商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 東京大学出版会 |
| 発売年月日 | 2018/04/17 |
| JAN | 9784130311915 |
- 書籍
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比較不能な価値の迷路 増補新装版
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比較不能な価値の迷路 増補新装版
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著者の立憲主義のベースにあるのはリベラル・デモクラシーの擁護である。そこでは互いに譲ることのできない多様な価値観を抱く人々が、それでもなお同じ空間で共に平和に暮らすための最低限のルールが法である。古典的な公私二分論を前提に、公的空間を律する法は人々の価値観に踏み込むべきでなく、各...
著者の立憲主義のベースにあるのはリベラル・デモクラシーの擁護である。そこでは互いに譲ることのできない多様な価値観を抱く人々が、それでもなお同じ空間で共に平和に暮らすための最低限のルールが法である。古典的な公私二分論を前提に、公的空間を律する法は人々の価値観に踏み込むべきでなく、各人の価値観にしたがう幸福追求は、侵すべからざるものとして私的領域に囲いこまれる。そのための「切札」が人権というわけだ。 だがリベラル・デモクラシーも一つの価値観であり、超越的な基礎づけが不可能であることを著者は承認する。基礎づけるものがあるとすれば、現にそれが存在するという事実を置いて他にない。その成否は異なる価値観を持つ他人と一つの社会を構成することに意義を見出す人がどれだけいるかに依存する。それが多数を維持できないならば、社会は価値観を共有できる集団に分裂した上で、集団間の紛争解決の手立てを講じた方がよい。夢も希望もないこの醒めきった展望は著者がポストモダニストと言われるゆえんだろう。 著者を退嬰的なポストモダンから分かつものがあるとすれば、いかに脆くとも、リベラル・デモクラシーへの真摯な、しかしアイロニカルなコミットメントであるだろう。だが著者のような「分裂症的能力」を備えた知識人はともかくとして、平均的な凡人にとって、いかなる動機がそのようなコミットを可能にするのだろうか?積極的な価値に関心を向けず、あくまで消極的・形式的な正義の確保に専念するのが法や国家なのだとすれば、そんな無色透明の理念に誰が本気で(場合によっては命を賭けて)コミットできるだろうか。 著者は国家のために命を捧げるのは無意味だと言う。国家と個人の関係が給付と反対給付の契約関係に過ぎないならばその通りだ。でも本当にそうか。命と言えば大袈裟になるが、個体としての自己を超えた存在へのコミットには幾ばくかの自己犠牲が伴う。だがそれは同時に自己実現ともなり得る筈だ。比較不能な価値の共存を可能にするためにも何がしかの公共性が不可欠だ。その公共性は自己犠牲を伴うコミットなき契約関係で維持できるとは思えない。それはまた自己犠牲が自己実現へと反転する契機を欠いた価値中立的なものではあり得ないだろう。この点への理解と無理解がリベラリズムのアキレス腱ではないか。 明言はしないが著者の言葉の端々から察するに、そのこともわかった上で、結局はエリーティズムに頼る他ないというのが著者の本音ではなかろうか。仮にそうであるならば、今の東大生にそんなノブレス・オブリージュが残っているのか甚だ心もとないが、少なくともエリーティズムとリベラル・デモクラシーをどう両立させるのか、エリート養成を主たる任務としてきた最高学府の名誉教授にはその説明責任があるはずだ。 P.S.長谷部先生の良いところをもっと書きたかったが、結局長谷部批判になってしまった。リベラル・アイロニストの可能性と限界は先生も一定の理解を示すローティの共感論をどう考えるかがポイントだと思うが、憲法学からあまりに遠く離れてしまうし紙幅も尽きた。ともあれめちゃくちゃ勉強になる素晴らしい本なので、司法試験には何の役にも立たないけれど、憲法を勉強する人には是非一読を薦めたい。長谷部憲法学の哲学的基礎がよくわかる。
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