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ヘヴン 講談社文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2012/05/15 |
| JAN | 9784062772464 |
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ヘヴン
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商品レビュー
3.6
524件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
斜視の主人公と小汚いヒロイン。どちらも虐められていて、弱みを共通点に持っている。 ヒロインの母親は、貧乏で小汚い旦那を哀れんで結婚し、その後借金に耐えられなくなったも無抵抗な旦那に一方的な癇癪を起こす自分に限界を自覚して離婚し、最終的に金持ちの男と結婚した。ヒロインはそれに対して「最後まで憐れむべきだった」といい静かな怒りを見せる。またいじめに対して「分からないものが不安だから自分の価値観にねじ込もうと力で屈服させようとしている臆病者」「私たちは受け入れている」とのべる。 つまり、弱者が強者の「普通」の価値観に合わせることは敗北であり、何も言わず受け入れることが忍耐強さと強者が怖がる「不明」という武器を持ち続けるということ。それに父親へ愛情と母親への失望が加わり、この思想はヒロインの多くを形成するようになる。主人公と文通をし、同士を見つけることによりさらに強化されていくこの思想は、父親との共通の弱点を「痩せこける」「汚くなる」という形でより強めていくことになる。 このヒロインの立場の「加害とは弱者の象徴で、強者は受容するものだ」だとか、百瀬の立場の「人は攻撃することで身を守り自分の価値観を押し通すしかない」とか、読者に対して人の価値観や強弱との結び付きに疑問を投げかける姿勢は面白かったが、終わり方が投げやりさを感じた。 恥をはばからずに裸になったヒロインに、いままで無慈悲ないじめを繰り返してきた共感力のないいじめっ子が恐れおののき逃げる ↑いっきに陰キャの妄想みたいになってしまった。 ヒロインの「弱者は分からないものを支配したがる」という思想を体現させるためだとしても、ちょっと雑すぎないか。主人公が普通を手に入れるのと引き換えにヒロインを失った、という終わらせ方もこの突如始まった安っぽさに影響されて上手く落とし込まれなかった感じがする。
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確かな表現力とテンポよく読ませる文章で構成された一冊でした。この要素だけでも充分に読んでよかったと思えるのですが、登場人物たちが考える哲学や主人公の逡巡も大変面白かったです。 我々が俗に言うところの「ちょっとヤバい(考え方を持った)人」って、まさにコジマのように自分のなかで成立...
確かな表現力とテンポよく読ませる文章で構成された一冊でした。この要素だけでも充分に読んでよかったと思えるのですが、登場人物たちが考える哲学や主人公の逡巡も大変面白かったです。 我々が俗に言うところの「ちょっとヤバい(考え方を持った)人」って、まさにコジマのように自分のなかで成立している論理を、特に強く真だと思い込んでしまうところがあるのだと思います。 その点主人公は、コジマだけでなく、血は繋がっていないけれども自分の側で目線を合わせてくれる母親や、いじめの加害者側である百瀬とも自ら話し合い、その時その時で揺らいでいくだけの強さや環境が整っていたのが印象的でした。 とはいえ、頭ではそんなふうに認識していたとしても、それが出来るかどうかはまた別問題なんですよね…。主人公とコジマには作品で描かれた選択しか出来なかったようにも思いました。
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中学2年生の主人公の《僕》と同級生の女の子の《コジマ》。2人の共通点は、いじめられっ子。 ある日、「私たちは仲間です。」 差出人不明の手紙を受け取ったことがきっかけで、2人はこっそりと文通をするようになる。 毎日のように続く、凄惨ないじめの内容は、正直目を背けたくなった。 そ...
中学2年生の主人公の《僕》と同級生の女の子の《コジマ》。2人の共通点は、いじめられっ子。 ある日、「私たちは仲間です。」 差出人不明の手紙を受け取ったことがきっかけで、2人はこっそりと文通をするようになる。 毎日のように続く、凄惨ないじめの内容は、正直目を背けたくなった。 その中で、2人は、いじめを受けている自分たちの存在意義を共有しあっていたのだ。 そして、後半、いじめグループの中の1人である百瀬に、《僕》が、「なぜいじめるのか。」と対峙するシーンがある。百瀬は、ただ自分たちの欲求を満たすものが、たまたまそこにあっただけ。だからやった。ということだろうか。 反対に、《僕》もその状況を受け入れてるから、今のいじめが続いているという解釈でいいのだろうか。嫌なら、自分自身で、行動を起こせってことか。 つまり、「相手の身になって考えてみろ」と言っても、実際その相手が、自分が思っているように思っているとは限らないということだ。だったら、自分の身を守るのは自分しかいない、そのためには、自分が行動を起こすしかないという意味。 他人を傷つけるいじめ自体を反論したいが、百瀬を納得させるだけのことを言えるだろうかとも、考えさせられる内容だった。 さらにいじめはエスカレートして行き、もう直視できない程だったけど、その中で、《僕》の行動に変化が。 しかし、それは、実は、《コジマ》が、仲間だと思っていた《僕》のとる行動ではなかったのだ。そのため、《コジマ》から拒絶されていたのだ。 でも、最終的には《僕》の気持ちに理解を示し、さらに《コジマ》も自らの意思を貫く行動に出た。 今の現状を変えようと思うならば、自分で行動を起こさないといけない。 全てにおいて、受け身であることで、これ以上悪化しないように我慢していた《僕》、少しそこから踏み出すことで、良い結果に結びついたことに、頑張って?最後まで読んで、安心した。 私たちはそれぞれ、自分の考えや価値観のフィルターを通して、この世界を見ているということを改めて認識させられた小説であった。自分では正しいと思っていることでも、ある人にとっては悪になるということだ。つまり、同じ空間に存在していても、見ている世界は別物なんだということである。
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