商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 白水社 |
発売年月日 | 2012/10/26 |
JAN | 9784560082454 |
- 書籍
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フランス組曲
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フランス組曲
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ネミロフスキーはユダヤ系のウクライナ人でキエフ生まれ。 ロシア革命の折、コミュニストから祖国を追われ、たどり着いたのがフランスであった。 異国での様々な体験とそんな生い立ちからか、小説で描かれるあらゆる階層の人たちが多様で、登場人物への眼差しにも情が通っている。 小説は5部...
ネミロフスキーはユダヤ系のウクライナ人でキエフ生まれ。 ロシア革命の折、コミュニストから祖国を追われ、たどり着いたのがフランスであった。 異国での様々な体験とそんな生い立ちからか、小説で描かれるあらゆる階層の人たちが多様で、登場人物への眼差しにも情が通っている。 小説は5部構成の予定ながら第2部で絶筆、未完である。永遠に物語は終わらない。未完故に、第1部で細かく描き込まれた人々を、読み手は空想の世界で、自由に動かすことができる。空想すると、あの群像が、あの人々が交わり合い、頭の中で世界が動き出す。 小説が未完である理由は悲惨だ。著者がアウシュビッツで絶命した為である。 最後に書いた終章は、戦時下のドイツ兵とフランス人女性の恋の物語。そこに介在するのはピアノ。戦火の中、著者自身が迫害を受けつつも気高い文章をしたためた。この終わらぬ物語が連綿と心に残る。 各章の終わりが、圧倒的な幕切れやシニカルな一文で結ばれる。ブルックナーの曲にある休符のようで、実に効果的。その休符がある時は余韻をもたらし、ある時は次の章に移る一拍だったりもする。なのでタイトルは「組曲」。 巻末に5部構成の構想メモが付属する。作家の頭の中での、先々の構想、作家自身の迷い、第2部までで描いた中でも大切にしている登場人物等々。更にト書き的な記載によって、読み手に対して狙っている心象効果もわかる。読むと、この作品がもし完成していたら、との想像を掻き立てる。 小説内では微笑ましい場面もある。「フランスパンは軽くて、胃にたまらない」と不平を言うドイツ人。「こんなおいしいものを」とこれを信じられないフランス人。隣国にして、こんなものなのかなぁ、と感じた。 <ウクライナ関係書籍紹介> https://jtaniguchi.com/books-recommended-ukraine/ <その他の書籍紹介> https://jtaniguchi.com/tag/%e6%9b%b8%e7%b1%8d%e7%b4%b9%e4%bb%8b/
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『四つの楽章で十分だ。第三楽章、つまり「捕囚」においては、共同体の運命と個人の運命は緊密に結びついている。第四楽章においては、結果がどうあれ(この断り書きの意味は自分でよく分かっている!)、個人の運命は共同体の運命から解き放たれる』―『資料Ⅰ著者のノートから』 大部な二つの物語...
