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忍者まるごと事典 対訳ニッポン双書
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忍者まるごと事典 対訳ニッポン双書

土屋晴仁(著者), 坂本真実子(訳者)

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忍者まるごと事典 対訳ニッポン双書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 IBCパブリッシング
発売年月日 2018/01/01
JAN 9784794605153

忍者まるごと事典

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2024/05/27

以前外国人へのガイドで、”忍者”っていたの?と質問され、CIAみたいな役割でいたと答えたが、それ以上の説明ができなかった。そこで、なにげに図書館でこの本を見つけ、今後の備えにもなると考えて読んだ。 忍者の歴史、特技、道具、思想、伝説、研究ついての概要を、日本語と英語で説明してく...

以前外国人へのガイドで、”忍者”っていたの?と質問され、CIAみたいな役割でいたと答えたが、それ以上の説明ができなかった。そこで、なにげに図書館でこの本を見つけ、今後の備えにもなると考えて読んだ。 忍者の歴史、特技、道具、思想、伝説、研究ついての概要を、日本語と英語で説明してくれる。 歴史は詳しいことが分かってはいないようだが、意外と古そうだ。 忍者の故郷として有名な三重県・伊賀地方には5世紀頃の古墳があり、当時の中国や朝鮮半島からの鉄などの技術を伝えた渡来人の族長が祀られていると言われている。同地の有名な忍者「服部半蔵」の祖先もこの渡来人で機を織って服を作っていた人。 伊賀に伝わる伝承では、神話時代の「神武天皇」が九州から大和征服に向かう際、その先鋒を務め、宮門の警衛も務めた「道臣命(みちのおみのみこと)」を伊賀忍者の祖先としている。 また伊賀と並んで有名な滋賀県・甲賀地方には、聖徳太子が、587年に仏教普及に抵抗する物部氏を征伐した際に、大伴細人というものが活躍し、「しのび(志能便)」と名付けられ、これが「甲賀忍者」の祖になったとの伝承がある。他にも7世紀には「多胡弥(たこや)」とか、「藤原千方」という忍者が活躍したとの記録があるとのこと。 伊賀と甲賀が有名だが、これは京都に近く、情報を集めやすかったことがあるという。 昔は境を意識せずに雑居していた同盟関係の両者が、一時期敵対したのは、織田信長の第2次伊賀攻め(1581年)で甲賀側が信長についたため。しかしその後は、再び共存している。 他の国の忍者でよく知られているのは、信濃(長野県)で真田幸村が率いた「真田十勇士」や戸隠忍者、鉄砲を特技とした紀州(和歌山県)の雑賀衆・根菜衆がある。 昔の戦いで記録が残っている例では、鎌倉幕府打倒を呼びかけた後醍醐天皇に味方した楠木正成は、1333年、千早・赤阪城でわずか1000人で、100万にも及ぶ鎌倉幕府の大軍をゲリラ戦で撃破した。この時、伊賀・服部氏の忍者48名が大活躍した。 また、日本が戦国時代に入った15世紀後半の1487年、足利将軍の幕府軍が、反抗する近江の土豪・六角氏を攻めた際には、伊賀と甲賀の忍者たちが敵陣に放火するなどして、幕府軍を追い返したことなどがある。 本能寺の変の時、徳川家康は信長の盟友だったので自分も狙われることになる。知らせを聞いて、すぐに伊賀の山道を逃げ、「鹿伏兎」の険も越えて本拠・岡崎に帰るが、この伊賀越えには、家康の部下・服部半蔵が声をかけて、伊賀と甲賀の忍者が集まって助けた。そして後に、数百人が家康に召し抱えられ半蔵の部下に配属された。 家康に重用された服部半蔵とその部下は、江戸城西門の警備を任され、皇居の西側にある「半蔵門」がそれ。 面白いのが、猿楽能の大家である観阿弥。父が伊賀・服部一族の服部元成、母がゲリラ戦に強かった楠木正成の姉(または妹)なので、まさに忍者の家系。 また松尾芭蕉彼も出身は伊賀の柘植で、ここも忍者の里。 彼の父・松尾与左衛門は名字帯刀を許された上層農民。母は伊賀の上級忍者・百地氏の娘。これだけでも忍者を束ねる家系の出身だとわかる。 俳諧や連歌の師匠も旅に出て怪しまれない職業だったこと。彼の旅行記『奥の細道』は、1日平均42kmという異常な速度での移動といい、旅費の出所が不明なことといい、謎だらけ。こうしたことから、幕府の密命を受けて諸藩の動きを探るためだったのではないかと言われている。 ただ「忍者」という呼び名や、彼らが用いたテクニックを「忍術」と呼ぶようになるのは、後世になってかららしい。 英語で話せるかどうかは別として、なるほど!の1冊でした。

Posted by ブクログ

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