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“選択"の神話 自由の国アメリカの不自由
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 紀伊國屋書店 |
発売年月日 | 2012/12/14 |
JAN | 9784314011013 |
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“選択"の神話
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“選択"の神話
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商品レビュー
3.3
6件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
自己責任とは、自由意思による選択に立脚している。 はたして わたしたちにどこまで自由意思があるのか? どれだけ選択できているのか? どこまでが自己責任なのだろうか? わたしたちには自由意思があるというのは本当だろうか? 実は、わたしたちには意外と自由意思が無いかもしれないのだ。 例えば、自分の手を動かすとき、脳はどうなっているか? 最初に自由意思 (手を動かそうという思い) があって、次いで実際に手が動くのだと思うでしょ? これがなんと違う! 今は亡き Benjamin Libet (ベンジャミン・リベット) という先生が、 人の自由意思、および自発的な筋運動について有名な研究を残している。 それによると 1. 自由意思とか関係なく (?) 脳が手を動かそうという準備をする。 2. その0.5秒後に、自由意思 (手を動かそうという思い) が生じる。 3. 実際に手が動く。 わたしたちにできるのは、脳が完了した準備をキャンセルすることだけという可能性がある。 わたしたちの選択とは、つまり 環境 → 脳 (経験) → 脳が様々な選択肢を提示 → キャンセル/採用 (無意識/有意識) という可能性がある。 自由意思というのはわたしたちの選択の起点ではないかもしれない。 選択肢が多いほど選択は良いものになるのだろうか? シーナ・アイエンガーさんのジャム実験の通り、 選択肢が多くなるとわたしたちは選ぶことをやめて先送りする。 ついでに、多量の選択肢から選んだ場合、 その選択に確信がもてず、あとで後悔する可能性が高い。 システム1 (自動選択) とシステム2 (熟慮選択) で言えば わたしたちはほとんどシステム1 (自動選択) に頼りきりである。 よって、わたしたちは意識的選択ではなく、習慣や環境による自動選択で生きている。 選択には意思力を消費するのでコストが掛かる。 あまりにもコストが掛かるので、人は意外にシステム2 (熟慮選択) を使っていない。 選択肢が多いほど選択は良いものになるというのは、額面どおりには受け取れない。 これまでは、自由意思なるものが最初にあるとされてきた。 豊富な選択肢から、自らの意思で選択を行うことが良いと思われてきた。 契約や自己責任といった考え方はこれを前提にしている。 けれど、極端な話、自由意思による選択は神話なのかもしれない。 そう考えると重要なことは2つ。 1つは、自己責任とは権力を過度に利する恐れがあるということだ。 権力者はルールを作る。被権力者はルールの中で選択せざるを得ない。 よって、あらゆる行動は、ルールの枠内における自由意思の発揮であって 自己責任ということになってくる。 例えば、ハリケーンがくるので急遽避難勧告が出されたとする。 貧民は避難しようにも、アテがないし、お金もない。 よって、避難したいが、危険地帯に留まらざるを得ない人もいるだろう。 これは自由意思による選択で、死んでも自己責任だろうか? 自己責任かもしれないし、自己責任ではないと考える社会の方がよいかもしれない。 だが、自己責任と考える以外の選択肢を綺麗さっぱり排除するのは危険ではないか? ルールや環境を検討する余地を残しておいた方が良いのではないか? もう1つは、ナッジである。 自由意思による選択という枠組みではなく、環境による小さな後押し。 これが多大に人の行動に影響を及ぼし、無意識の行動を促す。 わたしたちはほとんどシステム1 (自動選択) に頼りきりであるから、 システム1 (自動選択) と親和性の高いナッジに注力することで より良い選択ができるのではないか? より良い選択をするために、自由意思による選択という枠組みは もしかすると思っていたより重要ではないのかもしれない。
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認知心理学の知見を用いた米国の法学者による一般書のようだ。理論的にはあまり目新しい話はないが、具体例が豊富にあるので行動経済学に関心のある人は目を通しておくとよいかもしれない。
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<選択>といえばアイエンガーの『選択の科学』が定番なんだろうけど未読だったりする。こっち先に読んだ。 「無分別で向こう見ずになることを私が選択したのなら」それは「自己責任になる」のか。「自己責任」とは「選択」することなのか。 もっと軽い本かと思ってたけど、そうでなかった。 野球...
<選択>といえばアイエンガーの『選択の科学』が定番なんだろうけど未読だったりする。こっち先に読んだ。 「無分別で向こう見ずになることを私が選択したのなら」それは「自己責任になる」のか。「自己責任」とは「選択」することなのか。 もっと軽い本かと思ってたけど、そうでなかった。 野球を観に行ってファウルボールに当たって怪我をした場合「危険があることを承知で行くという選択をしたのだから、当たった本人に責任がある」という考えに対して、知的共感という考えを元にして自身の考えを説明する一冊。エクセレント。 『〈選択〉の神話』ケント・グリーンフィールド 本としての出来はとてもよかったと感じた。本書で挙げられる例は最低限に絞られていて、心理学の理論を読まされているのか、実験結果を読まされているのか、結局何を読まされているのかよくわからない本も多いが、こちらの本はそう言ったことがほとんどない。 また「自由意志とは?」「共感とは?」といったややこしい疑問も扱うが、しっかりと著者自身の意見を述べているところも好感が持てる。何よりもイデオロギーから離れて(はなるように努力して)問いに対して答えようとしているところがエクセレント。
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