『四つの楽章で十分だ。第三楽章、つまり「捕囚」においては、共同体の運命と個人の運命は緊密に結びついている。第四楽章においては、結果がどうあれ(この断り書きの意味は自分でよく分かっている!)、個人の運命は共同体の運命から解き放たれる』―『資料Ⅰ著者のノートから』 大部な二つの物語を組み合わせたものを組曲と呼んでいるのかと思いながら読み始めるが、二部の終わりになっても全体を束ねるような大きな主題に焦点が当たったような気にならない。それはこの組曲が未完の組曲であるからだと、巻末の資料から知って納得する。 五部構成と四部構成との間に迷う様子が著者のノートに記されている。作家は明らかに交響曲やソナタのような音楽的な構成を意識している。第二部の「ドルチェ」の中でも音楽についての文章が数多く見受けられるが、自分たちを二度目のエクソダスに追い込んだドイツ人の音楽への純粋な傾倒が認められるのが、何とも言えずアイロニカルな印象を残す。 著者のノートには、ミサ・ソレムニスやソナタ等への言及もあるが、特にベートーヴェンの作品のイメージを重ねていた様子が記されている。そうなると、やはり第九の各楽章と対比してみる誘惑には逆らえない。「六月の嵐」で語られるドイツ軍のフランス進行で湧き起こる嵐は第一楽章の始まりの展開そのものだし、続く「ドルチェ」で村から大急ぎで出立するドイツ兵たちの様子は第二楽章の緊張しつつも浮かれたような動きのある音階と慌ただしさも感じる終盤と呼応する。そうであれば、第三楽章は悲劇的でかつ耽美的で、緊張感に満ちたものになっただろう。第四楽章の主題がシラーの言葉と正反対なのは意図的だったのだろう、という想像も掻き立てられる。 『一九四一年六月三十日。ミショー家の人々を入念に描くこと。いつもとばっちりを食ってばかりだが、ほんとうの意味で高貴な唯一の人々。面白いのは、大衆――この憎むべき大衆――の大部分が、実はこうした善良な人々で構成されているということ。だからといって大衆が少しでもましな存在になるわけではないし、善良な人々が悪人になるというわけでもないのだが』―『資料Ⅰ著者のノートから』 二つのテーマ。現在進行形の戦争下での人々を模写して作品に昇華させたいという渇望と、左右問わず全体主義に対する嫌悪感。登場人物の間を移り変わりながら、多面的な視点で進行形の歴史を、そして図らずも露呈する人間性を、つぶさに写し取ろうとする作家の執念。強制収容所にて没した作家の原稿が奇跡的に残された経緯など知らずとも、この作品に注がれている作家の執念はひしひしと文章から伝わってくる。そしてやはり、体制の中の地位を利して欲望を満たそうとする人への嫌悪感。恐らく作家イレーヌ・ネミロフスキーは、全体主義がそういう個人の欲望を統制するどころか火に油を注ぐ様に燃え上がらせることをよく理解していたのだろう。 『ああ! 一九四〇年の戦争というこの厳しい母胎、青銅の鋳型から出てくる世界がどのような形になるかなど、だれに予見できるだろう。世界は巨大化して出てくるのか、それとも歪んで出てくるのか(あるいは両方か)。ともあれ、その最初の痙攣は伝わってきていた。そこにかがみ込んで、視線を注いでみても……何も理解できないのは恐ろしいことだった』―『六月の嵐』 ロシア革命で一度祖国を追われた作家が、群衆の熱気に支えられた動乱をどう見ていたのか。それは登場人物たちの言葉の端々に表現されているが、作家の慈愛はともすれば困難を自らの力で生き抜こうとするものに注がれている。ミショー家の人々に対する愛情は著者のノートからも明らかだが、ビュシー村で事あるごとに問題を起こし周りに迷惑をかける破天荒なブノワも、ボルシェビキ的性格付けをしつつも見捨てられない様子が伝わる。軍規や同国人として連帯を越えた愛情の交換の様子はひょっとすると作家の儚い理想の世界を投影したものなのかも知れないが、自由ということへの強い自覚がその根底にあったであろうことは想像に難くない。 『要するに、個人の運命と共同体の運命の闘いだ。結局、強調すべきなのはリュシルとジャン=マリ の愛、そして永遠の生だ。あのドイツ人のすばらしい楽曲。 おそらくフィリップの姿を思い起こさせる必要もある。要するに、こうしたことが私の深い確信に適うのだろう。消滅せずにとどまるのは、一、われわれの慎ましい日常生活。二、芸術。三、神。』―『資料Ⅰ著者のノートから』 描かれなかった残りの楽章を夢想する。
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60年に渡って作者の残されたトランクの中に眠っていた長編小説。第二次世界大戦で強制収容所で命を絶たれた女流作者。彼女が占領下のフランスで息を潜めて生活しながらこの長編作品を綴っていた。ドイツに占領されたフランスの人々が貴族、ブルジョワ、農民の姿をとって描かれる。
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