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中国学の散歩道 独り読む中国学入門 研文選書124
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中国学の散歩道 独り読む中国学入門 研文選書124

加地伸行(著者)

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中国学の散歩道 独り読む中国学入門 研文選書124

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 研文出版
発売年月日 2015/09/01
JAN 9784876364015

中国学の散歩道

¥2,750

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2016/01/11

友人がfacebookで加地さんの講演を引用し、「大学院で学ぶ者の中には、大学の教師になりたいものと研究者になりたいものがいると思うが、大学の教師になりたいものはこの場を去れ」と言っているというので買って読んでみたが、そこまではっきりとは言っていない。研究者を目指す者はだれかが見...

友人がfacebookで加地さんの講演を引用し、「大学院で学ぶ者の中には、大学の教師になりたいものと研究者になりたいものがいると思うが、大学の教師になりたいものはこの場を去れ」と言っているというので買って読んでみたが、そこまではっきりとは言っていない。研究者を目指す者はだれかが見ているから、がんばってやれと言っているに過ぎない。むしろ、今の世の中、大学の教師になることは至難の技で、昔なら哲学で就職できないからとりあえず語学でといった離れ業も通じなくなっている。ぼくは加地さんとは会ったこともないし、本はほんの少しよんだだけだが、ちょっと思い込みが強い人かなと思う。本人はみんな自分に批判されるのを恐れるから近づかないというが、思い込みの強さが災いしている気がする。たとえば、中国の古典は日本人は訓読で読んでこそ理解できるという点がそうだ。加地さんの言うようにどちらで読んでもわからないものはわからない。しかし、ぼくたちぐらいからの世代は、みんなあれを中国の古典として読んでいるから、むしろ訓読をされるとおかしくなるくらいだ。むかし、職場の仲間と『春秋公羊伝』の注疏を読んでいた時、ぼく以外は訓読で、ある箇所の語順がおかしいとぼくが言って、他の版本を調べて見たらその通りになっていた。これなど音読の効用のような気がする。

Posted by ブクログ

2015/12/18

72頁:必ず原典を見る「学生時代,最初にたたきこまれたことは,引用・論拠には,必ず原典を見よということであった。……なんでもないように見えるが,実はなかなかどうして大変なことである……篠塚は原典を見ていないため失敗している」。 209頁:『扁鵲難経』「歯属骨(歯は骨に属す)」はこ...

72頁:必ず原典を見る「学生時代,最初にたたきこまれたことは,引用・論拠には,必ず原典を見よということであった。……なんでもないように見えるが,実はなかなかどうして大変なことである……篠塚は原典を見ていないため失敗している」。 209頁:『扁鵲難経』「歯属骨(歯は骨に属す)」はこう述べる。「歯は骨の終(お)ふる所,髓の養なふ所にして,腎 実に之を主(つかさ)どる……」。同書はまた「歯は腎の標」と言う。……金代の劉完素の『六書』はこう述べる。「牙歯は是れ手足〔それぞれ〕の陽明の過ぐる所なり。……」 ・加地は,歯医者の集まりを甘く見て,原典を見ていない。 『(黄帝八十一)難経』には,加地が引用したような文は存在しない。加地は医学の専門家ではないし,原典を見ていないから,『扁鵲難経』だの劉完素の『六書』だのと書ける。中国医学の知識があれば,『難経』を引用するのなら,『難経集注』か『難経本義』を使い,その『難経』の「一難に」とか「八十一難に」などと書く。劉完素の『六書』とは,いったいどの本を指すのか? しかし,いろいろと引用してくれているので,加地の出典は分かる。『(古今図書集成)医部全録』巻155である。 http://www.zygby.com/a/gujinyizhu/zonghelei/228_15.html 『古今図書集成』を百科事典のかわりに使うのはいいとしても,歯医者相手の講演会だから,原典しらべなんかいいや,とでも思ったのだろうか? しかし,つきあわせてみておどろいた。「歯は骨の終(お)ふる所,髓の養なふ所にして……」は,宋・楊士瀛『仁齋直指方』である。「牙歯は是れ手足〔それぞれ〕の陽明の過ぐる所なり。……」は, 元・李杲『東垣十書』となっている。いくら医学にうといとしても,この引用文献名のズレはどういうことなのだろう? 『医部全録』以外から孫引きした可能性があるのだろうか? 210頁:合谷は,掌を広げると,親指の付け根あたりが凹む。……掌の合谷…… ・合谷穴は,手背にとる。手の甲(Dorsum of hand)を日本語では,「てのひら」とか「たなごころ」とはいわない。 214頁:②丈夫 五八(四十歳)のとき,腎衰え,髪堕(おとろ)へ……。 ・顧従徳本『素問』は「腎衰」を「腎氣衰」に作る。なお顧従徳本『素問』には「丈夫」はなく,『医部全録』の引用する『素問』(『證治準繩』注の引用として)にはある。あるいは,意味が分かりやすいように加地が「丈夫」を補ったのかも知れない。しかし,本書全体の体例から考えると,加地が補う場合は〔丈夫〕とする可能性が高いが,これは講演なので,そういう書き方をしていないのかも知れない。真相不明。 ③の八八(六十四歳)にある「髪去る(脱落する)」と対比させるためか,「堕」を「おとろえる」と解釈しているが,単純に「四十歳になると,髪が抜け落ち(はじめ)る」と理解した方がいいと思う。

Posted by ブクログ

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