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懐かしい未来 ラダックから学ぶ
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懐かしい未来 ラダックから学ぶ

ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ(著者), 『懐かしい未来』翻訳委員会(訳者)

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懐かしい未来 ラダックから学ぶ

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 懐かしい未来の本
発売年月日 2011/02/23
JAN 9784905317005

懐かしい未来

¥1,650

商品レビュー

4.6

5件のお客様レビュー

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2021/03/08

チベット地域に住んでいた時の風景を思い出し、泣きながら読んだ本だった。 「文化を崩壊へと導いていく圧力は数多く、その形はさまざまである。だがそういった圧力の中で、もっとも大きな問題は、進行する開発の真っただ中にいるために、広い視野から何が自分たちに起きているのかという全体像を見...

チベット地域に住んでいた時の風景を思い出し、泣きながら読んだ本だった。 「文化を崩壊へと導いていく圧力は数多く、その形はさまざまである。だがそういった圧力の中で、もっとも大きな問題は、進行する開発の真っただ中にいるために、広い視野から何が自分たちに起きているのかという全体像を見ようとせず、または見ることができなくなつてしまっているというつ事実である。」 全体を見えないのは、人類の宿命であろうか。

Posted by ブクログ

2019/11/13

人の「幸福」とは何なのかを、 ラダックで起きた事実に基づいて書き記した素晴らしい本です。 貨幣経済に飲み込まれず、地域の人々と強く結び付き、 喜びや豊かさを分かち合っていたラダックの人々が、 グローバル化の波により資本主義経済に飲み込まれ 人々の絆がバラバラになっていく姿に、 ...

人の「幸福」とは何なのかを、 ラダックで起きた事実に基づいて書き記した素晴らしい本です。 貨幣経済に飲み込まれず、地域の人々と強く結び付き、 喜びや豊かさを分かち合っていたラダックの人々が、 グローバル化の波により資本主義経済に飲み込まれ 人々の絆がバラバラになっていく姿に、 現在の日本社会で生きている自分自身が感じていた 疑問や寂しさを重ね合わせた。 現在のような行き過ぎた拝金主義や経済至上主義は 人々の「幸福」を蝕む最大の原因であることをこの本を通して 感じることができる。 経済発展による社会の進歩はもちろんいい面もある。 しかしその「経済のしくみ」から沸き上がる、 人間の底なしの欲望はコントロール出来ていないし、 このままのしくみではコントロールすることは難しいだろう。 ただ、ラダックの人々がその事に気づき、 どのようにその「しくみ」と向き合っていきているかは、 この日本で生きていく上でも、参考になると思う。 「幸せ」になりたい! でも「幸せ」とはどうゆうことなのか? そんな疑問やこれからの「生き方」を 改めて考えさせられたとてもいい本でした。

Posted by ブクログ

2018/12/28

長い間ラダックは近代化をまぬがれ、自給自足の生活を守ることができていた。仏教が生活に深く結びつき、自然への畏怖を忘れず倹約を美徳とする生活がながらく続いていた。ラダックにいる誰もがそれを幸福と感じることができていた。インド政府もこの地域の自然、文化、風習が壊されることがないように...

長い間ラダックは近代化をまぬがれ、自給自足の生活を守ることができていた。仏教が生活に深く結びつき、自然への畏怖を忘れず倹約を美徳とする生活がながらく続いていた。ラダックにいる誰もがそれを幸福と感じることができていた。インド政府もこの地域の自然、文化、風習が壊されることがないように保護していた。 しかし、一九七四年以降、インド政府がラダックを観光化のために解放しはじめた。 その途端、わずか数十年で、状況は一変する。資本が入り、開発が進み、近代の文化・文明が容赦なくなだれ込む。すぐに若者は自分たちの文化が「遅れている」と認識し、欲望に駆られて村を離れ、「進んでいる」街へ働きに出る。農村共同体は粉々になり、街の人たちはむき出しの競争原理に晒される。人と人との連帯は急速に失われていく。そして粗悪な加工食品を口にすることで、ぶくぶくと太りはじめ、これまでなかったような奇病が流行る。ラダックの自然環境、それに即したこれまでの文化などまったく知らない為政者が西欧モデルの教育を施すが、それはラダックの自然環境を無視しているため、地産の資源をあつかってものづくりをすることを教えるものではない。教わったことを実践しようとすると、そのための資源は圏外の近代化された環境から持ち込まなければならない。 こうなるまでにたったの十年ほどしかかかっていないという事実が、得体のしれない恐ろしさを覚えさせる。たった十年で人は自分の足場を奪われてしまう。そして無条件に人びとから足場を奪う威力をもっているのが「近代」という世界。私たちは近代化というこの変化の前後を経験しているのではなく、すでに変化後の世界を生きている。変化前の世界を知らずに、この変化後の世界だけが唯一の世界の価値観だと思って変化前の世界を「遅れている」と蔑視する。 ラダックの「過酷な生活」が絶対的な善であるとも思えない。それは自分が近代の世界を生きているから。だからラダック式に戻れと安易に叫びたいわけでもなく、かといって近代を捨てることもできず、かといって近代をこれ以上は好きになることもできず、なんとも悩ましい状態が続く。 読むたびに、スタート地点に戻され、その悩ましい状態から思考を再スタートすることしかできない。 【#ブックカバーチャレンジ Day5

Posted by ブクログ

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