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言葉の魂の哲学 講談社選書メチエ673
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言葉の魂の哲学 講談社選書メチエ673

古田徹也(著者)

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言葉の魂の哲学 講談社選書メチエ673

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2018/04/01
JAN 9784062586764

言葉の魂の哲学

¥1,980

商品レビュー

4.3

11件のお客様レビュー

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2022/01/15
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中島敦と世紀末ウィーンの人物 中島敦とホーフマンスタールが、言葉から魂が抜ける体験を描いて言語"不信"を表明する一方で、ウィトゲンシュタインとクラウスは、むしろ言葉に魂が宿る体験に着目することで、言葉の豊饒[ほうにょう]な可能性を探る言語"批判"を展開している。 ゲシュタルト心理学 ベーコン 思考の歪み「イドラ(幻影)」 「言葉を通じて知性に負わされるイドラ」=「市場のイドラ」が一番厄介 「言葉は知性を無理に加え、すべてを混乱させて、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去るものだ」 そのため「真の帰納法」が必要(経験的探究) ①観察・実験を通した事例の網羅 ②適切に吟味し秩序づける ③諸事例を貫く概念を取り出す ゲシュタルト崩壊から抜け出せない理由 P.66 …言葉を現実の(不完全な)代理・媒体と見なす言語観が彼らの物語の前提にある 「語は文から分節化される」という原理 ウィリアム・ジェームズ 「もしも感feeling of if」「しかし感feeling of but」 アスペクト(相貌、表情)変化 アスペクト盲の思考実験 =ウィトゲンシュタイン「かたち盲」「意味盲」 アニミズム物活論 『「いき」の構造』 言語浄化主義 クラウス 韻による「規則性を超えた創造的必然性」 P.196 …〈個々の言葉のもつ奥行きや多面性に触発され、その言葉のかたち(ヴォルトゲシュタルト)を把握する〉という実践を重視する姿勢によって貫かれている。 「言葉というものが、どんな仕方で機械的に使用されようとも、精神の生命によって包まれ保持された有機体であるということの予感」 言語不信 言語批判 [自分の意見・文章と思っているものが、他人(マスメディアなど)の繰り返している常套句の反復に過ぎない] この指摘の翌月、ナチス内部のアドルフ・ヒトラー独裁体制が確立 その10年後ナチス国家が誕生した P.217〜 現在の状況に適用

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2021/12/27

ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論についての検討をおこないつつ、「生きた言葉」や「魂ある言葉」とはなにかという問いを考察している本です。 本書ではまず、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説がとりあげられ、それらの作品に見られる、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれ...

ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論についての検討をおこないつつ、「生きた言葉」や「魂ある言葉」とはなにかという問いを考察している本です。 本書ではまず、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説がとりあげられ、それらの作品に見られる、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる現象に注目がなされています。その後、ウィトゲンシュタインの言語論、とりわけアスペクト盲をめぐる議論についての検討がおこなわれています。 後期ウィトゲンシュタインの言語論は、ときおり「意味の使用説」といったことばでまとめられることがありますが、本書では、ウィトゲンシュタインがことばが帯びているアスペクトないし「表情」について検討をおこない、一方では彼が言葉のうちに宿る「魂」の実体化を否定しながらも、他方ではことばを理解しているといえるためにはそのつかいかたを知っているだけではなく、言葉を体験しているのでなければならないという考えをいだいていたことが指摘されます。著者は、「ぴったりと合う」ことばをさがしているときの体験などを例に、ことばのアスペクトを次々と見わたしていくことによってことばの輪郭が把握されるという見かたを提示しています。 つづいて、こうしたことばの見かたにもとづいて、クラウスの言語観が検討され、とりわけことばがたんなる伝達のための道具ではなく、「かたちを成す」機能をそなえていることに目を向けています。さらに、マス・メディアなどを通じて紋切り型のことばが流通することの危険性にいち早く目を向けていた思想家としてクラウスを評価し、ことばへのかかわりが倫理的な問題につながっていることを展望しています。

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2021/11/03

哲学の書ということである程度身構えて読み始めたのだが、最も驚かされたのはそのなめらかな読み心地であった。まさに「なめらか」という言葉がぴったりくると自身で思うほどに、伝えたいことがしっかりと抑揚に乗って伝わりつつ、それでもどこか控えめで、落ち着いた論調で議論が展開されていく。加え...

哲学の書ということである程度身構えて読み始めたのだが、最も驚かされたのはそのなめらかな読み心地であった。まさに「なめらか」という言葉がぴったりくると自身で思うほどに、伝えたいことがしっかりと抑揚に乗って伝わりつつ、それでもどこか控えめで、落ち着いた論調で議論が展開されていく。加えて、小手先の言葉で惑わされたり、騙されたり、議論を飛躍させられたりするような感覚がない。非常に真摯に、眼を見つめられながら話されるように、内容が進んでいくのである。ここに著者の誠実さや真剣さを私は感じ、それ故余計にこの書の論に惹き込まれた部分があることは否定できない。あまり類を見ないような、素晴らしい読書体験であった。 書の中で展開されている「言葉」をめぐる議論についても、大変興味深く、おもしろいと感じさせられるものであった。自身が普段体験していることと、自身が思いもよらなかった考え方・思想の広がりが繋がることで、眼前が開けるような感覚が得られた。決して簡単・平易・わかりやすいに振り切ったものではない内容に対して、しっかりと言葉を追いながら、議論を味わっていく。こうして得られる深い味わいもまた、容易に他では得られるものではないと私は思う。 著者も最後に述べているように、この書で得られる啓示は現代の我々にとっても非常に重たいものである。言葉が安易に発せられ、それを安易に受け止められる現在、私達は言葉に対してどのように向き合うべきか。何事も効率化が重視され、140字に収まる効率的な・キャッチーな言葉がすべてを決めるような向きが我々の世界には存在する。それに流される自分を客観視して、今一度「言葉」というものを再考すべきだと私も思う。その思考のための梯子がここにはある。ぜひ多くの人に読んで貰いたい、勧めたいと思える一冊であった。

Posted by ブクログ

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