1,800円以上の注文で送料無料

心はいつ脳に宿ったのか 神経生理学の源流を訪ねて
  • 新品
  • 書籍
  • 書籍
  • 1214-01-15

心はいつ脳に宿ったのか 神経生理学の源流を訪ねて

小島比呂志(著者), 奥野クロエ(著者)

追加する に追加する

心はいつ脳に宿ったのか 神経生理学の源流を訪ねて

3,850

獲得ポイント35P

在庫あり

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 海鳴社
発売年月日 2017/07/01
JAN 9784875253341

心はいつ脳に宿ったのか

¥3,850

商品レビュー

0

2件のお客様レビュー

レビューを投稿

2025/02/03

1. 古代の脳科学 1.1 古代エジプトとメソポタミア - 古代の医術は、エジプトやメソポタミアにおいて発展し、神々と結びついていた。 - 医学者たちは、神の名のもとに病気を治療することを重視していた。 1.2 古代ギリシャ - ソクラテスやヒポクラテスなどの哲学者・医学者が...

1. 古代の脳科学 1.1 古代エジプトとメソポタミア - 古代の医術は、エジプトやメソポタミアにおいて発展し、神々と結びついていた。 - 医学者たちは、神の名のもとに病気を治療することを重視していた。 1.2 古代ギリシャ - ソクラテスやヒポクラテスなどの哲学者・医学者が登場し、医学が自然哲学から独立した学問として確立された。 - ヒポクラテスは、病歴の正確な記録と自然治癒力への期待を持ち、呪術や魔術から医学を切り離すことを目指した。 2. 脳に関する解剖学的知見 2.1 ヘロフィロスとエラシストラトス - 古代ギリシャの解剖学者であるヘロフィロスは、脳と脊髄の関係を理解し、神経系の構造を詳細に描写した。 - 彼は、脳が精神の座であると考え、アリストテレスの「心臓に心が存在する」という説を否定した。 2.2 ガレノスの貢献 - ガレノスはヘロフィロスの記述を受け継ぎ、脳の機能についての理論を発展させたが、彼の考えには後の時代まで誤解が残った。 3. 中世からルネサンスへの移行 3.1 アンドレアス・ヴェサリウス - 16世紀のヴェサリウスは、解剖学の重要性を再認識し、自らの解剖経験に基づく著作『ファブリカ』を出版した。 - 彼の作品は、古代の権威主義的な見解を疑問視し、実証的な科学的方法を強調した。 4. 17世紀の科学革命 4.1 デカルトの心身二元論 - デカルトは、心と身体を別の実体として捉え、心の働きを物理的なメカニズムで説明しようと試みた。 - 彼の理論は後の神経科学や心理学に大きな影響を与えた。 4.2 実験科学の確立 - 17世紀には、観察と実験を重視する科学的手法が確立され、ガリレオやニュートンなどが新しい自然科学の基盤を築いた。 5. 近代神経科学の発展 5.1 ガルバーニの動物電気の発見 - 18世紀のガルバーニは、神経の電気的特性を発見し、近代神経科学の夜明けを迎えた。 - 彼の研究は、後の神経生理学において重要な役割を果たすこととなった。 5.2 ベルナールの実験医学 - ベルナールは実験方法の重要性を強調し、デカルトの考えを引き継ぎながらも、より厳密な科学的方法を追求した。 結論 本書は、古代から近代にかけての脳科学の進展を網羅的に示しており、哲学、医学、解剖学の相互関係を明らかにしています。特に、解剖学の発展や実験科学の確立が、現代の神経科学に至る重要なステップであったことが強調されています。

Posted by ブクログ

2017/11/11

著者は神経生理学の研究者。 この本、「意識」の問題を神経生理学研究の歴史に沿って解説していく本だと思って手に取ってみたが、なかなかどうして一筋縄ではいかない本である。 神経生理学の歴史を追うには追っており、実際、生物電気の発見からニューロン・シナプスの話あたりはさすがに研究者とい...

著者は神経生理学の研究者。 この本、「意識」の問題を神経生理学研究の歴史に沿って解説していく本だと思って手に取ってみたが、なかなかどうして一筋縄ではいかない本である。 神経生理学の歴史を追うには追っており、実際、生物電気の発見からニューロン・シナプスの話あたりはさすがに研究者という詳細な記述なのだが、本書のスタンスは実験科学としての神経生理学のみには留まらない。 一方では、「意識」に関わる哲学の歴史も追い、最後は量子力学へとなだれ込む。 正直なところ、私の力量ではどこまで追えているのかあまり自信がないのだが、現在、「意識」の話を突き詰めた1つの形がこれなのだろうと思う。詰まるところ、「意識」を語るということは、科学の枠だけには収まらず、哲学的な問題の考察も避けては通れないということなのだろう。 複数分野を俯瞰しながら飛翔するような、目眩く読書体験である。 個人的には、「意識」や「心」は、心臓に宿ると思われてきた時代が長かったのかと何となく思っていたのだが、エジプトでも運動制御に関わる機能が脳にあることは観察されており、また古代ローマの医師・哲学者ガレノスは「心」が脳に宿ることをほぼ突き止めていた。 但し、アリストテレスの自然観に代表される「心」が心臓に宿るという見方が主流であり、これが崩されていくのは17世紀の科学革命以降のことになる。 血液循環説を唱えたハーヴィ、『方法序説』のデカルトを経て、時代は近代科学の誕生へと向かう。 ガルバーニの生物電気の発見は、ボルタとの論争を生み、副次的に電池の開発へとつながる。『実験医学序説』のベルナールにより、実験神経生理学の基礎が築かれ、後、ニューロンやシナプスの研究が展開されていくわけだが、しかし、ここに1つ大きな問題がある。 自由意志は存在できるのか、ということである。 近代科学は「因果律」を基本に置く。もしもある系のすべての原子の位置と運動がわかるならば、未来は予測できるはずである。生物を含む有機体において、同一の原因からは同一の結果が生まれるはずである。 ならば、どちらの道を行こうか、どの料理を選ぼうか、等等、我々が日々行っている小さな選択は、本当に「自由意志」なのか? 宇宙が誕生したときから、それは「決まっていた」のではないか? そこにもしかしたら関わっているのかもしれないのが、量子力学の「ゆらぎ」である。 著者は最終章で、量子力学の対象となりうる脳内の微小な事象をいくつか挙げている。 なるほど、これら個々の事象についての解明は、そう遠くない将来に可能であるかもしれない。 しかし、全体として、「意識」を理解しようというのは相当な「ハード・プロブレム」であり、軽い気持ちで読み始めたら、とんでもなく難しい問題が立ちはだかっていたことに何だか茫然としてしまったのだった。

Posted by ブクログ