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教育と比較の眼
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教育と比較の眼

江原武一(著者)

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教育と比較の眼

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 東信堂
発売年月日 2018/06/01
JAN 9784798914558

教育と比較の眼

¥2,860

商品レビュー

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2019/08/30
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本書に通底するのは、新自由主義経済下の「小さな政府」による教育政策のもとで、「日本社会にふさわしい教育改革」の有り方を考えることにある。その前提として、「平等や公平の度合いを最大限高め、民主主義を進め、人々の想像力を解放すること」が大切であると訴える(p.239)。 「イギリス病」からの脱却を目指したサッチャー元英首相は、新自由主義の経済政策を推進し、現在に至る経済政策の嚆矢となった。その政策には、ミルトン・フリードマン(リバタリアン、マネタリスト)の影響が大きい。彼は「規制緩和」や「減税」、「小さな政府」などによって、政府からの自由が達成できると考えた。しかし現代の教育制度を見ていると、「小さな政府」のもとで、政府の権限(拘束)は却って強化されている。それは、「経済至上主義」となった教育政策の中で、何よりも自国の経済的国際競争力を高めるために、学校教育を通して優れた人材の育成が求められているからである。「自由」と「競争」。このふたつを結びつけるのは「自助努力(自己責任)」ということになるのだろうが、このために、「教育界は教育の本質を見失っているかのではないか」というのが著者の問題意識である。 近代公教育のもとでは、画一的な学校教育が進められてきた。しかし現代においては、「個性重視」「競争重視」が進行する。このような中で著者は、「基礎的な科目を中心とした認知的教育の改善」と共に「若い世代の道徳的、市民的、精神的価値を育成するために、多文化社会にふさわしい知識や技能、態度を学ぶ価値教育(市民性教育、多文化教育、宗教教育など自律的な価値判断を行うための教育)」の重要性を説く。 ここで難しいのは、教育に求められているのが、「国民統合の手段としての教育」と「多様性を重んじる教育」とは二律背反の関係にあることだろう。さらに「個性重視」「競争重視」という自由化から生じる要請が加わりさらに複雑化することである。また宗教の問題もある。「非宗教的な家庭で育った子供の用は宗教的な家庭で育った子どもよりも、寛容さや利他主義を身につけており、他人に対して優しい」という調査結果(p.84)からすれば、多様な宗教の受入れと民主主義との葛藤も、避けて通れない。 そもそも、現代に繋がる民主主義国家は、市民革命によって成立した。そこでは国民と国家機関とが一体化した国民国家という形で実現された。国民国家を結び付けているのは、単なる契約(ルソーの「社会契約論」)ではなく、「ナショナリズム」という仲間意識。常に敵を意識して作られ、権力機構によって普及させられたもの。言語を統一するなど仲間内での多様性を許容しない「全体主義」「ナショナリズム」と紙一重となる。それでも、おそらく他の国家形態では得られないほどの豊かさと安全をもたらすものでもある(山口裕之『人をつなぐ対話の技術』日本実業出版社, p.101)。 それだけに、「民主主義」の本質を抑えなければならない。それは「すべての人が階級を排した対等な立場で、自分の意見を根拠づけて主張し、対話(双方向・対等)し、お互いに納得できる合意点を探るところにある」(前掲書、p.51, p.116)。民主主義は、全ての国民が賢くあらねばならないということを要求する。愚衆政治に堕してはならない。だから公教育が存在する。民主主義の本質は多数決ではない、合理的な根拠に基づいて主張をする人同士の冷静な話し合いによる合意形成である。何が正しいかを判断するためには、様々な問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行うことが必要で、そのためには個々人の「良心」「真の知恵」「専門的な知識」などが必要な場合がある。これらを欠いて多数決を採ることは民主主義とは呼べない。 だから、日本の教育改革においても、「基本的人権などの価値観」の共有が大前提であり、さらに世界同時進行で進んでいる教育改革を鑑みれば、他国の教育制度との「比較の眼」、日本の歴史との「比較の眼」も不可欠。これらを踏まえつつ、「対話」に基づく民主的な(教員の自発的な参加と協力による)教育改革。これが日本の教育改革の成否の「鍵」のひとつになるのだろう。それにしても、「民主主義」↔「多文化」、「競争」↔「個性」の関係の中で、公教育のあり方は本当に難しくなっていると実感する。

Posted by ブクログ