会の恐ろしさがひしひしと伝わる。
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○新書で「学校生活」を読む⑲ 松沢裕作『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』(岩波ジュニア新書、2022年[第10版]) ・分 野:「学校生活」×「歴史を読む」 ・目 次: はじめに 第一章 突然景気が悪くなる――松方デフレと負債農民騒擾 第二章 その日暮らしの人び...
○新書で「学校生活」を読む⑲ 松沢裕作『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』(岩波ジュニア新書、2022年[第10版]) ・分 野:「学校生活」×「歴史を読む」 ・目 次: はじめに 第一章 突然景気が悪くなる――松方デフレと負債農民騒擾 第二章 その日暮らしの人びと――都市下層社会 第三章 貧困者への冷たい視線――恤救規則 第四章 小さな政府と努力する人びと――通俗道徳 第五章 競争する人びと――立身出世 第六章 「家」に働かされる――娼妓・女工・農家の女性 第七章 暴れる若い男性たち――日露戦争後の都市民衆騒擾 おわりに――現代と明治のあいだ あとがき ・総 評 本書は、明治時代という“大変革”が起きた時代において、社会的弱者の立場に追われた人々に焦点を当てた本です。著者は日本近代史を専門とする研究者で、慶應義塾大学の教授を務める人物です。 現代と明治時代を比べた時、そこに共通する特徴として、従来の社会の仕組みが崩壊して「見通しのはっきりしない」中で、新しい社会の仕組みが造られていく――極めて「不安」な時代であることが挙げられます。だからこそ、明治時代に生きた人々に注目することで、現代の私たちが学べることがあるのではないかと著者は問いかけます。本書を読んで面白いなと思った点を、以下の3点にまとめます。 【POINT①】人びとに信頼されていない明治政府 新時代を率いた明治政府ですが、その実態は、王政復古の大号令と廃藩置県という二つのクーデターによって成立したに過ぎず、全国を支配する権力としては「人びとから信頼されていない政権」でした。そのため、高い税金をとることができず、財政を通じて「豊かな人から貧しい人へ富を再分配するような力」は持っていませんでした。生活困難者を救う義務を政府は負わないという名目のもと、行政によるセーフティーネットは十分に整備されず、人びとが「おたがいの助け合いで解決すべきこと」だという考え方が前提になっていたと著者は指摘しています。 【POINT②】明治時代の「自己責任」論――窮民救助法案をめぐる議論 その後、明治政府は、生活困難者の救済を行政の義務とする「窮民救助法案」を議会に提出しますが、これは衆議院で否決されてしまいます。その背景には「道徳的に正しいおこないをしていればかならず成功する」という「通俗道徳」と呼ばれる考え方が広まっていたことがありました。この考え方によれば、貧困に陥った者は――それが不可避な事情であったとしても――当人の「努力の問題」(=道徳的に正しいおこないをしなかった)とされてしまうため、社会全体が生活困難者に冷たい視線を向けるようになっていったと著者は指摘しています。 【POINT③】社会に見放された若者たちによる反逆 行政による支援もなく、人々による助け合いにも期待できない――そのような状況が続く中、明治末期から大正初期にかけて、東京で何らかの政治集会が開かれると「若い男性の都市下層民」が暴動を起こすようになります。その背景には、主流の価値観から見れば「悪いこと」「危険なこと」に参加することを「かっこいい」とする“カルチャー”があったと言います。ただ、そうした行動は、逆に世間が「通俗道徳」の正しさを確信する結果を招きました。結局、彼らも年を重ねてその「残酷な事実」を理解すると、暴動に参加することもなくなり、その日暮らしを続けていくようになったと著者は指摘しています。 明治時代に広まった「通俗道徳」は、自分が直面している困難を「自分の責任としてかぶってくれる」という点で「支配者にとっては都合のよい思想」でした。現代でも、こうした考えは“自己責任論”という形で根強い影響力を持っています。このように明治社会と現代社会が「息苦しい社会」となった原因は「不安を受け止める仕組みがどこにもないという共通点があるから」というのが著者の回答になります。ここで私たちは、人びとの信頼を得られなかったが故に十分な財源を持たなかった明治政府だけでなく、財政再建を名目に社会保障費の削減を図る現代の政府も思い出すべきかもしれません。そうした「不安」に抗う方法として、著者は「言葉によって、理屈にそって、自分が何におろおろしているのかを、誰かに伝えること」を挙げています。 (1472字)
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