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八甲田山 消された真実
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八甲田山 消された真実
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商品レビュー
3.9
10件のお客様レビュー
明治35年1月、陸軍の歩兵第五聯隊(れんたい)第二大隊が八甲田山中で遭難し、将兵199名が亡くなった。 1971年に出版された新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」と、それを原作とした映画の影響で、この遭難事故が昭和になって脚光を浴びた。しかし、1964年に聞き取られた雪中行軍の生...
明治35年1月、陸軍の歩兵第五聯隊(れんたい)第二大隊が八甲田山中で遭難し、将兵199名が亡くなった。 1971年に出版された新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」と、それを原作とした映画の影響で、この遭難事故が昭和になって脚光を浴びた。しかし、1964年に聞き取られた雪中行軍の生存者・小原忠三郎さんの証言が明らかになるにつれ、俗説が覆されていく。著者は元自衛官、青森の第5普通科連隊などに勤務し、退官後に遭難事故の真実を追求しつつ、執筆を開始したという。 この二大隊遭難の実態は「無能な指揮官の命令によって、登山経験のない素人が準備不足のまま知らない山に登山をした」ということだと、著者は締めくくっている。そして、陸軍の内部報告では、真実は隠され歪められ、そんな報告には教訓もないと。実は1985年の自衛隊八甲田演習でも、遭難騒ぎが起きたという。 小説や俗説で、第五聯隊と比較され、成功だとされる第三十一聯隊の雪中行軍は、同時期に同じ八甲田山で行われたもの。実態は距離も短く、平坦なルートが多く、民家に提供させた食事と宿を使い、地元の方に案内役もさせていたという。この2つの聯隊は同じ師団、旅団に属しており、ライバル関係にあった。事前の視察や訓練も不十分なまま、第五聯隊が演習を強行したのは、ライバルの計画への対抗心だったよう。さらに、演習が始まったあとのトラブルに適切に対応できず、指揮命令や決定プロセスも機能せず、そして多くの人名が失われ、その教訓は正しく伝えられなかった、という話だった。
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八甲田山遭難事件を知らない人だと難しいだろう。 しかし、元自衛官としての考察・評価は面白かった。 公表資料の齟齬から組織の責任回避を推測し、また本当はこうあるべきだという評価が良い。
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著者は元自衛官。八甲田山の遭難事故については、新田次郎の本や映画を見たことがあり、多くの人達はそれが真実だとして受け止めているが、様々な資料生存者の証言で検証してみると、多くの点で間違いがあるらしい。著者は、青森の自衛官時代の経験をもとに丁寧に当時の状況を考察しており、大変面白く...
著者は元自衛官。八甲田山の遭難事故については、新田次郎の本や映画を見たことがあり、多くの人達はそれが真実だとして受け止めているが、様々な資料生存者の証言で検証してみると、多くの点で間違いがあるらしい。著者は、青森の自衛官時代の経験をもとに丁寧に当時の状況を考察しており、大変面白く読めた。映画では、有能だが不遇な神田大尉と統率力がある徳島大尉という架空の人物として主人公が設定され、二人の指揮官の物語とされていた。モデルとなった実際の二人は、著者によると映画とは性格がかなり違っていたようだ。また映画では分かりにくかった装備の問題(ソリ等)、情報収集の問題(目的地の情報が不明、地図が大雑把)、段取り不足、行軍兵士たちのモチベーション、地形天候など状況を詳細に考察しており、雪中行軍の難しさがよく分かる。でも本質としては、結局当時の時代背景(立身出世、隠蔽体質、リスク対応無視)がこの事件の遠因となったことは間違いない。そして日本軍の体質は昭和の大戦まで引き継がれた。 この本で事件の詳細を知ってしまうと、映画の感動が薄れてしまった。徳島大尉役の高倉健の演技に涙するほど感動していたのに、、。八甲田山の悲劇について知りたければ、まず映画を見てから本を読んだ方が良いと思う。(先に読むと、映画の感動が薄れてしまうと思う) この本は冷静な文章や引用文でまとめられているが、時々著者が感情的になる部分があった。自衛官時代に、似たような体験があったのかもと想像してしまった。
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