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シモーヌ・ヴェイユのキリスト教 善なる神への信仰
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 教友社 |
発売年月日 | 2012/12/19 |
JAN | 9784902211832 |
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シモーヌ・ヴェイユのキリスト教
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シモーヌ・ヴェイユのキリスト教
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イエスの十字架磔刑が贖罪であり、 その時から人類の罪は赦された。 ヴェイユは述べる。 「もしも贖罪が、その事実を感じ取れるようなしるしや方法でもって、この世界の初めから地上に示されていなかったとするならば、キリスト教時代以前の数世紀の間、あれほど多くの罪なき人々が祖国を追われ、...
イエスの十字架磔刑が贖罪であり、 その時から人類の罪は赦された。 ヴェイユは述べる。 「もしも贖罪が、その事実を感じ取れるようなしるしや方法でもって、この世界の初めから地上に示されていなかったとするならば、キリスト教時代以前の数世紀の間、あれほど多くの罪なき人々が祖国を追われ、奴隷にされ、苦しめられ、殺されたという不幸(malheur)に対して、神を赦すことはできないでしょう、こういう言い方が冒瀆にならなければ、ですが。 「ある修道者への手紙」 ヴェイユにとって、全ての人間は一人の例外もなく、望もうと望むまいて、信じようと信じまいと、神の愛に浴しており、自分自身の救済などではなく、たとえ自分が救われたとしても、我々「全て」が救われなければ無意味なのだという。 内村鑑三に、 「神が世を救ってくださった」ということは、この世全体を救ってくださったということである。すなわち人類全体を救ってくださったということである。 神を信じる者も信じない者も、キリストの名を聞いたことのある者も聞いたことのない者も、善人も、悪人も、すべての人という人をことごとくキリストにあって救ってくださったということである。 との文章があり、共に組織に属さず神をイエスを愛し信じた2人に共通する事に感嘆した。 万人救済、それこそが普遍的救済の神たるキリスト教の真髄なのではないかと、レヴュアーはカトリック者であるが、もしかしたら、カトリックのカテキズムの解釈とはズレているかもしれないが、激しく思う次第である。 現ローマ法王フランシスコは洗礼を受けていなくても、教会に通っていなくても、(ザックリ言えば)イエスに喜ばれるような(多少語弊はある言い方だが)生き方をした者が天国に行けない筈が無いと宣った。 ここに希望の光がある。 これこそ普遍である。
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普遍的恩寵の確信への過程 十字架における贖罪 善への欲望と贈与 共苦の源泉 善なる神への信仰 罪意識―シモーヌ・ヴェイユの自己検閲とリタ・バセにおける心の麻痺 著者:松原詩乃(1974-、兵庫県)
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