商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2017/11/09 |
JAN | 9784480098184 |
- 書籍
- 文庫
素読のすすめ
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素読のすすめ
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商品レビュー
3.3
4件のお客様レビュー
会津若松に旅行に行った際、日新館で文武両道の教育を知った。その中に素読があり、興味を持って読んだ。 漢文以外にも世界の幅広い言語宗教の観点から素読の持つ意味が多面的に検討されていて面白かった。 まずは大学から素読を始めてみたい
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漢詩の素読などは敷居が高いが、なんでもいいから朗読してみるということならやってみようという気になる。色々試して、経験を重ねてみよう。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・足達忠夫「素読のすすめ」(ちくま学芸文庫)を読んだ。素読といふと、私は漢文の素読しか思ひ出さない。その中でも明治の作家の文体とその力量を思ふ。これは私達には全く真似のできないもので、さすが江戸に産まれた人だとしか思へない。時代が違ふと言へばそれまでだが、その時代の中からああいふ人たちが生まれるのだから、これはもう時代の力は恐るべきであると思ふしかない。これが漢文素読によるのである。本書でも繰り返し言及されてゐる江戸の漢文素読の明治に対する影響、これは本当に見事で、これなくして日本の近代化はあり得なかったのではないかと、私などはごく単純に思つてしまふ。漢文素読はそれほどに優れたものである。中村正直の文章に関連してこんな一文がある。「現在活躍している洋学者や、政府の要人を見てみると、みな漢学の下地がある人たちばかりである。(中略)明治維新を支えた漢学の力は、 一朝一夕につちかわれたものではない。」(102頁)枕草子の香炉峰の雪を持ち出すまでもなく、漢文は、古来、教養、素養の基本にあり続けた。それが明治に生きた。森鷗外の史伝は、文学に於けるその最たるものであらう。 ・では、本書に於ける素読とはいかなるものか。漢文素読といふ点は変はらない。私は素読は読み下し文で行ふものだと思つてゐた。ところが、本書の素読はいささか違ふのである。音訓式素読である。漢文を読み下さずに音読するのである。例として最初に出てくる杜牧「山行」は「遠く寒山に登れば石径斜めなり」 (10頁)と始めるのが私の知る素読法である。本書ではかうなる、「エンジョウ カンザン セッケイシャ」(同前)。以下「ハクウン セイショ ユウジン カ」云々と続く。音読である。文字がなければ意味が分からないではないかと思ふが、当然、何らかのテキストはあるから、これはこれで良いらしい。足達氏は実践家である。この素読を実践している。それも子供達を対象にして寺子屋式に教へてゐる(ゐた)らしい。その子供達は読み下しより音読式を好むらしい。要するに、音読式ならば常に上から下への読みであるのに対し、読み下しだと、返り点が入つて、時には複雑な動きをすることになつて読みにくいからであるらし い。漢詩だと比較的易しいはずだが、文章だとさうはいかなくなる。返り点が多くなつて読みにくくなる。その反面、しかし文章だから意味は分かる。素読の経験はなくとも、読み下し、書き下しの漢文を見てきた人間は、かうして並べられると、やはり意味の分かり易い方が良いのではないかと思ふ。しかし、音訓式素 読をする子供達は意味を気にしないらしい。「音読みの響きのほうが、耳と口に快感をあたえてくれるらしい。」(31頁)子どもには漢字だけ並んでゐても意味は分からないから、却つて音読のリズムの良さに気がつけるといふことであらうか。大人の世界で今も続いてゐるのであらうが、声に出して読む何とかの類がはやるのも、この「耳と口に快感をあたえてくれる」ことが大きいのであらう。古典や小説の冒頭だけをその昔に覚えたものだが、耳と口に快いものの方が覚え易かつた。子供達は正直である。読み下しも漢詩などは結構心地良く響くのだが、音読式には負けるのかもしれない。読経に心地良さを感じるのもこれである。 今更素読といふ時代ではあつても、それでもと思ふ。音読式はなじめない、読み下しの方が素読と思へる……学校教育の漢文を終へた身は音読式と無縁であつたから、やはり書き下して読んで意味の分かりさうな方が親しみ易く感じる。しかし、本書は「意味よりも音の響き」(34頁)といふ内容が中心であつた。そん なものかと思ふ。
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