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街場の共同体論 潮新書
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街場の共同体論 潮新書

内田樹(著者)

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街場の共同体論 潮新書

906

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 潮出版社
発売年月日 2017/01/01
JAN 9784267020742

街場の共同体論

¥906

商品レビュー

4.4

15件のお客様レビュー

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2024/10/06

この欄ではこれまでも何度か同じ言い方をしてきたが、「この本を読んでいるかいないかは大違い」「読まなかったらと思うと怖い」と思う本がある。もちろん、今回ご紹介する本もそう。ここだけインタビュー形式で書かれている「第七講」で聞き手が、「こんなこと、内田先生以外誰も指摘していないんじゃ...

この欄ではこれまでも何度か同じ言い方をしてきたが、「この本を読んでいるかいないかは大違い」「読まなかったらと思うと怖い」と思う本がある。もちろん、今回ご紹介する本もそう。ここだけインタビュー形式で書かれている「第七講」で聞き手が、「こんなこと、内田先生以外誰も指摘していないんじゃないかと……」と言うが、私も全く同感だった。テレビや雑誌などのマスメディアが喧伝するのは、スポンサーや各関係者の意向に沿った、ウケのいい主張ばかり。物事の本質を衝く意見は、少数派として黙殺されるか潰される。結果、私たちは、本質を理解する機会のないまま、流された情報を「そうなのだろう」と思ってしまう。「父親の没落と母親の呪縛」(第一講)も、「消費社会と宗教の解体」(第三講)も、「格差社会の実相」(第四講)も、この本を読むまで、私にはよくはわかっていないことだった。武道家としても知られ、身体の感覚に足場を置く内田氏の論は、生きることの大切さを論拠にしていて明快。耳に痛い言葉も多いが、辛抱して読む価値は大いにある。以下の一節だけでも、私たちの理解が本質には届いていないことがよくわかるのではないか。「コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力だということです」。(K) 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2017年2月号掲載

Posted by ブクログ

2024/08/16

・なぜ、お父さんは「クサいからあっち行って」と言われるのか? ー新自由主義システムからの説明  新自由主義がもたらした家父長制の崩壊が、現代日本の過激化するいじめ、貧困、教師の権威失墜、学力低下、その他諸々の根源にあるとの指摘があって、2017年出版の新書だが、10年経ってもそ...

・なぜ、お父さんは「クサいからあっち行って」と言われるのか? ー新自由主義システムからの説明  新自由主義がもたらした家父長制の崩壊が、現代日本の過激化するいじめ、貧困、教師の権威失墜、学力低下、その他諸々の根源にあるとの指摘があって、2017年出版の新書だが、10年経ってもその内容は色褪せていないと感じる(逆に何も好転していないという悲劇でもあるが...)。  その家父長制崩壊の卑近な例が、娘がお父さんに言う「クサいからあっち行って」という敬意もへったくれもない嫌悪の表明なんじゃないかと思う。新自由主義システムの中で権威性を剥ぎ取られた父親は、ちょっとクサいATMに過ぎなくなってしまうのね....。  じゃあ、どうすれば現代の新自由主義的な問題(本書では改革の結果の答えだとされる)に対処できるか?  提示されているのは、街場レベルでの家父長制の復活ということ。個人的にも、まあそうだよなと思う。父親的な権威が地に堕ち、母親的なものに偏りすぎてバランスを失っているから、毒親的で過保護な支配がまかりとおり、息苦しい世の中になっているんじゃなかろうかと。 ・ラッキーな人を見つける  混迷の時代、人は何か「わけがわかっている」人について行きたがっているそう。彼らは無意識に「ざわざわ」を感じ取る。それが運がいいということ  東郷平八郎が退役目前で連合会軍司令官に抜擢されたのも、彼が運が良かったからなんだと。  個人的には運の良し悪しに懐疑的だったのだが、確かに生き残るには「運のいい人」について行った方が何かと都合がよさそうだ。  運がいい人はどこにいても「機嫌良く暮らしている」とのこと。さて自分の周囲にそんな人はいるかな....

Posted by ブクログ

2024/05/28

(2014/9/26) 内田さんのものの考え方にはいつも唸らされる。納得、である。 第1講 父親の没落と母親の呪縛 第2講 拡大家族論 第3講 消費社会と家族の解体 第4講 格差社会の実相 第5講 学校教育の限界 第6講 コミュニケーション能力とは何か 第7講 弟子という生き方...

(2014/9/26) 内田さんのものの考え方にはいつも唸らされる。納得、である。 第1講 父親の没落と母親の呪縛 第2講 拡大家族論 第3講 消費社会と家族の解体 第4講 格差社会の実相 第5講 学校教育の限界 第6講 コミュニケーション能力とは何か 第7講 弟子という生き方 3章の小見出しに 「こども」の数が異常に増殖してしまった というのがある。 え?この少子化時代に何を言っているんだ、と思ったら、読んで納得。 ここでいう「こども」とは年齢による区別ではない。 「こども」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事」じゃないと思う。 「おとな」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事」だと思う。その違いです。それだけの違いです。 7%大人がいれば現代社会制度は何とか回していける、とも言う。15人に1人。 自分がおとなになっているか、こころもとない。うちの近所のおばさんは向こう三軒両隣綺麗にしてくれている。 その分?おしゃべりが多いが、こういう人こそコミュニティには必要なのだろう。おばさんだ。 そういえば向こう三軒、、と言えば、永六輔さんの本で、永さんの子供時代、かっきり自分の敷地の前だけ掃除して怒られ、 では今度はとその起こった人の敷地の前も全部掃除して「俺の掃除する場所がないだろう!」と怒られ、 ちょうどいい塩梅の場所までの掃除になったというのを思い出した。 おとなになるにはいろいろ教わらなきゃいかんのだ。 幼児は「かつての私」、老人は「未来の私」 というフレーズもいい。 今はそれを忘れてしまっているから、幼児虐待もあれば老人差別もある。まあしかし医療の進歩で老人は増えすぎてるとは思うが、、。 自分の思う通りにならない子供に耐えられない親のニュースがどんどん出るのはつらい。 そう思うのは当然だが、そこをどう乗り越えるか、これは周りの協力が不可欠だ。一対一に追い詰めさせてはいけない。 今の教育は商取引になってしまっている、というのも新しい考え方だった。 いかに効率的に学ぶか。目指す大学入学するという目的のために不要な勉強はしない。卒業するため、就職するためにも最短距離を選ぶ。 ある意味目的に対し合理的ではあるが、学問というのは本来そんな浅いものではないわけで。 しかし今はそれですべて動いてしまっている。 私もその考えに染まっているなぁ。 福沢諭吉の逸話で、休憩しようと思って枕を探したが見つからない、そういえばこの一カ月枕を必要とする寝方をしていなかった、 毎日机に突っ伏していた、などという壮絶な話があった。 それほど必死に勉強して海外の知識を翻訳し、欧米列強に負けないよう努めたのだ。 最初の教科書は原初だったが、彼らの活躍で、日本語の教科書になるまでさほどかからなかったという。 ノブレスオブリージュ。 いまはそういう考えがないのだろうな。権利意識ばかり。自分ばかり。 知的好奇心をくすぐられる本であった。

Posted by ブクログ

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