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あるようにあり、なるようになる 運命論の運命
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2015/07/01 |
JAN | 9784062195751 |
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あるようにあり、なるようになる
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商品レビュー
4.2
6件のお客様レビュー
運命のベクトルを変えていくのが主旨。 以下、あくまでも、私の考える結論だけ。 運命を受け入れることは無力であることを意味している。しかし、ただ受け身になるのではなく、波に乗るような、つまり、意に介さぬ波がありながら、それを活かすというのが、無力の中から自由を獲得する方法なのだ...
運命のベクトルを変えていくのが主旨。 以下、あくまでも、私の考える結論だけ。 運命を受け入れることは無力であることを意味している。しかし、ただ受け身になるのではなく、波に乗るような、つまり、意に介さぬ波がありながら、それを活かすというのが、無力の中から自由を獲得する方法なのだ。運命と自由はこのようにしてお互いを助けあってくれている。
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本書は単独作としては6年ぶりとなる入不二基義の哲学書である。前作『足の裏に影はあるか? ないか?』が随想集であったことを思えば、『時間と絶対と相対と』以来実に8年ぶりの哲学書ということになる。しかし待った甲斐があり、入不二本人があとがきで「主著」と位置づけているくらい、量的にも...
本書は単独作としては6年ぶりとなる入不二基義の哲学書である。前作『足の裏に影はあるか? ないか?』が随想集であったことを思えば、『時間と絶対と相対と』以来実に8年ぶりの哲学書ということになる。しかし待った甲斐があり、入不二本人があとがきで「主著」と位置づけているくらい、量的にも質的にも入不二哲学の集大成とも言うべき内容に仕上がっている。 『時間と絶対と相対と』の最終章「運命論から何を読み取るべきか」をさらに展開し徹底したこの作品は、もともと講談社の月間情報誌『本』に連載されたものであったが、単行本化の過程で大幅な加筆・修正がなされており、入不二哲学初心者はもちろんのこと、連載を読んでいた読者にとっても買って損のない一冊となっている。 冒頭のプロローグからして気合が入っている。「概念を動かしてみる」と題されたそれは、それだけで一篇の哲学論文とも呼べるほどクオリティーの高いものである。もっとも運命論とは関係ないようにも見えるその導入部に、読者は一瞬戸惑うかも知れない。しかし冒頭で入不二が宣言しているように、本書は単なる運命論の本ではない。運命という概念が覆されるほどの破壊力を持った、正に副題「運命論の運命」にふさわしい革新的な哲学書である。 「運命」とは不思議な言葉である。「運」とは偶然であり、「命」とは必然である。排他的とも思える二つの語が結合して一つの言葉を形成している。それゆえ「運命論」と「決定論」は似ているようで異なる。さらに運命論/決定論には「解釈的運命論」や「因果的決定論」があるが、本書で扱うのは「論理的運命論」である。それは感情的解釈や物理的法則とは無縁の、論理法則のみに基づいた運命論である。 そんな論理的運命論においてキーワードとなるのが「現実」という概念である。排中律(「PまたはPの否定のどちらかである」)というツールを使って、現実の全一性と唯一性があぶり出され、論理と現実の複層的な対立が明らかにされる。入不二哲学独特の極めて抽象的な議論であるが、現実という得体の知れない怪物が、入不二言語によってからめ取られてゆく様は爽快ですらある。アリストテレス、ディオドロス・クロノス、リチャード・テイラー、マイケル・ダメットらの考察が俎上に載せられ、しかもいずれの哲学者にも与することなく、入不二は論理的運命論を超越した形而上学的運命論の高みへと飛翔してゆく。 「運命論を本書のような仕方で考察したものは、これまでには無かっただろうし、今後も現れることはないだろう」という自信に満ちたあとがきの言葉は、全力を出し切ってやるべきことをやったアスリートの勝利宣言のようにも聞こえる。『相対主義の極北』『時間は実在するか』と並び、入不二哲学の現時点での到達点ともいうべき名著である。
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大学生の頃、「運命の赤い糸はあるのか」について考えたのを思い出しました(笑)その時の考え方としては、「赤い糸が、あるならば云々」と、「赤い糸がないならば云々」という「ある/ない」の二分法を用いていたのですが、これが排中律だったとは夢にも思っていませんでした。 「運命はあるか?」、...
大学生の頃、「運命の赤い糸はあるのか」について考えたのを思い出しました(笑)その時の考え方としては、「赤い糸が、あるならば云々」と、「赤い糸がないならば云々」という「ある/ない」の二分法を用いていたのですが、これが排中律だったとは夢にも思っていませんでした。 「運命はあるか?」、その問いの答えは、本書のタイトルにあるように、「あるようにあり、なるようになる」とのことで……、確か僕が考えた「運命の赤い糸」の答えもそんな感じだったように思います。有るにしても無いにしても都合が悪いんですよね…… 21世紀哲学者の運命論の答えはこんなもんか~なんて若干思いました。馬鹿にしているわけではないですが、大昔から議論されているテーマの答えが21世紀になっても大きな進歩がないということは、逆に言えば明確な答えは無いということでしょう。いや、「あるようにあり、なるようになる」というのが答えなのですが、有るのか無いのかの白黒はつけられないってのが、隔靴掻痒で、なんかこう、バシッとした答えがほしいですね(笑) 中学生の時、友達に誘われてソフトテニス部に入り、それから高校・大学・社会人になっても続けています。しかも、続けようと意識していたわけではなく、気が付くと続けていた、と言う方が適切で、これなんかも運命なのかなぁと思ったりします。つまり、「運命は過去に有る」のかも(笑)確か池谷裕二も、「自由は過去に有る」なんてことを言っていたような気がします。過去になってから分かるんですよね。 ページ量が多くて読むのに時間がかかってしましましたが、読みづらいというわけではなく、割りとスラスラ入ってきました(一部を除いて)。僕の評価はA+にします。
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