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丸刈りにされた女たち 「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 岩波現代全書093
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2016/08/01 |
| JAN | 9784000291934 |
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丸刈りにされた女たち
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丸刈りにされた女たち
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商品レビュー
3.6
12件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
✩は2.5。 思っていたのとは少し異なったが、面白くはあった。 個人的に興味深かったのは、丸刈りはナチ党やレジスタンスの“男性”が“女性”の頭を剃っていて、女性が女性を剃ったりはしていないというところ。そしてドイツ人がドイツ人を丸刈りにすることもあったということには驚いた。 しかし、外国人男性と関係をもった女性は罰せられるのに対し、外国人女性と関係をもった男性は罰せられないという歪な構造も浮き彫りになり、筆者も最終章で述べているが、丸刈りにされた女性たちを暴力を受けた「被害者」ではなく、「有罪」の女たちとしてしか認識しない歴史観が今なお続いていることを踏まえると、戦時下の暴力と“女を制裁したい男”について今一度考えるべきだと思った。 そしてもうひとつ。恋愛をしたことのない私には全く想像ができないが、たとえ戦争中であっても、人は敵味方関係なく恋をするのだなーと思った。
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ユージン・スミスの水俣での撮影についての本で、入浴する少女の写真が現在は遺族の意向により公開が禁止されていることを知った。写真論はどうしても写した側から語られてしまう。写された側からのことばももっと大切にしたほうがよいのではと思って、そういえばキャパの対独協力者の女性を丸刈りにし...
ユージン・スミスの水俣での撮影についての本で、入浴する少女の写真が現在は遺族の意向により公開が禁止されていることを知った。写真論はどうしても写した側から語られてしまう。写された側からのことばももっと大切にしたほうがよいのではと思って、そういえばキャパの対独協力者の女性を丸刈りにした有名な写真について研究した本があったはず、と図書館で探した。写真論ではなく、女性論の棚にあった。 キャパの写真のように丸刈りにされた対独協力女性は二万人もいたらしい。
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もう十年弱くらい前、偶然名古屋駅前のジュンク堂の書棚で見つけて、近くのカフェに入って読み始めたら、知らない事実ばかりに驚きつつ、その語り口が丁寧で登場人物へのリスペクトに満ちていて、心がひりひりしながらページをめくるのが止められなくて、夜遅くに読み終わるまでずっと居座った記憶があ...
もう十年弱くらい前、偶然名古屋駅前のジュンク堂の書棚で見つけて、近くのカフェに入って読み始めたら、知らない事実ばかりに驚きつつ、その語り口が丁寧で登場人物へのリスペクトに満ちていて、心がひりひりしながらページをめくるのが止められなくて、夜遅くに読み終わるまでずっと居座った記憶がある。 表紙には、髪を刈られた女性が街中のベンチに腰掛けて、額に手を当ててうつむいている写真が掲載されている。太ももに置かれた右手は、ぎゅっと握られているようにも、少し緩んでいるようにも見える。震えているのではないかしらと思う。恐怖、怒り、羞恥、悲しみ。 「他人の髪を本人の意思に反して奪うのは許されない暴力だ」と、著者はあとがきで述べている。数日前に読んだ小説『あの図書館の彼女たち』でも、対ナチ協力者とみなされた女性が、パリの街中で髪を切られ、胸をナイフで刺され、手首を骨折させられていた。この本を読んでいたから、あの小説のシーンにただ驚くというよりは、その暴力性に背筋が凍る気がした。 髪は女性にとって大事なアイデンティティの一つだし、それを男性もわかっている。その点で思いを巡らせると、女の大事なものを男が無理やり奪うというのは、ただある個人の身に降りかかった偶発的な出来事ではなく、男性性が前提のシステムが後ろ盾になった暴力だと思う。フランス人女性がドイツ人男性と体の関係を持ったのは、自分の利益のため、貧困からやむにやまれず、純粋に恋に落ちたから、いろんな理由があるはずで、それを無視して私的制裁を加えていいはずがない。だが、これまでの歴史の中でそういった女性の一人ひとりの姿はきちんと記録されてこなかったし、これからもされないだろう、といった旨を筆者は語る。スティグマを背負って戦後を生きた女性たちを「対ナチ協力者」と片付けるのは、あまりにも暴力的で、男性目線というか支配者側の視線のみの基づく歴史の語り方だと思う。等身大の女性たちのライフストーリーも、もっといえば「正義感」の裏の負の側面だって記録されるべきだ。 話は少しずれるが、日本にも「パンパン」がいた。地元の隣町には赤線があった、と祖母がよく言っていた。飾り窓地域を警察が地図に赤い線を引いたことから、そう呼ぶらしい。その華やかな地域の近くに映画館があって、祖母は映画を見て近くの中華屋でラーメンを食べるのが楽しみだったらしい。その中華屋にきれいなお姉さんたちが来ていることがあった、と。当時はかわいい既製品の服はなくて、祖母はお金持ちの友達に中原淳也の雑誌を借りて、自分で服を縫ったと言っていた。下着もなくて、ブラもショーツも自分で縫ったそうだ。その話を思い出して、ふと、生々しい身体的な感覚や経済的格差は、もっと露骨に日常生活に転がっていたのかもしれないと思った。 そういえば祖母は、私のロングヘア黒髪に異様にこだわっていた。与謝野晶子の短歌みたいだ、といつもほめていた。でもあの歌は妻子ある男との道ならぬ恋に支えられた、若い女性の自惚れ=はつらつとした自信、を詠んだものだと思う。私の髪であると同時に、好きな男にほめられるための髪なのだ。野暮な蛇足をするけど、知らない男に刈られるための髪ではない。
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