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「右翼」の戦後史 講談社現代新書2485
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「右翼」の戦後史 講談社現代新書2485

安田浩一(著者)

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「右翼」の戦後史 講談社現代新書2485

924

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2018/07/19
JAN 9784062884297

「右翼」の戦後史

¥924

商品レビュー

4.1

16件のお客様レビュー

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2024/09/11

右翼の戦後史について、実際に活動に携わった人々に対して多くの取材しながら描き出す。 出版順は逆だが、同じ講談社現代新書の日本左翼史シリーズを読んだことでこの本も読むことに。 興味深いのは、日本左翼史シリーズは(特に佐藤優が顕著だが)徹底的に文献・論文にあたるのに対し、本書の著者...

右翼の戦後史について、実際に活動に携わった人々に対して多くの取材しながら描き出す。 出版順は逆だが、同じ講談社現代新書の日本左翼史シリーズを読んだことでこの本も読むことに。 興味深いのは、日本左翼史シリーズは(特に佐藤優が顕著だが)徹底的に文献・論文にあたるのに対し、本書の著者の安田は果敢に取材をして情報を収集するという点である。 これは、両者の執筆スタイルというだけでも無いと思う。共産主義・社会主義思想が理論ベースで演繹的に社会の構築を試みるのであれば、右派の民族主義的思想は共同体をベースとして、帰納的な方法で社会を構築しようとする特徴がある。こうした違いを鑑みると、両者の執筆スタイルは、そもそもの右派、左派の特徴と似通っていることが分かる。 丹念な取材をもとに、右派の戦後の様々な活動を描き出すことに成功していると感じた。決して一枚岩で無い様々な活動の内容に、驚くことも多いと思う。 注意したいのは出版が2018年と若干古いこと。第5部までは別に問題ないが、ネット右翼の問題を取り扱う第6部は、その後の世界情勢を加えた増補がどうしても欲しくなる。 この第6部で、筆者は「社会の極右化が進行している」と述べている。しかし、ここで言う「極右」と言うのは「右派」の定義とは若干違うものではなかろうかと感じた。そう感じるのは、本書の刊行より約6年、もはやこの本の第6部で言う「極右」の特徴、つまり排外主義的で短絡的な思想の劣化が、右派に限られず様々な場所で見られるようになったからだろう。 実際、当時だと排外主義的で短絡的な思想はネトウヨに特に蔓延っていたように思う。しかし、今やこの手の異なる思想・言動を徹底的に糾弾し、愉快犯的に攻撃を試みるやり口はネトウヨだけの専売特許というわけでは無くなってしまったように思う。左右に限らず、思想が劣化している。 インターネットというニューメディアの元で、今後思想がどのように変化していくのか。この辺りの議論を注視しつつ、本書で為された議論を受け止めていきたい。

Posted by ブクログ

2023/05/30

右翼の流れがわかりやすい。 右翼は歴史と伝統を重んじた保守であり、異なる他者に対しては排他的で、復古主義であり、理念というよりも情念に近い。 日本右翼の源流は、江戸時代末期の水戸学にあるとされる。儒学を基盤に、神話や道徳を尊重し、身分や社会の安定を説くもの。吉田松陰や西郷隆盛...

右翼の流れがわかりやすい。 右翼は歴史と伝統を重んじた保守であり、異なる他者に対しては排他的で、復古主義であり、理念というよりも情念に近い。 日本右翼の源流は、江戸時代末期の水戸学にあるとされる。儒学を基盤に、神話や道徳を尊重し、身分や社会の安定を説くもの。吉田松陰や西郷隆盛らの幕末の志士に大きな影響を与え、倒幕運動や尊王攘夷思想が生まれた。 大正時代には、大正デモクラシーによって人々が権利意識に芽生え、大正6年にはロシア革命が成功して日本の支配層に大きな恐怖を与えた。政治家や企業経営者は、労働争議や小作争議を弾圧しなければならないものとみなし、その先兵として右翼団体が利用された。 昭和15年、近衛文麿内閣の要請に応じて右翼団体・政党は大政翼賛会に組み込まれ、太平洋戦争が始まると、あらゆる社会運動は戦時体制に組み込まれた。戦後は、占領軍によって右翼団体の解散と右翼人の公職追放が指示されたが、 1950年に右翼関係者の追放が解除されると、右翼を糾合する動きが活発化した。 1960年代に発足した日本学生会議(JASCO)は、ヤルタ・ポツダム体制の打破を掲げて、右からの革命を主張した。 1966年、左翼に対抗するための早稲田大学学生連盟が結成され、他の大学に呼びかけて横断的・全国的な日本学生同盟が結成された。 1969年には、全国学生自治体連絡協議会が結成され、鈴木邦夫が委員長に選ばれた。1970年には、反核拡散防止条約で右翼共闘構想を打ち出し、日本学生会議、全国学生自治体連絡協議会、日本学生同盟統一派が反核防統一戦線を結成した。 1970年以降、新左翼が力を落としていくのに伴って、 右派の学生運動も先細りになっていった。 一水会は、三島由紀夫らの遺志の継承を目的に、1972年に設立され、対米自立、自主憲法制定、日米安保破棄、戦後体制打破をスローガンとした。 日本青年協議会は、生長の家学生会全国総連合のOBを集めて1970年に結成され、各地で改憲集会を繰り返した。 日本を守る会は、鎌倉円覚寺貫主を務めていた朝比奈宗源と、富岡八幡宮の宮司だった澤渡盛房が、生長の家の谷口の協力を得て1974年に設立し、右派宗教界が大同団結した。事務局は、生長の家に関係する日本青年協議会のスタッフが務めた。日本を守る会は、愛国心が希薄となった戦後を一掃することを趣旨とし、連帯と連携を意識しながら大衆運動を盛り上げていった。 日本を守る会は、1978年に元号法制化実現国民会議を結成して、生長の家や神社本庁が運動の実動部隊となり、翌年に法律を成立させた。 1981年には、日本を守る国民会議を発足させ、日本国憲法をアメリカの押し付け憲法だとして、改憲に向けた大衆運動を牽引した。 日本を守る国民会議は、1982年に、第二次世界大戦中の日本の植民地政策に関する教科書の記述をめぐって中国・韓国から強い抗議があったことに反発し、自ら教科書をづくりを進め、 1997年には新しい歴史教科書をつくる会を発足した。しかし、つくる会の教科書の採択は進まず、内部対立から日本会議系のメンバーが脱退して、 2007年に日本教育再生機構を設立した。教科書の出版社には、フジサンケイグループの扶桑社の子会社である育鵬社が当たり、現在は600校で使用されている。 1997年には、守る会と国民会議が統合する形で日本会議が発足した。この背景には、1990年代の自民党一党支配の崩壊、村山談話の発表、天皇制護持や国家神道に距離を置いていた創価学会と公明党への警戒心があった。

Posted by ブクログ

2023/04/11

叙述が客観的で信頼出来る。 国が右傾化してるというのは、なるほどそう思う。国が沈滞化してるのはそのせいかもしれない。

Posted by ブクログ

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