商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 東京キララ社 |
発売年月日 | 2018/06/14 |
JAN | 9784903883298 |
- 書籍
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徳川おてんば姫
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徳川おてんば姫
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商品レビュー
3.7
9件のお客様レビュー
徳川慶喜の孫、世が世なら江戸城のおひいさま 三千坪以上のお屋敷にお次に女中にと別世界だけど戦中や戦後はモンペで農作業もされたとのこと 等身大の女の子の生活も描かれていて、上品な昔話を聞いてるみたいな気分になれた
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徳川慶喜の孫にあたる久美子さんの懐古録。 大政奉還後の皆さんの暮らしに興味があったので、学校生活や家、しつけのことなど事細かに書かれてありとても面白かったです。久美子さん、茶目っ気があります。 歴史の授業が気まずいのには、想像して思わず笑ってしまいました。すごい世界です。 そして...
徳川慶喜の孫にあたる久美子さんの懐古録。 大政奉還後の皆さんの暮らしに興味があったので、学校生活や家、しつけのことなど事細かに書かれてありとても面白かったです。久美子さん、茶目っ気があります。 歴史の授業が気まずいのには、想像して思わず笑ってしまいました。すごい世界です。 そして言葉が美しい。昨今の宮家の問題なども少し書かれていて納得でした。「家」に翻弄された久美子さんだからこその説得力です。 日本のために多くの先人たちが犠牲になってきたのに、自分は日本のために何ができるのだろうと考えることがよくあります。 この本を読んで武家らしいマインドに感銘を受けたので、自分に(時には他人にも)厳しく生きていきたいと思います。
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著者・井出久美子氏(1922.9.22-2018.7.1)は徳川慶喜の孫。「徳川慶喜家の子ども部屋」の著者・榊原喜佐子氏の一つ下の妹。幼少時代は同じく育っているが、屋敷の描写はこちらの方が具体的で細かい感じ。小石川第六天町の航空写真と、現在その敷地にある国際仏教学大学院大学にある...
著者・井出久美子氏(1922.9.22-2018.7.1)は徳川慶喜の孫。「徳川慶喜家の子ども部屋」の著者・榊原喜佐子氏の一つ下の妹。幼少時代は同じく育っているが、屋敷の描写はこちらの方が具体的で細かい感じ。小石川第六天町の航空写真と、現在その敷地にある国際仏教学大学院大学にある慶喜低の模型の写真が載っている。 メモ 庭に出るだけでもお付きのものが一緒でないといけない。まして敷地の外にでるなんてとんでもないことだった。「やりたくない」「嫌い」「美味しくない」といった人に不快な思いを抱かせる言葉は言ってはいけない。 古澤は子供のころから慶喜に小姓として、50年以上慶喜一家一途の生活。背が高くて男らしい。 古澤を筆頭に表の人は毎朝そろって奥へ挨拶に来て、全員で「ははーっ」と頭を下げて、それから古澤だけが残り母に事務報告。慶喜の写真の飾ってある「お写真様」という部屋に、古澤は毎日挨拶に来ていた。 老齢の「すがばばあ」・・老女・一色須賀。昭和4年に90歳で亡くなるまで慶喜家にいて、著者たち姉妹は「すがばばあ」と呼んでいた。慶喜の最初のお手つきの女官で、共に江戸城を追われる。墓所も谷中の慶喜家墓所。 女子学習院に入りだんだんクラスメイトの家柄がわかってくると、同じ華族でも公家と武家とではどことなく違いを感じられたという。生徒の祖先が歴史上の人物だったりすることもあり、歴史の授業は先生方がやりにくいと困っていらっしゃたようです、とある。 慶喜家には松坂屋の外商がいつも来ていた。 御用邸の続きに華族の別荘が続けてあり、海での遠泳なども得意。 昭和17年に女子学習院を卒業。9月に侯爵・松平康愛(越前旧福井藩主・松平家、松平春嶽のひ孫、しかも写真はすごい美男子)と結婚する。結婚して最初に福井に帰った時は、元福井藩主の長男ということで駅に人、小学生が旗を持って並んだ。姑とあまりうまくゆかなかった。松平家(侯爵)と慶喜家(公爵)では松平家が格下になるためそのせいもあったのではと記している。当時の華族は爵位にこだわっていたという。 また結婚当時(昭和16年)の頃はまだ維新の名残りで敵味方の考えが強く、著者の兄の妻は会津松平家から、姉は越後高田藩榊原家へ嫁いだ。慶喜を応援していた幕臣や佐幕の家としか姻戚しなかった。 夫は日本郵船に勤務していたが「海軍兵科予備学生」に応募するもフィリピンで戦死。その後夫の友人の医者井出次郎と結婚。その際、生まれていた1人娘は松平の家を継ぐ、ということで松平家に残す。 実家の兄・徳川慶光については、戦後も「世が世なら将軍様だ」という意識が抜けない、ちゃらんぽらんな性格と記す。10年くらいブラジルの缶詰会社に行っていて、父がいない、という状況で育った慶朝氏とは難しいものがあったのではと記す。・・が慶朝氏の著書「徳川慶喜家にようこそ」では慶朝氏は大人になっては父慶光氏を客観的に見ている記述だった。 著者の息子・井出純氏のブログがあった。 純氏と慶朝氏は同い年で学校も一緒。毎日互いの家に遊びに行っていたとある。慶朝氏は叔母である著者が苦手だったとかいてある。 https://blog.goo.ne.jp/tokugawaotemba/e/62d6a78b6e1fc27d0ad22002ea9aee6f 「婦人公論jp」2020.7.10 井出純氏と慶朝氏の姉・安喜子氏の子・山岸美喜の対談 https://fujinkoron.jp/articles/-/1033 2018.6.12第1刷第1版 図書館
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