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オリエント世界はなぜ崩壊したか
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オリエント世界はなぜ崩壊したか
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商品レビュー
4.5
7件のお客様レビュー
1. オリエントの歴史的背景と文化的多様性 オリエントは多様な民族、文化、宗教が共存してきた地域であり、古代から続く交易や文化交流が重要な要素とされてきた。歴史的には、オスマン帝国の時代に見られた平和(パックス・オスマニカ)が特に強調される。この時代の平和と繁栄は、現在の混乱とは...
1. オリエントの歴史的背景と文化的多様性 オリエントは多様な民族、文化、宗教が共存してきた地域であり、古代から続く交易や文化交流が重要な要素とされてきた。歴史的には、オスマン帝国の時代に見られた平和(パックス・オスマニカ)が特に強調される。この時代の平和と繁栄は、現在の混乱とは対照的であり、過去の共存の重要性が再評価されている。 2. 現代におけるオリエントの問題 現代のオリエント地域は、紛争や暴力が続いており、特にイスラエルとパレスチナの問題は国際的な注目を浴びている。これに対するヨーロッパ諸国の態度も変化しており、フランスやスウェーデンなどがパレスチナ国家の承認を進めていることが挙げられる。これは、過去の歴史的な罪に対する反省から来ているとも考えられる。 3. クルド人の問題 クルド人は、サイクス・ピコ協定において無視された民族であり、彼らの国家を持たないことが大きな問題となっている。第一次世界大戦後、クルド人は独立国家を求めるようになり、様々な国際的な協定が彼らの希望を一時的に支えたが、実現には至っていない。 4. イスラムと西洋の関係 イスラム世界と西洋の関係は、共存の歴史がある一方で、対立も続いてきた。サイードの言葉を借りると、西洋が抱える「反ユダヤ主義」と「ホロコースト」の問題が、イスラエルによるパレスチナ人への抑圧の正当化に使われている。これに対する国際的な反応として、ヨーロッパ各国の政策が見直されている。 5. 共存の必要性 最終章では、オリエントの地域が持つ歴史的な共存の価値を再評価し、未来に向けての「寛容」が求められている。過去の良い面や悪い面を理解し、互いに受け入れることが、和平への道であると強調されている。特に、イスラム文化と西洋文化の相互理解が重要であり、これに基づく新たな関係構築が期待されている。
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オリエントは古来より高い文明を築き上げてきた。アケメネス朝のペルシア文化はセレウコス朝シリア、パルティア、ササン朝ペルシアと引き継がれた。そしてササン朝とビザンツ帝国が繰り返す戦争のさなかにイスラム教が生まれてきた。ウマイヤ朝、アッバース朝と勢力を拡大してきたイスラム圏は、11世紀にセルジューク朝がアナトリアをイスラム化したことで、ヨーロッパ圏とぶつかることになる。よって始まったのが十字軍だが、その十字軍が終わるころに台頭してきたのがオスマン帝国だった。本書のキーはオスマン帝国にあると言っていいだろう。オスマン帝国は異教徒をミッレトに組織し、自治を認める寛容な政策をとっていた。これはオリエント世界がアケメネス朝の頃から生み出してきた知恵である。 だが、大航海時代を経て産業革命が始まると、オスマン帝国は原料をヨーロッパに輸出し、安価な製品を仕入れる、いわばヨーロッパのマーケットになってしまった。アナトリアが地中海からインドの方へ出て行くところにあった、というのがオスマン帝国の運命を決めてしまったと言ってもいいのではないだろうか。各国はアジアへの入り口を抑えたがり、オスマン帝国は特に英仏露に翻弄される。 WWIを経てオスマン帝国は消滅し、複数の国ができて英仏の管理下に置かれた。さらにWWII後、英仏は財政悪化のためにこれらの地域を手放すことになる。ソ連の進出を抑えるために、アメリカが中東政策に関与するようになった。アメリカではユダヤ人コミュニティが非常に強いため、アメリカはイスラエルを支援し、湾岸戦争、イラク戦争などイスラエルの敵国を押さえ込んできた。そのことが2015年頃のイスラム国の台頭を招いている。 もはやオリエントには、オスマン帝国時代に見られた寛容の精神が失われてしまったことを筆者は強調している。
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紀元前より、オリエントでは、アケメネス朝のサトラップによる支配、シルクロードや砂漠での交易による文化の融合や共存システムの確立、イスラームの誕生、オスマン帝国のミッレト制、というように、繰り返す戦争の中で、必ず「寛容」というひとつの答えを導き出し、民族や国家、宗教の垣根を越えた文...
紀元前より、オリエントでは、アケメネス朝のサトラップによる支配、シルクロードや砂漠での交易による文化の融合や共存システムの確立、イスラームの誕生、オスマン帝国のミッレト制、というように、繰り返す戦争の中で、必ず「寛容」というひとつの答えを導き出し、民族や国家、宗教の垣根を越えた文明を生み育んできた。 しかし、欧米の国家システムや価値観の流入によって新たな対立軸が作られ、現在その寛容の精神はもはや見いだせなくなった。 歴史というものは人間が作るものであり、作らずにおくことも、書き直すことも可能だ。(サイード) 自らの利益だけを追求するのでは無く、忘れ去られた「寛容」の精神を振り返り、それに則って歴史を書き直すことで、現在中東に留まらず様々な対立は解決の道を辿れるはずだと思う。
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