商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2018/07/01 |
JAN | 9784309027159 |
- 書籍
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不道徳お母さん講座
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不道徳お母さん講座
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商品レビュー
4
32件のお客様レビュー
日本の社会・学校の全体主義について。ごんきつねから組体操、そして二分の一成人式(私は世代じゃないかも)軽いノリで書かれていて面白かったけど情報量すごい。本の装丁とノリに比べて情報量がギャップがある。 母親が神聖化された経緯から少年誌についてのことまで知らなかったことを知れて良か...
日本の社会・学校の全体主義について。ごんきつねから組体操、そして二分の一成人式(私は世代じゃないかも)軽いノリで書かれていて面白かったけど情報量すごい。本の装丁とノリに比べて情報量がギャップがある。 母親が神聖化された経緯から少年誌についてのことまで知らなかったことを知れて良かった。 作者のイライラとかツッコミが良かった。学生の時だってこの全体主義には気持ち悪いとかうざいと思うこと多かったから言語化して分析してくれるのありがたい。清々しい。 こんぎつねの粟と松茸は性器のメタファーは面白かったな。
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※このレビューにはネタバレを含みます
第一章は、読書と道徳。明治期までは小説は読むべきものではないとされ、あまり発展せず。内容も児童が読むようなものではなかった。(第一章は内容が小説の歴史など専門的であるため斜め読みした) 今の小学校国語では、読書と道徳が結び付けられている。ゲーム、ネットの脅威が広まる中で、良書によって道徳を身につけさせようとする保守派の危機感が、小学生への読み聞かせに繋がっている。 大正以前は、子どもというのは、臣民のためのものであり、母は孝女が美談とされた。貴族の歌にも女性目線の子どもは出てこず、庶民は口減らしのために子どもを始末する。少し大きくなれば、働き手として使った。子守唄にはそのことが歌詞になっている。 子供のために自己犠牲する母像は大正期以降。 子供から唯一無二の存在として求められる母親体験は、多くの女性にかけがえのない私が肯定されると言う陶酔感をもたらす。自己犠牲を伴うことで、母親アイデンティティーはさらに崇高なものとして確立する。母性愛は新たな自己確立の手段となった。 体罰が許されなくなった21世紀の学校が見つけた感動統治の手法が巨大組体操であり、二分の一成人式なのではないか。
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手に取った時と読み終わった後では全く違う印象を残す本。 一冊で教育の系譜から「やんちゃ」への解き筋を丁寧に追うさまは、その点と点ひとつずつでもなるほど~!となるのですが… こと三章目、これらを繋げていき結ばれる結論には唸りました。一人の母として、現在の不可解さの成り立ちを知れたこ...
手に取った時と読み終わった後では全く違う印象を残す本。 一冊で教育の系譜から「やんちゃ」への解き筋を丁寧に追うさまは、その点と点ひとつずつでもなるほど~!となるのですが… こと三章目、これらを繋げていき結ばれる結論には唸りました。一人の母として、現在の不可解さの成り立ちを知れたことは良かったなあと。 終盤で引用されるかこさとしの文章には胸が熱くなりました。 それにしても、一行しか出てこないにも関わらずパンチの強い石原慎太郎…。文化においての功績と功罪の大きさたるや。
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