商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 平凡社 |
| 発売年月日 | 2018/08/27 |
| JAN | 9784582477405 |
- 書籍
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撰銭とビタ一文の戦国史
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撰銭とビタ一文の戦国史
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商品レビュー
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9件のお客様レビュー
お金というものに、どれだけの信用があったかわからない時代に、今ならニセ札と呼ばれるような、明らかにだれかが作った銭も流通していた。当然、そんなややこしいやつを掴まされたくないけど、千枚も取引された日にゃ、これは1/5、これは1/4なんて、電卓もないのにやってられない。でも、みすみ...
お金というものに、どれだけの信用があったかわからない時代に、今ならニセ札と呼ばれるような、明らかにだれかが作った銭も流通していた。当然、そんなややこしいやつを掴まされたくないけど、千枚も取引された日にゃ、これは1/5、これは1/4なんて、電卓もないのにやってられない。でも、みすみす損もしたくない。ビタ銭1枚に、庶民の怨念が感じられるようになる一冊です。
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中世から近世への移行期を舞台に、貨幣、主に銭がどのように使われ、また為政者に影響を及ぼしてきたかを追う内容。通貨統合にいたる紆余曲折を見る事で、単線的な歴史ではない社会経済のダイナミズムが感じられて面白かった。
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まず目を引くのは前書きにもある「予定調和的な歴史観は廃するべきである」という主張である、呉座勇一『一揆の原理』でも、戦後の日本史学界がややもすると進歩史観的な見方から脱することができず、歴史を特定のイデオロギーから捉えることが多かった反省が述べられていたが、貨幣研究においてもその...
まず目を引くのは前書きにもある「予定調和的な歴史観は廃するべきである」という主張である、呉座勇一『一揆の原理』でも、戦後の日本史学界がややもすると進歩史観的な見方から脱することができず、歴史を特定のイデオロギーから捉えることが多かった反省が述べられていたが、貨幣研究においてもそのような傾向はあるらしい。 江戸時代の三貨制度を知っている時代の人間からすると、金/銀/銭の交換比率を定め、高額~少額取引に柔軟に対応した銭制度を用意するというグランドデザインを持って時の支配者は銭制度を設計したように見えるが、実際にはその時の課題にある意味で場当たり的に対応したことの積み重ねが結果的に三貨制度を生み出していることを筆者は示している。 中央銀行が貨幣の流通量を管理する現代からは想像もつかないが、銭の由来は様々であった。統制されていないゆえに、銭の供給量は需要に対して多かったり、少なかったりする。中世~近世日本において基本的に銭は需要過多で、現物が少ないことに対応するために様々な施策が民間と法律のレベルで行われていた。 中近世の日本において、基本的に銭は1枚1文として扱われたが、15C後半になると「相手が貨幣として利用することを期待できない」銭を弾く行為、つまり撰銭が増える。これは通過供給量が閾値を下回ったからだと推測される。 その一方で通過供給量が少ないため、なんとか悪銭(ここでいう「悪」は甚だしいの意)でも使うために一定割合までの混入を許す組成主義や、少額取引では一文以下の価値で取引する慣行、つまり銭の階層化が生まれた。 戦国大名では大内氏が最初に撰銭令を出しているが、これは - 交易のために納税の時のみ基準銭の比率を高める。立法者の財政需要に対応するもの。 - 通過供給量の減少により商人が納入を控えることで米不足となり米価が高騰するので非基準銭の購買力を保障する - 債務者の保護 という特徴を持っており、戦国大名の撰銭令はこの要素を多かれ少なかれ持っている。撰銭例で非基準銭を許容することで返って基準銭の使い控えを招き、悪貨が良貨を駆逐するリスクを許容するほどに通過供給量が少なくなっていたと推測される。 当時の戦争では銭がなにかと必要で、足利義晴に銭を送った畠山氏は派兵せずとも褒められている。これには「御恩と奉公」の関係性から石高制への移行の萌芽が見られるというのが面白い。しかも、この移行は現状を追認していった結果なのだ。 中世~近世を貨幣という観点から眺めることで、石高制への移行という意識の変化まで見えてくるというのは非常に面白かった。
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